32:保護者のお迎え
ペンフォード王国軍に攻め入られたタウナー王国が降伏するまで、そう時間は掛からなかった。
元々タウナー王国側から仕掛けた戦争であり、周辺諸国に援軍を求めたところで、助けてくれる先は無い。
戦の申し子アビゴールと、希代の天才をその内に宿したハーヴィーお兄様に率いられたペンフォード王国軍に、敵う筈が無かったのだ。
陛下から全権を預けられた総司令官として、お父様もまたタウナー王国に向かった。
私一人ティアニー公爵領に帰る為に手勢を割いていただくのも申し訳なくて、辺境伯様のお屋敷でのんびりとしていたら、予想外のお迎えがやって来た。
「ルーシー!!」
そう、アカデミーに居るはずのジェロームお兄様だ。
チェスターとバールだけを伴い戦地であるヒントン辺境伯領に向かうなど、どれだけ怒られても足りないことをしでかしはしたものの、伯父様、お父様、お兄様と立て続けに説教されては、流石にげんなりとしてしまう。
「反省してます、反省してますからぁ」
「本当に?」
ここ最近はアカデミーに居て滅多に会えない為に、ジェロームお兄様の過保護っぷりがさらに悪化している気がする。
今なんて私を膝に乗せたままで、懇々とお説教が続いている。
「怪我が無かったから良かったものの、一歩間違えばどうなっていたか……」
お兄様が心配するのは分かる。
猫のバールなんて誰も戦力に数えないから、護衛騎士のチェスターだけを伴って戦地にやってきたように思われているのだろう。
でもね。
貴方達が戦力外としているその黒猫が、何より強力なのよ。
多分バールを相手にしようと思ったら、タウナー王国の総力を挙げても足りないんじゃないかしら。
当の本人は今も窓際でひなたぼっこをしているから、全然説得力は無いんだけどね。
「あまり心配させないでくれ」
「はい……」
お兄様が、膝の上に座る私を強く抱きしめる。
近い。もう近いどころか密着してます、お兄様。
でも心配掛けたばかりで、お説教もされている最中で、逃げる訳にはいかない。
ジェロームお兄様も、もう十五歳。
すっかり男らしくなって、幼少期のソプラノボイスがいつの間にかバリトンボイスに変化していた。
肩幅は広くなり、背も高くなって、こうして抱きしめられていると何とも落ち着かない。
私達は戸籍上では実の兄妹ということになっているから、お兄様が私に対してどうこうというのは有り得ないのだろう。
家族愛とはいえ愛情が度を超しすぎていて戸惑うし、過保護っぷりにはドン引きしてしまう訳だが。
「ごめんなさい。私のことが心配で、わざわざ王都から来てくださったんですね」
「ああ、まぁ、それも有るんだけど……」
お兄様が、ごにょごにょと言葉を濁す。
「よりによってヒントン辺境伯領で、ハーヴィーが居るからなぁ……」
「……?」
ハーヴィーお兄様がいらっしゃると、どうして“よりによって”になるのだろうか。
きょとんと首を傾げる私を見て、お兄様が疲れたように息を吐いた。
私達がティアニー公爵領に戻る前日に、デイヴィス伯爵領からヒントン辺境伯領を経由してタウナー王国へと向かう一団が訪れた。
デイヴィス領の騎士達に護衛されたウィンストン王子だ。
密航者として乱暴されて負った怪我もすっかり癒えて、お父様に呼ばれてタウナー王国の王都へと向かう最中のことだ。
「女神様……!」
私を見るなりとんでもないことを言いながら駆け寄ってくるウィンストン王子との間に、立ち塞がるようにお兄様が割って入った。
「これはどういうことだい、ルーシー」
「私に聞かれても、よく……」
確かにウィンストン王子が目覚める時、私の顔を見て『めがみ、さま?』などと口走っていた覚えはある。
だが、あれは寝惚けてのこと。
面と向かって会った時にも女神様呼ばわりされるなんて、予想外過ぎるでしょ。
「失礼、ティアニー公爵のご令嬢が僕を助けてくれたのだと聞いております」
「いえ、貴方を助けたのは私ではなくレヴィヤタンで……」
「そのレヴィヤタンが、御礼ならば貴女に言うようにと言っていたのですよ」
ジェロームお兄様に阻まれても意に介さず、ウィンストン王子はニコニコとこちらを見つめている。
おのれ、レヴィヤタン。
自分で助けたんだから、恩もそっちで引き取りなさいよ、もう!
「失礼、明日早くに出立するので妹共々下がらせていただきます」
なおも声を掛けてこようとする王子を遮って、ジェロームお兄様が冷たく言い放つ。
うん、ここはお兄様に便乗させてもらおう。
ペンフォード王国だろうと、タウナー王国だろうと、王家の人間と関わりなんて持ちたくない。
面倒事は極力背負いたくないもの。
「あの、落ち着いたら是非御礼を……っ」
「どうかお気になさらずに。殿下のご健勝をお祈り申し上げます」
そつなく一礼し、踵を返して歩き出す。
私の肩を抱くようにして歩きながら、お兄様が『まったく、油断も隙もあったもんじゃない……』と小さく舌を鳴らす。
背後からは、伯父様のため息が聞こえてきた気がした。









