24:戦端
翌日、朝一番でお医者様が来てくださった。
「先生、どうですか?」
「怪我のせいで熱が出ているようですが、数日もすれば落ち着くでしょう。じきに目を覚ますと思います」
伯爵家の客間、豪華な寝室で、皆が安堵の息を漏らす。
お医者様が退室した後も、私とキャロルは彼の部屋に残って様子を見守ることにした。
「ぐっすり眠っているわね」
最初に見た時の苦しげな様子は息を潜め、今の少年は静かに寝息を立てていた。
「こうして見ていると、普通の男の子なのにね」
「そうね」
チェスターは、この子が密航者かもしれないと言っていた。
一体どんな事情があって、船に忍び込んだりしたのだろう。
そんなことも、少年が意識を取り戻さなければ、調べようがない。
「失礼します」
ブレンダが桶に水を入れて持って来てくれた。
「ありがとう、そこに置いておいていいわ」
「しかし、お嬢様……」
「大丈夫。これくらい、私がやるから」
ブレンダから手ぬぐいを受け取り、桶の水で濡らして、少年の額を拭く。
生温くなった手ぬぐいをもう一度水につけて絞り、頬に冷たい手ぬぐいを当てたなら、少年の唇から微かな声が漏れた。
「ん……」
「あら」
声に続いて、長い睫毛が揺れる。
数度瞬いた後、薄水色の瞳がじっとこちらを見上げた。
「目が覚めたかしら」
少年の顔を覗き込んで、微笑みかける。
「……めがみ、さま?」
どうやら、相当寝惚けているようだ。
「神でも天使でもないわよ。貴方はまだ生きているんだから」
「ここは……」
上体を起こし、少年がキョロキョロと周囲を見回す。
「ここはデイヴィス伯爵家。貴方はデイヴィス湾で遭難しているところを地元の漁師さんに拾われたのよ」
いまだ状況が把握出来ていない少年に、キャロルが説明をする。
地元の漁師さんというか、拾ったのはレヴィヤタンなんだけど……まぁ、それはいいか。
少年が目覚めたことを知ったブレンダが、医師を呼びに部屋を出る。
「デイヴィス湾……ということは、ここはペンフォード王国?」
「はい」
そう尋ねてくるということは、彼はこの国の人間ではないのだろう。
キャロルの返事を聞いて、少年の顔に安堵の色が浮かぶ。
「良かった……ようやく、ここまで辿り着くことが……」
少年の目尻が涙で濡れ光る。
ここに来るまで、どれほど大変だったのだろうか。
そう思いはすれど、密航者をおいそれと歓迎する訳にはいかない。
ここから先は、デイヴィス領を統治する伯爵家の管轄だ。
そう思い、身を引こうとした時。
「どうか、この屋敷の当主様に面会をお願いしたい。僕はウィンストン・タウナー。タウナー王国の第四王子だ」
少年の口から、爆弾が投下された。
タウナー王国は、我がペンフォード王国の北東に位置する。
お母様の実家であるヒントン辺境伯領に面した内陸の国だ。
タウナー王国から船で直接来ることは出来ず、考えられるとしたら、タウナー王国の南東、我が国から見て東に位置するクールソン連合国を経由しての密航だろうか。
私と同じか、それより年下くらいに見える少年が、どれほどの長い旅路を経てこのデイヴィス領までやってきたのだろう。
ましてや、当人はタウナー王国の第四王子を自称している。
それが本当だとして、どうして王族が供の一人も連れずにこんなところに居るのか。
分からないことだらけだ。
だが当人がタウナー王国の王族を自称したからには、事は私達の手に余る。
すぐにキャロルの父であるデイヴィス伯爵を呼んで、話し合いが行われることになった。
私とキャロルが少年を保護したことは、伯爵の耳にも入っていた。
だがその少年が王族となれば、事は伯爵領だけの問題ではなくなってくる。
デイヴィス湾を漂流していたという少年――ウィンストン王子は、彼の身元を証明出来るような物を何一つ所持していない。
人によっては、何をふざけた話をと一笑に付すかもしれない。
だがデイヴィス伯は礼儀正しくいまだ病床に居る少年に膝を折り、彼の話を促した。
「どうして貴方がこの地までお一人で来られたのか、詳しくお聞かせいただけますか?」
少年は一瞬だけ躊躇するような表情を見せたが、すぐに意を決して唇を開いた。
政治的な話になるなら、私とキャロルは席を外した方が良いかと考え、部屋を出ようとしたその時。
「我が兄――タウナー王国の第二王子ドウェインが、第三王子ノーマンと共にペンフォード王国への出征計画を立てていることを知ってしまったのです」
聞こえてしまった言葉に、ぐらりと世界が揺れた気がした。









