23:海から来た少年
「きゃあぁぁ!!」
暗い洞窟に、キャロルの悲鳴が響く。
チェスターが取り落とした松明は、僅かに足下を照らすのみ。
突然の襲撃者は息を潜めたままで、チェスターを組み伏していた。
落ち着け。
大丈夫だ、ここにはバールも居る。
黒猫の瞳は爛々と輝き、じっと襲撃者を見つめるのみで、飛びかかろうとはしていない。
「……レヴィ?」
静かに、声を掛ける。
そうだ、この洞窟にやってくる人物と言えば、彼――レヴィヤタンしか居ない。
私の声に、ふっとチェスターを押さえつける力が緩んだ気がした。
「あらぁ、お嬢じゃなぁい。やだぁ、久しぶり!」
暗闇から暢気な声が響く。
野太いのに、どこか女性的な話し方――まさしく、レヴィヤタンだ。
「そこに居るのは、お嬢のお友達? ってことは――」
「……ってぇ、くっそぉ……」
大柄なレヴィヤタンに組み伏せられて、チェスターが低く唸る。
「えーと、アンタも見たことあるわね。お嬢の騎士だったかしら?」
「覚えているなら、さっさとどけ!!」
チェスターもキャロルも、六年前にレヴィヤタンと会ったことがある。
仲良く話はしていなくても、お互いに顔くらいは覚えているようだ。
「……っくそ」
ようやくレヴィヤタンから解放されたチェスターが、石の上に座り込んだままで肩を擦る。
「大丈夫?」
「油断した」
悔しそうなチェスターだが、今回ばかりは相手が悪い。
今は人型をしているとはいえ、レヴィヤタンは人間ではない。巨大な怪物と呼ばれる海の悪魔だ。
「ごめんなさいねぇ、お嬢達が来るとは思わなかったし……最近、ちょぉーっと気が立っていたのよ」
レヴィヤタンの甘ったるい声に、黒猫が呆れたような鳴き声を上げる。
そうね、気が立っていたでこちらに敵意を向けられては、たまったものではない。
レヴィヤタンには、ちゃんと反省してもらわなくっちゃ。
「それにしても、この子は一体……」
デイヴィス湾に棲み着いたレヴィヤタンが、この洞窟を塒にするのは別に良い。
別に良いのだが、何故ここで少年が眠っているのか。
大怪我をしていることといい、ただ事とは思えない。
「まさか――」
自分好みの少年を攫ってきて、監禁している……なんてことは無いわよね!?
そういったプレイが許されるのは、二次元だけだ。
現実にそんな性癖を持ち込んだ瞬間、犯罪者の仲間入りをしてしまう。
「お嬢、何よその目は」
私が何を言いたいか察したのだろうか、レヴィヤタンが冷ややかな目でこちらを見た。
いやー、だってオネエ口調なんですもの、貴方。
この少年、痣だらけで眠っている姿だけ見ても美形だもの。
ひょっとしたら……なんて考えちゃうじゃない。
「この子は漂流しているところを拾ったのよ。仕方ないから、ここで保護しているの」
「まぁ」
レヴィヤタンの言葉に、キャロルがぎゅっと掌を握りしめる。
「どうやら船の中で暴行を受けた挙げ句に、海に捨てられたみたいなのよ」
そう告げるレヴィヤタンの声は低く、感情を押し殺しているようだ。
「海に捨てられたって、どうして……」
キャロルの顔が悲しみで翳る。
父親が治める領で起きたことが、信じられないのだろう。
「あまりに腹が立つもんだから、この子を捨てた奴等の船が入ってこれないようにしているってわけ」
「え?」
「は?」
レヴィヤタンの言葉に、キャロルとチェスターが間の抜けた声を上げる。
「この子を捨てた奴等の船が港に来れないようになって、喜んでいるって話よね!」
「ああ、そうね。そういうこと」
慌ててフォローに入ったが、なんとも危うい。
まったく、レヴィヤタンには後でまとめてお説教だわ。
ほうら、バールの目が暗闇で爛々と光り輝いている。
普段猫として公爵家で世話になっている分、バールは他の悪魔達よりも公爵家の面々に懐いている。
餌付けされていると言っても良い。
もしチェスターが怪我でもしていようものなら、いかなレヴィヤタンとはいえ酷い目にあわされたに違いない。
それにしても、デイヴィス湾が荒れている原因がレヴィヤタンの不機嫌によるものだったとは……悪魔とはいえ、何とも自分勝手なものだ。
とはいえ、こんな幼い少年を海に捨てるなど、あってはならないことだ。
眠る少年の顔を見下ろす。
年は私と同じか、少し下くらいだろうか。
寝顔こそ安らかだが、頬と額に残る青痣が痛々しい。
「おそらく、密航者だろうな」
この中では一番世慣れたチェスターが、面白くもなさそうに呟く。
「密航者?」
「ああ。船の中で何か罪を犯したとしても陸地に戻った時に引き渡すだけで、よっぽど食料が不足している時でもなけりゃ、海に捨てることはない」
なるほど。
船の上で問題を起こしたとして、暴行は受けても捨てられるほどではないと。
「ただ、密航者となれば話は別だ。密航者は乗員でも乗客でもない。元々存在するはずのない人間だ、海に捨てたところで何の問題もないのさ」
「酷い……」
キャロルは口元を押さえているが、この世界ではいまだ迷信が強く信じられている。
天候や海が荒れた時に密航者なんて見付かった日には、神の怒りとして不届き者を海に捨てたり、時には神への生け贄として捧げられることも十分に有り得るだろう。
「こんなところで寝かせていたら、良くなるものも良くならないわ」
「そんなこと言われても、陸に知り合いが居る訳でもないしぃ」
私の言葉に、レヴィヤタンは悪びれた様子もなくしなを作っている。
まったく、困った悪魔だこと。
「キャロル、この子を伯爵家で手当してもらってもいいかしら?」
「ええ、勿論」
「チェスター、伯爵家まで運べる?」
「大丈夫だぜ、お嬢」
こうして海辺の洞窟で少年を保護して、私達は無事に伯爵家へと戻った。
戻って早々に私のことが心配で他のことが何も手に付かなかったブレンダに捕まってしまい、たっぷりとお小言を貰ったのでした。
私の方がレヴィヤタンにお説教するつもりだったのになぁ。
ブレンダにお兄様の名前を出されたら、もう何も言い返せないよ~。
ま、その分レヴィヤタンはバールにたっぷりお説教をされたみたいだけど。
伯爵邸の料理人さんにお願いして、バールには美味しいものを差し入れしておこうっと。









