21:デイヴィス領再び
「わぁ……!!」
六年ぶりに訪れたデイヴィス領は、以前のような小さな港町ではなく、活気に満ちていた。
港は整備されて、大型の倉庫が建ち並んでいる。
出入りする船も、小さな漁船より大型の交易船が目立つ。
港の近くには以前とは比べものにならない規模の市が並んでいた。
そこに並ぶ商品も、出入りする人の数も、六年前とは大違いだ。
今やデイヴィス領はペンフォード王国の流通の要。
内陸の領地と比べて、伯爵家の経営も潤っているはずだ。
「ルーシー!」
市場の入り口で、可憐な少女が馬車に手を振っている。
デイヴィス伯爵家の一人娘、キャロルだ。
「キャロル、久しぶり!」
「ルーシーも、元気だった?」
馬車を降りて、キャロルに抱きつく。
六年前は子供だった彼女も、今では立派なレディだ。
落ち着いた色調のワンピースが潮風に靡いて、ふわりと広がる。
六年前のお茶会で出会い、クラーケン退治を経て以降、直接会う機会は少なくとも、キャロルとは頻繁に手紙のやりとりを続けていた。
この世界で初めて出来たお友達だもの、大事にしなくっちゃね。
キャロルもデイヴィス伯爵様も、クラーケン退治の一件で恩義を感じてくれているのか、私達一家にはとても良くしてくれている。
「ここ最近デイヴィス湾が荒れているって聞いていたのだけど……見た感じ、市場は賑わっているようね」
「内湾は比較的穏やかなのだけど、湾の出口付近が荒れやすいのですって」
デイヴィス領は陸地でぐるりと内湾を囲んだ形だ。
日本で言うところの東京都と千葉県と神奈川県をあわせた状態と言えば、分かりやすいかしら。
他国と貿易を行う為には、デイヴィス湾から外海まで交易船を航行させる。
今回の大時化で漁業にはそれほど大きな影響は出ていないが、他国との交易では痛手になっているようだ。
「でも、そんなに海が荒れているようにも見えないのだけど……」
「そうなのよね。皆もそれで不思議がっていて」
キャロルも訳が分からないといった様子で、小さく首を傾げていた。
理由もなく、突然海が荒れる訳がない。
やっぱり、ここはレヴィヤタンに会いに行く必要がありそうね。
ここデイヴィス湾で何が起きているのか。
直接彼から聞くとしましょう。
普段はデイヴィス湾を根城にしているレヴィヤタンだが、一応陸地にも塒を持っている。
それがデイヴィス湾の一番出っ張った部分。
徒歩では辿り着けない、切り立った崖の内側にある洞窟だ。
「ルーシー、本当にこんなところに知り合いの漁師さんが住んでいるの?」
「住んでいるというか、何というか……た、たまには帰ってきていると思うのだけれど」
陸路で行けないなら、船で行くしかない。
キャロルに誰か船を出してくれる人を紹介してほしいとお願いしたところ、なんとキャロル本人も同行すると言われてしまった。
キャロルにしてみれば、公爵令嬢である私を一人で向かわせる訳にはいかないのだろう。
私に何かあれば、ティアニー公爵家に申し訳が立たない。
それは分かるのだが、伯爵令嬢であるキャロルを連れてくることに、今度はこちらが罪悪感を感じてしまう。
船を出すということで、泳げないブレンダは万が一を考えて伯爵家に残ってもらった。
ここに居るのは漁船を操縦する漁師さん以外には、私とキャロルと護衛騎士のチェスターと黒猫のバールだけ。
伯爵家の騎士達も同行を申し出てくれたが、人数が増えすぎると今度は大きな船を出さなければいけなくなる。
それよりは、小さな漁船でこっそり様子を見に行きたかったんだよね。
伯爵家の人々にとってみれば、公爵家のご令嬢が護衛騎士一人だけを伴って危険な海に漕ぎ出すなど、とても心配で放ってはおけないのだろう。
いやー、客観的に見てそう思われるのは仕方ない。
私だって伯爵家の人々の立場ならば、とても令嬢をそんなところに行かせられないと思うだろう。
でもね。
こちらにはバールが居る訳ですよ。
たかが黒猫と侮ることなかれ、地獄の最初の君主、地獄の大公爵とも呼ばれるバールは、六十六の軍団を指揮する悪魔の中の悪魔。
また悪魔として恐れられるようになる前は、セム族から信仰される豊穣神でもあった。
ボディーガードとしてこれ以上の戦力は無い訳だが、如何せん見た目はただの黒猫なので、説得力は皆無だ。
伯爵家の騎士達の同行を私が拒んだ結果、キャロルが一人で着いてくることになってしまった。
もし何かあった時に、口止めをする相手は少ない方が良い。
そう思ってのことだが、今頃屋敷で心配しているだろう伯爵家の人々とブレンダには、なんとも申し訳ない限りだ。
「荒れているって聞いていた割には、すんなりとここまで来れたわね」
「そうね……荒れているのは、もっと沖の方なんだと思います」
私の呟きに、キャロルが頷く。
穏やかすぎる水面には、波の兆しすらない。
だとすれば、湾の出口には一体何があるのか。
海が息を潜めているようにすら感じる。
レヴィヤタンが塒に選んだ洞窟は、人が辿り着かない入り組んだ浅瀬に位置していた。
日の光も差し込まぬ洞窟の内側は、漆黒の闇が広がっている。
天候が荒れてもいないのに海が時化るだなんて、レヴィヤタンの仕業としか思えない。
それ以外に理由があるなら、彼がどうにかしているだろう。
もしレヴィヤタンが機嫌を損ねているとしたら――その矛先が私に向くことは流石にないだろうが、他の人間に対しては必ずしも安全とは言い難い。
漁師達を漁船に残し、陸に上がるのは私とキャロルとチェスターと、今はキャロルに抱えられた黒猫のバールだけ。
チェスターを先頭に、いざ洞窟へと足を踏み入れる。
私達を飲み込もうとする洞穴は、地獄の入り口を思わせるかのようにぽっかりと口を開けていた。









