20:騒動の予感
大恐慌。
魔族領に接する魔の森では、数十年に一度、魔物が大発生する。
魔族領に溢れる瘴気が押さえられなくなったのだとか、魔の森にボスが誕生したんだとか、魔物の生態系に由来するのだとか様々な説はあるが、その実体はいまだ解明されていない。
要は魔物が大量発生するってだけなんだけど、とにかくその数が尋常ではない……らしい。
実際のところ、私も見たことはないので詳しいことは言えない。
ただその恐ろしさだけは何度も話に聞いている。
「なるほど、魔物相手の戦ですか」
ふむ……と呟いて、アビゴールが顎を撫でる。
アビゴール自身は戦士というよりは指揮官タイプだ。
だが引き締まった身体付きはなかなかにそそる……もとい、眼福ものである。
「相手としては物足りないかもしれないが、事が事だ」
「構いません。国の重大事なのでしょう」
アビゴールが頷いたことで、お父様の表情が和らぐ。
「そうだな。他家からも応援が向かうはずだ」
アビゴールは戦の達人。
今では我がティアニー騎士団の副団長を務めている。
団長はお父様に剣を教えた師匠で、もうかなり高齢な老騎士だ。
実質的に騎士団を動かしているのは、このアビゴールと言っても過言ではない。
「承った。このアビゴール、我が主とその父君に勝利をお約束します」
アビゴールがティアニー騎士団の大隊を引き連れて出発したのは、数日後のことだった。
遠征部隊の指揮をアビゴールに任せたとはいえ、お父様が忙しいことに変わりは無い。
お兄様も居ない今、少しでもお父様の負担を減らそうと、マモン商会とのやりとりなどはこちらで引き受けることにした。
元々商品の開発などは私と相談してやっているのだ。
経営に関してはほとんどマモンに任せっきりだしね。
下手に口を出すより、それが一番良い。
という訳で護衛騎士のチェスターと侍女のブレンダを伴って、やってきましたマモン商会。
商会長のマモンは悪魔の一人。
他の相手と会うより、ずっと気楽なものだ。
「調子はどう? マモン」
「国内では引き続き好調をキープしております」
口髭を撫でながらマモンが答える。
黒い髪をきっちりと横に撫でつけ、口髭を蓄えた姿は、いかにも胡散臭い。
これでいて交渉事に長けたやり手の商人なのだから、不思議なものだ。
あまりに胡散臭すぎると、一周回って相手の警戒が解けたりするのだろうか。
「国内では……ってことは、国外は不調なのかしら」
マモンの言葉に、思わず首を傾げる。
意味の無いことを軽々しく言うような言うようなマモンではない。
彼がそう前置きするからには、理由があるのだろう。
「ここ最近のことなんですがね。交易船が足止めを喰らっておりまして」
デイヴィス領湾岸に棲息していたクラーケンを退治したことで、我がティアニー公爵家はデイヴィス領港町の交易権を得た。
交易品の管理はマモン商会に任せ、近年は十分過ぎるほどの利益を稼ぎ出していたはずだ。
「交易船が足止めって、何かあったのかしら」
「何でも、デイヴィス湾が荒れているって話ですよ」
クラーケンを退治した後のデイヴィス湾には、レヴィヤタンが棲み着いている。
当然交易船を襲うようなことはなく、海難事故が発生した時には手助けをしてほしいとお願いしてあるのだが、そんなデイヴィス湾が荒れているとはどういうことだろう。
「またクラーケンでも現れた?」
「いやー、クラーケンなんて現れたところで餌にしかならないでしょう」
それはそうだ。
クラーケン程度ではレヴィヤタンに歯が立たないことは、六年前に証明されている。
「一体どうしたのかしら」
「こればかりは奴さんに直接聞くしかないでしょうねぇ」
マモンが軽く肩を竦めて見せた。
陸上で生活する相手ならゼフことベルゼブブの眷属を通じて様子を見ることが出来るのだが、海中に暮らすレヴィヤタンでは、それも難しい。
「ふーむ、直接聞くかぁ……」
私の呟きにギョッとした表情を浮かべたのは、侍女のブレンダだった。
「お嬢様、またかろくでもないことを考えてはいないでしょうね?」
「ろくでもないことって何よ」
まったく、失礼な話である。
「ジェローム様にきつく言われているんですから。お嬢様が何かしそうになったら、必ず止めるようにと」
「お兄様は心配しすぎだわ」
そう。ろくでもないことも、危ないことも、何もない。
ただちょーっと、お友達のキャロルのところに遊びに行くだけなんだからね……!









