10:家族会議
「ルーシー!! 大丈夫だった? 酷いこと言われなかった!?」
「は、はい……」
公爵邸に戻って早々、お母様の熱烈なハグが待ち構えていた。
既に一悶着あったと報告が入っているのだろう、玄関先にお父様、お母様、お兄様と三人揃ってのお出迎えだ。
お母様は真っ先に走ってきて私を抱きしめ、お父様は口元を固く結んだまま腕を組み、お兄様は拳をぎゅっと握りしめながら、心配そうにこちらを見つめている。
「あいつに、何を言われたの?」
お兄様が、珍しく私に声を掛けてくれた。
王太子殿下のことを、あいつって。
まぁ、良いのかなぁ……公爵家の令息だし、従兄だし。
「えぇと……」
お兄様とお母様、お父様に今日のお茶会であったことを事細かに報告する。
初めてお友達が出来たって話は三人とも喜んでくれたけれど、こと王太子殿下の話になると、全員真顔になった。
「つまりは、マモン商会の商品欲しさに我が家の娘を婚約者にすると……?」
ああ、お母様の口元がひくひくしている。
「父上、どうにかならないのですか?」
「そうだな……」
お兄様、いつも涼しげな目が据わっています。
隣でお父様が深くため息を吐いている。
普通は王太子殿下の婚約者に選ばれたなんて言ったら、喜ばれるんじゃないかと思ってた。
でも、我が家は違うみたい。
むしろ、殿下の言葉に怒ってくれている。
ああ、この世界で家族になったのがこの人達で良かった。
心底そう思う。
他の家ならば諸手を挙げて喜ぶか、逆に親から命令されそうなものだ。
王家の打診に物申せるのも、陛下の従兄で公爵家である我が家くらいなものだろう。
「お断り、出来るでしょうか」
「当たり前だ!」
私の言葉に、なぜかお兄様が真っ先に声を上げた。
え、私の為にそんなに怒ってくれるの?
心の中で驚きながらも、じんわりと胸が温かくなる。
こんなに感情的になっているお兄様は、初めて見る気がする。
「ゲーム欲しさにだなんて、そんな馬鹿馬鹿しい話があるかっ」
「本当にもう、困ったものよねぇ」
憤慨しているのは、お兄様だけではない。
おっとりした口調ながら、お母様も相当腹に据えかねているようだ。
「ルーシー、お前はどうしたいんだ?」
お父様の瞳が、真っ直ぐこちらを見据える。
お父様は、私が実の娘ではないことを知っている。
知りながら私をルーシーと呼び、息子であるお兄様同様に可愛がってくれている。
政略結婚の駒にすることも出来るだろうに、こうして私の意見を尊重してくれているのだから、本当に有難い。
「私は、出来るものならばお断りしていただきたいです」
出来るものならば、どころではない。
絶対お断りしたい。
王太子妃になるつもりなんて、これっぽっちもない。
もし強要されるようならば、悪魔達と共にこの家から逃げることも考えなくてはいけなかっただろう。
お父様もそれを分かっているのか、重々しく頷いた。
「皆様、お茶が入りました。一息お入れください」
玄関先で話し込んでいる私達一家に声を掛けてきたのは、執事のゼフことベルゼブブだ。
執事姿もすっかり板について、長い灰色の髪を一つに纏めた姿は、仕事の出来る使用人そのもの。
背が高く理知的な顔立ちで、お父様からの信頼も厚いゼフは、彼の正体を知らなければ有望株に思えるのだろう。
侍女達からの人気はとても高いと聞く。
その実態は、新約聖書『マタイ伝福音書』で「悪魔たちの皇帝」とまで言われた、悪魔の中の悪魔だ。
「お嬢様、どうぞ」
「ありがとう、ゼフ」
それがなぜか談話室でティーセットを並べて、ベヘモットが作った菓子を差し出してくれているのだから、不思議なものだ。
差し出されたマカロンをぱくり。
うん、美味しい。
甘さ控えめのマカロンの中に、しっかりとコクがあるクリーム。
この子、本当に暴飲暴食の悪魔なのかしら。
ベヘモットも大分この世界で料理するのに慣れてきたみたいだなぁ。
元々公爵家には、腕利きの料理人達が揃っている。
この世界での知識は、彼等から取り入れられる。
そこにベヘモットの食い気が加われば、怖い物なし。
前世で食べた美味しいものを再現する為に、毎日厨房で頑張ってくれているというわけ。
とはいえ、ここは王都だ。ティアニー公爵領ではない。
ベヘモットは領地でお留守番中。
私達が旅先でも食べられるようにと用意してくれていたのだとしたら、嬉しいね。
おっと、脱線してしまった。
これも全てマカロンが美味しいからいけない。
「父上、陛下から正式な婚約の申し入れというのは、もう届いているのですか?」
「いや、まだだ。ただ、明日すぐにでも登城してほしいという旨の通達が来ている」
お兄様の問いに、お父様が答える。
まだ正式に言われた訳ではないが、陛下直々に呼び出されていると……今はそんな状況みたいね。
「明日、お話があるということかしら」
「おそらくな」
お母様の言葉に、お父様が苦い表情で頷く。
せっかく端正なお顔なのに、眉間に皺が寄ってしまっている。
お父様は、私の正体を知っているからなぁ。
私のというか、悪魔達のというか。
彼等の機嫌を損ねたら、どうなるか。
それを思えばこそ、お父様は頭が痛いのだろう。
国の重鎮としては、王家の意向を無下にする訳にもいかない。
見事な板挟み状態だ。
「登城の際には、僕も一緒に行きます」
お兄様が、そう申し出てくれた。
「何か出来る訳ではありませんが、せめて説得の言葉一つくらいは……」
「お兄様……っ」
お兄様の表情は、真剣そのもの。
握りしめた拳が、僅かに震えていた。
ごめんなさい、お兄様。
私ひょっとしたら貴方に嫌われているんじゃないかって、勘違いしていました。
こんな風に気遣ってくれるなんて、思ってもみなかった。
やばい。ちょっと涙出てきそう。
ゼフの暗示が効いていないかもって聞いた時から、ずっと不安だったんだ。
お兄様が私を疎ましく思っているんじゃないかって。
「ルーシー?」
お兄様は、お兄様だった。
今も、突然唇を引き結んだ私を、心配そうに見つめている。
「大丈夫、僕がどうにかするから……絶対に」
お兄様の言葉に、小さく頷く。
お兄様が、私を守ろうとしてくれている。
そのことが、何より嬉しかった。
「あらあらまぁまぁ」
そんな私達の様子に、お母様はすっかり機嫌を直したようだ。
私とお兄様を二人一緒に抱き寄せて、あっという間に温かな胸に包まれる。
「大丈夫よ、私も旦那様もいらっしゃるのだから。皆でお話すれば、きっと分かっていただけるわ」
勿論、王家からの打診というのはそう簡単な話ではない。
お母様もそれを分かっていて言っているのだろう。
お母様のことだから、どれだけ自分達の立場が悪くなろうと、私のことを庇ってくれそうな気がした。
それはそれで、申し訳ない。お母様に迷惑をかけたくはないのに。
本当あのライオネル殿下ときたら、厄介なことを言い出したものだ。
明日、王城で私の運命が決まってしまう。
お父様は、難しい顔で何やらゼフと話し込んでいる。
一瞬だけゼフと目が合い、彼が微かに笑ったような気がした――気のせいだろうか。
二人には、何か考えがあるのかな。
今のこの生活、手放したくないんだけどな……。
こんな私達の苦労を知ってか知らずか、ソファーの上で黒猫がのんびりと欠伸をしていた。
その拍子に耳がぴくりと揺れて、黒猫と視線が合う。
きっと、大丈夫……ってことでいいんだよね?
黒猫のバールを抱き上げたら、迷惑そうに低い声で鳴かれてしまった。
ごめんね、今はもう少しこのままにさせて。
てしてしと私の手を叩く尻尾が、いつもと変わらぬ日常を感じさせてくれた。









