9:お子様のゲーム熱を舐めてました
お茶会は王太子殿下の挨拶で開始した。
一番端のテーブルは、私とキャロルの二人のみ。
他のテーブルと交流をすることもなく、二人でお喋りに花を咲かせる。
「へぇ、デイヴィス領には海があるの!?」
「そうなの。凄く広くて、大きくて、綺麗なのよ」
なんとキャロルのお父さんが治めるデイヴィス伯爵領は、海に面した領地だった!
海と言えば海産物に海水浴に交易船。
美味しい物もいっぱいありそうで、夢が広がる~。
「いいなぁ、海のある街って楽しそう」
「何もない田舎町よ。私からすると、ティアニー公爵領の方がうらやましい」
お互い無い物ねだりなのだろうかとも思ったが、キャロルの表情はどこか浮かない様子で、彼女の言葉が真実なのだと感じられた。
そういえば、デイヴィス伯爵家は財政が厳しいとご令嬢達が噂していたな。
「せっかく海があるのだから、交易などは行わないの?」
「前はしていたようなのだけど、今は……」
キャロルがしゅんと肩を落とす。
五年ほど前に、デイヴィス領沖で凶悪な海の魔物クラーケンが発見された。
航行していた二艘の交易船が沈められ、デイヴィス伯爵家は多額の損失を出したという。
どうやらキャロルの家が財政難なのは、その時の被害によるものらしい。
クラーケンは今もデイヴィス領沖を縄張りにしている。
おかげで交易船は勿論のこと、せっかく海があるのに漁船の航行さえ危険を伴うそうだ。
「クラーケン……」
「恐ろしく巨大で、醜悪な魔物だそうよ……大きな交易船が、一撃で海に沈められたと聞くわ……」
そんなものが沖に住み着いてしまうなんて、気の毒としか言いようがない。
普通の人間には到底手に負えない化け物だろう。
そう、普通の人間には。
ひょっとしてうちの悪魔達にならどうにか出来るんじゃないかって思ったりもするけど、ぬか喜びをさせてもいけない。
そもそも、六歳児に「その凶悪なクラーケン、私がどうにか出来るかもしれません!」なんて言われて、信じる奴はいないだろう。
今度機会があれば、デイヴィス伯爵領を訪れてみよう。
お父様に事情を話せば、ある程度は融通を利かせてくれるだろうし。
そんなことを考えていると、隣のテーブルでワァッと歓声が上がった。
「どうだ皆、楽しんでいるか?」
横目で見れば、どうやら隣のテーブルに王太子殿下が挨拶に来ているらしい。
ご令嬢達が皆立ち上がり、王太子殿下に挨拶をしている。
ライオネル殿下は、いかにも王子様といった金髪緑目の煌びやかな美少年だ。
隣のテーブルに居たご令嬢達は皆声のトーンが一段階上がって、殿下に目が釘付けになっている。
なるほど、この外見でさらに王太子という地位まで持っているなら、令嬢達が騒ぐ訳だ。
まぁ、うちのお兄様の方がずっと美少年だと思うけど。
令嬢達の挨拶が一通り終わったところで、王太子殿下の視線がこちらへと向けられた。
慌てて視線を逸らしたが、何とも気まずい。
そちらを見ていたこと、気付かれてなければ良いけど。
「お前は――」
そんな私の心を知ってか知らずか、王太子殿下がこちらのテーブルに近付いてくる。
声を掛けられ、流石に無視する訳にはいかない。
「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下。ティアニー家が息女、ルシールにございます」
「へぇ、お前がティアニー公爵家の令嬢か」
にこり笑顔を浮かべて、礼儀正しく一礼する。
表向きは礼儀正しく振る舞ってはいるものの、気を抜けば顔が引き攣ってしまいそうな気がした。
お前って。
初対面の相手に、お前って。
いや、まぁ相手は王太子。
偉い身分なんだから、人のことをお前呼ばわりしてもなんら不思議はないのだろう。
そう思いはするものの、どうも好きにはなれない。
「は、初めまして、王太子殿下! キャロル・デイヴィスです」
私に続いてキャロルも王太子殿下に挨拶する。
しかし、キャロルの挨拶は無視。
ライオネル殿下は私にだけ話しかける。
あ、うん……この子、きっと相手によって扱いをガラリと変えるタイプだ。
とても好きになれそうにない。
「マモン商会で販売している、トランプというのか。あのカードはなかなか面白いな」
「ありがとうございます。私も、我が家に献上された品で遊ばせていただいております」
トランプ事業は収益が見込める為に、お父様が新しく商会を起ち上げてくださった。
商会を運営するにあたって、悪魔を一人呼んで、彼に商会の全てを任せることにした。
その悪魔が、マモン。
地獄の七大君主の一人であり、富を象徴する悪魔だ。
商会経営に辣腕を発揮し、今ではトランプはペンフォード王国中で流行していると聞く。
「聞けば、トランプ以外にも新しい商品を売り出そうとしているとか」
「卓戯のことでしょうか?」
卓戯とは、現在マモン商会で開発中の麻雀、将棋などの卓を囲んで行うゲーム全般を指す言葉だ。
どちらも必要な牌や駒が多く、ルールも複雑な為、ごく少量を販売してみて、少しずつ数を増やしていく予定だ。
駒の一つ一つ、牌の一つ一つが職人の手作りになる為、どうしたって生産に時間が掛かる。
だと言うのに――、
「ほほう、卓戯と言うのか。その卓戯、すぐ僕に献上せよ!」
「……は?」
こんな風に居丈高に命じてくるのだから、たまったものではない。
思わず間の抜けた声が出てしまった。
「あの、卓戯は現在開発中の物でして……」
「開発中ということは、誰も持っていないのだろう? ますます気に入った!」
そういう話じゃないんだって。
まだ世に出回る状態じゃないって言ってんのに、この王太子ときたら。
ちらと、王太子殿下の後ろに立つ従者に視線を送る。
うん、ガン無視されました。
王太子殿下を窘めてくれるつもりは、毛頭ないみたい。
「申し訳ございませんが、マモン商会で扱っている商品に関しては、商会の会長と父に聞いてみなければ、私の一存では頷くことは出来ません」
「む……っ」
困った時の、お父様だ。
ティアニー公爵であるお父様は、国王陛下の従兄でもある。
幼い頃から親しくしていて、さらにお父様の方が年上なものだから、陛下にとっては兄のような存在だという。
そんなお父様の名前を出せば、流石に王太子殿下と言えど無理は通せないだろう。
そんな私の思いは、一瞬で砕け散りました。
「ならばお前、僕の婚約者になれ」
「……は?」
再び、間の抜けた声が出た。
「丁度、婚約者を決めなければいけないと言われていたところだ。ティアニー公爵家なら、家柄も申し分ないだろう。ティアニー公爵家と婚姻関係を結べば、マモン商会にも直接口を出せる」
名案だとばかりに頷いて、ライオネル殿下が胸を張る。
いやいや。ちょっと待ってください。
そこに私の意思は微塵も介在していない訳ですが、そのあたりどうお考えなのでしょう。
……多分、何も考えていないんだろうな。
どうやらカードゲームという楽しい遊びを覚えてしまった六歳のお子様は、もっと楽しいゲームを手に入れる為に、私を通じてマモン商会に顔を利かせたいらしい。
我が儘王子とは聞いていたが、こんな展開、誰が予想出来ただろう。
王太子殿下と私のやりとりを聞いていた周囲の人々は、今や騒然となっている。
それはそうだろう、突然婚約者が決まりそうになっているのだから。
「そ、そちらも私の一存ではお答えしかねますが……」
「こちらから公爵に話を通すことにしよう。なぁに、ティアニー公爵は父上と従兄弟同士の間柄だ。悪いようにはするまい」
かくして、お茶会の場で急遽湧いた婚約騒動。
私ったら新作ゲームを手に入れたいお子様の我が儘で婚約させられそうになっているんだけど、どうしたら良いですか。
やっぱり、王城になんて来るんじゃなかった。
目を合わせた令嬢たちが一斉に口を噤み、ドレスの裾を優雅に整えながら、こちらを鋭く睨みつける。
今後どう噂されるか、想像するだけで恐ろしい。
ちらりと隣を見ると、キャロルが顔を真っ青にして固まっていた。
……うん、私も同じ気持ち。
どうしてこうなってしまったのやら。
お茶会が終わって王都の公爵邸に戻るまで、暫し針の筵を味わうのでした。









