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コルクス公爵邸へ。

 デボラは、揺れる馬車の中で、ただ涙を流していた。


 アレックスが、斬られた。

 しかも、あの出血量。

 少なくとも、無事では済まないだろう。


(おねがい、アレックス。死なないで……)


 誘拐されていた、三国の少女たちは、無事に解放され、サハギンの兵士の手によって救出されたのが、目の端に見えた。

 この絶望しかない状況の中、それだけが救いだ。




 隣に座る皇太子シグナスが、デボラの肩を抱こうとする。

 デボラは手錠を掛けられた手で、それを跳ねのけた。


「さわらないでっ!」

「おっと。まあまあ、落ち着けよデボラ。

 君がそんなに美しいだなんて、知らなかったんだ。

 海底の泥あさりをさせるのは、やめだ。

 俺は、君を愛そう」


 なんという、不快な愛の言葉。

 この男は、態度が軟化したように感じるが、根本的には、婚約破棄をした時と変わらない。

 自分の欲望が満たされる方向に動いているだけだ。


 そして、シグナスの反対側の隣に座るのは、デボラの妹シェリー。

 シェリーは、シグナスの腕に抱き着き、胸を押し付ける。


「シグナス様ぁ。私の味方じゃないのぉ?」

「シェリー。俺はいつだって、君の味方さ。

 でも、せっかくの姉妹なんだ。

 仲良くやっていこうじゃないか」


 シェリーの豊満な胸の感触に、でれでれと顔を緩めるシグナス。

 シグナスは、シェリーの目が全く笑っていないことに気付かない。


 そして、デボラの憎しみは、シグナスよりも、目の前にいる男に全てが向かっていた。

 アレックスを斬った、無精髭の若い男。

 ヴィクトルと呼ばれていた。


(こいつが……!アレックスを……!)


 着流し姿の、左手を懐に入れた、ヴィクトル。

 全く似合っていない、貝殻のネックレスを着けている。


 ヴィクトルが、シェリーに問いかけた。


「シェリー公爵令嬢様よぉ。

 今度こそは、コルクス公爵家と使用人たちも、ちゃんと集まるんだよな?」

「来るってば。

 しつこいわよ」

「ならいい。

 俺たちにばっかり仕事させておいて、自分らは酔っ払ってるなんざ、腹が立つんだよ」


 ヴィクトルは、それだけ吐き捨てるように言うと、黙りこんで、馬車の外を眺めていた。


 デボラも、つられて外を見た。

 もうすぐコルクス公爵邸へと到着する。

 コルクス公爵邸は、その敷地が一つの(いかだ)になっている。

 中庭に渡された長い橋のみが、本土との唯一の出入り口だ。

 公爵邸には、鉄の鎧で武装した私兵が警備をしている。

 陸上では非常に弱いサハギンの兵士たちからの助けは望めなかった。


(またあそこに、逆戻りなのね。もう二度と帰って来たくなかった)


 デボラはぽつりと涙を流す。




 シグナスの腕に抱き着いていたシェリーは、胸中(きょうちゅう)に何か、漠然とした不安を抱いていた。

 何かを、見落としている気がする。

 いや、逆だ。

 今日見た何かが、過去に見た何かと、類似しているのだ。

 しかし、どうしても思い出せない。

 既視感だけが、募っていく。


 ふと、向かい側に座るヴィクトルを見る。

 ヴィクトルは、懐から出した左手で、貝殻のネックレスを、そっと撫でていた。


 その瞬間、シェリーの心臓が跳ねる。


 シェリーの勘が告げていた。

 何か、気付かなければマズいことが、目の前にある。

 シェリーは、身を乗り出し、ヴィクトルに尋ねた。


「そ、その貝殻、きれいですわね」

「あん?やらねえぞ。こいつは、俺に取って大事なモンなんだ」

「ヴィクトルさん、私たち、前に会ったことあるかしら?」

「さあ。あるかもな。俺は国王陛下に剣の腕を見込まれるまでは、城で下働きやってたから」

「え?お城で?」

「ああ。洗濯係のメイドと、仕事中にリネン室でヤッてのがバレちまってな。クビになったが」


 渇いた笑いで喉を鳴らすヴィクトル。


「まあでも、下働きも悪くなかったぞ。

 意外な所から、意外なアイデアを貰ったりもできたしな」

「え?それはどういう意味……」


 すると、皇太子シグナスが、声を上げた。


「おお、着いたぞ!コルクス公爵邸だ!」


 その場の全員が、馬車の窓から外を見る。


 午後の太陽に照らされながらも、不吉な空気が漂う館。

 長い橋のみが、本土と繋がる孤島。

 これぞ、コルクス公爵邸である。


 館の中からも、中庭からも、鎧を着た兵士たちが馬車を注視している。


 馬車は、コルクス邸へと繋がる橋に乗りかかった。

 軋む音が鳴る。


 橋の下の波間では、武装したサハギンの兵士たちが、デボラたちの乗る馬車を見上げていた。

 だが、デボラを助け出すことはできない。

 陸地での戦いは、サハギンにとって酷く不利なのである。

 サハギン側が大勢で攻め込んだとしても、瞬く間にコルクス邸の兵士たちに皆殺しにされてしまうだろう。


 馬車の中から、橋の下を見下ろすデボラ。

 サハギンたちは、命を懸けてデボラを助けに来てくれたというのに、それに報いることができない。

 そんな自分に、悔しくて、また涙を流す。


 シグナスが、彼方の海上を見て、金色の瞳を輝かせた。


「ははははっ!見ろよ!裏切り者のドワーフどもが、わざわざお越しだ!」


 シグナスの目の先には、一隻の大きな帆船が、海に浮かんでいた。

 帆には、金の塗料で、ビールの入ったジョッキが描かれている。

 チアーズ王国の帆船だ。

 遠くてよくわからないが、ドワーフに海上人、サハギンも乗っているようだ。


 ヴィクトルが、退屈そうに帆船を眺める。


「あ~あ。ご苦労なこって。

 何しようが、デボラお嬢様がこっちにいる限りは、手出しなんて出来やしねえよ」


 再び左手を懐に入れ、背もたれによりかかるヴィクトル。

 その隣に座っていた、丸眼鏡の貴族の子息が、不安げにチアーズの帆船を見つめていた。







 手錠を外されたデボラは、何人かの使用人に、二階の角にある小部屋に連れてこられた。

 意外なほど、綺麗な部屋。

 大きめのベッドもある。

 だが、窓には鉄格子(てつごうし)が嵌められ、ドアも鉄で出来ていた。


 使用人たちに、乱暴にベッドに投げ捨てられるデボラ。


「きゃっ!」


 ベッドのスプリングが、衝撃を受け止めてくれたが、とても令嬢の扱いではない。

 ニヤニヤと笑う使用人たち。


「いやあ、あの不気味な女が、こんなに美人になるなんて、女は怖いねぇ」

「まあ、おかげで俺たちも楽しめるってもんだ」


 そう言って、服を脱ぎだす使用人たち。


 デボラの血の気が引く。


「な、なにを……」

「あん?そんなの、決まってんじゃねえか」

「分かってるくせに聞くなよ」


 上半身が裸になった使用人たちが、じりじりとベッドの上のデボラに迫る。


「まあ、恨むんなら、シェリーお嬢様を恨むんだな」

「これも、シェリー様の命令だ」

「命令が無くても、やってただろうけどな。ははは」


 一斉にデボラに襲い掛かる、使用人たち

 デボラは、両手両足を掴まれ、身動きが出来ない。


「や、やだっ!やめてええっ!」


 涙を流して抵抗するデボラ。

 使用人の一人が、デボラのドレスの胸元に手を掛ける。








「おい、何してくれてんだ、手前ら」


 不意に、部屋の入り口から声がした。


 デボラの服を脱がそうとしていた動きを止め、入り口を見る使用人たち。


 そこには、怒りに瞳を燃やした、ヴィクトルが立っていた。


「な、なんだよ。ヴィクトルじゃねえか」

「お前も混ざりてえのか?」


 左手を懐に入れ、腰に差した剣の柄を右手で掴むヴィクトル。


「その黒姫様は、殿下の物だ。

 勝手に傷物にする訳にはいかねえんだよ」

「で、でもシェリーお嬢様の命令で……」

「あのお嬢ちゃんが何と言おうと、知ったこっちゃねえ。

 俺は殿下の味方だからな。

 黒姫を放せ。斬るぞ」


 身をかがめ、居合の構えを取るヴィクトル。


 それを見て、慌ててデボラから手を離し、ベッドから飛び退く使用人たち。


「わ、わかったって!」

「落ち着けよ!もう!」


 ヴィクトルは、構えを解かないまま、使用人たちに告げる。


「出てけ。命があるうちにな」


 ()()うの(てい)で、逃げ出す使用人たち。

 ヴィクトルの横をすり抜けて、部屋から退散してゆく。


 デボラは、安堵の溜息を吐くと、乱れたドレスの胸元を直し、ベッドに備え付けのハンカチで涙を拭いた。


 だが、ヴィクトルに礼は言わない。

 自分を助けた男は、アレックスを斬った男でもある。

 また、助けられたとは言えど、結局はシグナスのためなのだ。

 いずれにせよ、シグナスに(けが)される運命からは逃れられない。


 ヴィクトルは、剣の柄から右手を離し、デボラに話しかける。


「だんまりかい。

 まあ、仕方ねえわな。

 あの魚の王子を斬ったのは俺だしな」


 その言葉に、憎しみが湧き上がり、涙となって流れ出すデボラ。


「……アレックスを。よくも」


 ヴィクトルは、懐に入れていた左手を抜くと、何やら茶色い四角の革袋(かわぶくろ)を取り出した。


「ほれ、これやるよ」


 デボラへと放り投げられる、革袋。

 デボラは、その革袋を咄嗟に掴む。

 革袋は、空気が入っていて膨らんでいた。


「なにこれ」

「ただの風船。中身は空っぽだ。

 えらい頑丈なんだぞ、それ」


 ヴィクトルは、そのまま着流しを(ひるがえ)し、デボラへと手を振り、部屋を去り行く。


「お嬢ちゃんは、そいつで遊んでな」


 ゴトンと重い音をさせて、閉まる鉄のドア。


「ふざけないで!」


 デボラは、そのドアへと、革の風船を思い切り投げつけた。

 ヴィクトルの言う通り、頑丈な革の風船。

 ドアにぶつけても割れずに跳ね返り、ベッドの足元へと転がった。


 デボラはベッドにつっぷして、涙を流して泣き叫ぶ。


「うああああっ!アレックスっ!」


 だがその声は、鉄の小部屋に、ただ響くだけであった。








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[気になる点] 貝殻のネックレス… [一言] 更新ありがとうございます うーん全く好転の見込が見えない 次回をハラハラしながら待ちます 作者様に感謝
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