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鉄の刃

 踊るジョッキの王国『チアーズ』。


 『乾杯(チアーズ)』の名の通り、元々は、浮き木の王国フロートの、酒造区画であった。

 大麦やホップの広大な畑と、巨大なビール工場が名所の、酒場だらけの国。

 いたるところで、ジョッキの合わせる音が鳴る。

 それが、チアーズ。


 チアーズのドワーフ王は、元来は、ビール工場の工場長だった。

 今では酒の国の王として、工場はもちろん、原材料を育てる畑や、その生命線ともなる肥沃な土の交易など、手広く活躍している。


 そして今日も一日が終わり、仲間のドワーフや海上人、交易に来ていたサハギンたちと、酒場でジョッキを鳴らすチアーズ王。

 全員の声が揃う。


乾杯(チアーズ)!」


 大きなジョッキに満たされていたビールを、一息に飲み干す、チアーズ王。


「かあ~っ!うめえ!やっぱりウチのビールは、たまんねえな!」


 もじゃもじゃの髭に、ビールの泡をくっつけて、歯を見せて笑う。

 チアーズ王は、王となってからは、元々多忙だった日常が、超激務の日々となった。

 毎日、目が回るほどの忙しさで、命の危険すら感じる。

 王は二杯目を飲みながら、思う。


(王様なんて、なるもんじゃねえな。

 やってることは要するに、究極の雑用係じゃねえか)


 チアーズ王は、高齢に差し掛かっているフロート王の夫妻を思い浮かべる。


 皇太子も学園を卒業し、ようやく隠居できるかと思いきゃ、肝心の次期王様が、あのへっぽこだ。

 まだ現役でいることを()いられているのだろう。

 たぶん現在、全ての国の中で一番かわいそうなのは、フロートの王と王妃。

 フロート王国のスラム街のガキの方が、まだ気が楽だ。


 チアーズ王は、半分ほど飲んだジョッキを目の前に掲げてみる。

 すると、半透明のビール越しに、海藻の礼服を着た、髭を生やした壮年のサハギンの男性が歩いてくるのが見えた。


 コバルト王家の執事長、メイルだ。


「おう、メイルさんじゃねえか。どうしたよ?」


 メイルは、背筋(せすじ)を伸ばしたまま、深々とお辞儀をする。


「チアーズ王陛下。緊急の報告がございます」

「なんだい、改まって」

「フロート王国の皇太子一味が、チアーズ国民を誘拐しようと目論んでいるかもしれません」


 チアーズ王は、同じ座席に座っている、ドワーフの警察署長と顔を見合わせる。

 警察署長は、即座に仕事用の顔へと変化した。

 ドワーフは体質的に、酒に酔わない。

 そのため、常に緊急出動の可能性がある警察署長も、酒場に出入りしていたのだ。


 警察署長は、メイルに問う。


「その話、もう少し詳しくお聞かせ願えますかな?」

「はい。私の()()からの情報ですが、シグナス一味の最終目的は、黒姫様を人質に取り、土や石を無償で提供させることのようです。

 彼奴(きゃつ)らは、無辜(むこ)の市民を誘拐し、それと引き換えに、黒姫様を手中におさめようとしております。

 フラッグ王陛下とフォルテ王陛下には、既に同じ話を伝達済みです。

 チアーズ王陛下も、お気をつけくださいませ」


 チアーズ王は、顔を(しか)める。

 あの馬鹿皇太子なら、やりかねない。

 チアーズ王国も、フロート王国の次期国王である皇太子シグナスに見切りをつけて独立したのだ。

 皇太子の愚かさは、十分に思い知っている。


 本来ならば土や石は、コバルト王国では作りにくい特産品などを製造して、交易で手に入れるのが(すじ)だ。

 シグナス一派には、その能力を持つ者が誰一人として無いのだろう。

 元々は、まともな頭の人間も、有能な人間も、シグナスの周囲には沢山いた。

 だが、その全員がシグナスに嫌気がさし、独立した王国へと移住したのだ。

 残ったのは、シグナスと同類のみ。

 当然、(ろく)でもない人間ばかりだ。


 チアーズ王は、メイルの手を握る。


「わかった。気を付けよう。

 メイルさんも、わざわざチアーズまで来てくれてありがとうな。

 本当なら、こっちから議事堂に向かわなきゃいけねえのに、すまん」


 議事堂。


 それは、コバルト王国の近くの浅い海中に作られた、王や貴族たちが集い、外交を行う場所。


 各国の王は、(そら)の魔法は使えるが、コバルト王国ほどの深さまで(もぐ)れるのは、黒姫デボラただひとり。

 しかし、だからと言って、貴重な交易相手であるサハギンの王族を、自分の王国まで呼びつけるなど、厚顔無恥(こうがんむち)なことはできない。

 コバルト王へと相談した結果、折衷案(せっちゅうあん)として、コバルト王国の近くに議事堂を作ることで落ち着いたのだ。

 議事堂には、あらかじめ魔法使いたちの手により、呼吸に適した空気が大量に蓄えられているため、長時間の会議も可能である。


 チアーズ王がメイルを(ねぎら)っていると、通りの向こうから、海上人の警察官たちが、こちらへと急いで走って来るのが見えた。


「陛下!大変です!こ、これを!」


 警察官の一人が、手紙らしきものを握りしめている。

 チアーズ王の元へと全力疾走した警官は、手紙を王に渡す。


 それを素早く手に取ると、文面に目を通すチアーズ王。


「……くそ。マジか。あの馬鹿、本当にやりやがった」


 そこには、チアーズ、フォルテ、フラッグの三国から、ひとりずつ幼い少女を誘拐した(むね)と、少女たちを無事に返すことの条件として、黒姫デボラの身柄を要求することが、書かれていた。

 期限は、明日の昼の十二時までと。







 シェリー・コルクス公爵令嬢の人生は、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の一言であった。

 欲しいものは、望めば全て手に入った。

 きれいなドレスも。

 輝く宝石も。

 美しい男たちの肉体も。


 ある意味では、姉のデボラのおかげと言ってもいいだろう。

 人間は、共通の敵を作ると、団結する。

 シェリーは物心がついた幼い頃から、意図的に、デボラを(しいた)げてもいい女として、仕立て上げたのだ。

 父と母は、デボラを最初から嫌っていたため、驚くほど上手くいった。

 その結果として、コルクス公爵家の家族や使用人たち、そして学園の生徒たちや、皇太子シグナスまでもが、シェリーを中心としてデボラを攻撃した。


 集団のリーダーになるのは、気持ちが良かった。

 自分の命令で、人が動く。


 デボラをいじめると、甘い快感が脳内に走る。

 まさに、人の不幸は蜜の味だ。


 学園の階段からデボラを突き落とした瞬間の、あの顔は今でも鮮明に記憶に残っている。

 思い出すと、笑いが止まらない。

 あまりの爽快感に、病みつきになりそうだった。




 だがそれも、皇太子たちの卒業パーティで、あの魚の王子が登場した時点から、大きく変わった。


 自分よりも遥かに下等なはずの姉が、サハギンとはいえ、王族に求婚されたのだ。

 許せなかった。

 もはや、姉を不幸にすることが、生きがいと言ってもいい。

 何が何でも阻止したかった。

 だから、言ったのだ。


「アレックス様!姉に(だま)されてはいけません!

 姉は、男を毎晩のようにとっかえひっかえ……」

「それはお前の方だろう。シェリー・コルクス公爵令嬢。

 僕が何も知らないとでも思っているのか?」

「な、何を言って……」


 あの時は、血の気が引いた。


(な、なんで!?なんで知ってるの!?)


 せっかく奪った皇太子の婚約者の座。

 このことが知られれば、その立場は消え去るだろう。

 既に、シェリーと肉体関係を持っていた、皇太子シグナス。

 赤い染料を使って、処女に見せかけまでしたのに。


 だが、皇太子シグナスは、シェリーの言う事を信じ切っていた。

 愚かな皇太子は、真実を追求するよりも、自分に取って居心地のいい嘘を、信じたのだ。

 その時、シェリーは確信する。

 もう、自分を疑う者は、周囲には一人もいないのだと。







 ここは、皇太子たちが卒業パーティを行った、庭園区画。


 シェリーの目の前には、三人の幼い少女がいる。

 チアーズ、フォルテ、フラッグから、一人ずつ誘拐してきたのだ。

 全ては、デボラを手に入れるため。

 少女たちは、デボラと引き換えに返すことになっている。

 期限である昼の十二時まで、あと少し。

 もしデボラが現れなければ、少女たちは死体となって帰国することになるだろう。


 皇太子は、いつの間にか美しくなっていたデボラに心を奪われているようだが、デボラが皇太子の寵愛(ちょうあい)を受けることなど、絶対に許さない。

 デボラは、手に入り次第、コルクス公爵邸の部屋を改造した牢屋に閉じ込める予定である。

 皇太子の愛も、周囲の人間の賞賛も、全て自分のものだ。




 シェリーは、皇太子の横にいる、着流しを着た、まだ若い無精髭の男を見る。

 皇太子の護衛、ヴィクトル。

 スラム街の出身で、ヴィクトル自身すらも、自分の素性が分からないらしい。

 だが、剣の腕は立つ。

 ヴィクトルがいる限り、誰も皇太子を傷つけることはできない。


 ヴィクトルは、首に巻貝の貝殻のネックレスを着けていた。

 貝殻のネックレスは、笛にもなると聞いたことがある。

 ヴィクトルはそのネックレスを、絶対に他人に触れさせない。

 亡き親友の形見とのことだ。


 ヴィクトルは、シェリーに呟く。


「ったく。大事な取引の時だってのに、コルクス公爵たちは何やってんだ?」

「またどっかでワインでも飲んで酔いつぶれてるんでしょ。夜になったら勝手に帰って来るわよ」

「そうかい。公爵様は気楽でいいねえ」


 ヴィクトルは左手を、(ふところ)に突っ込んだまま、あくびを噛み殺す。

 仲間内の噂によると、ヴィクトルはサハギンを猛烈に嫌っているらしい。




 この海の世界の支配者はサハギンだが、海上人がサハギンに勝てる物が、ひとつだけあった。


 鉄だ。


 鉄は海水で錆びるため、サハギンは鉄の装備が使えない。

 鋭い珊瑚の槍や、頑丈な貝殻の鎧を身に着けたところで、鉄の剣の前には、紙も同然である。


 鉄の剣を帯びたヴィクトルは、サハギンが何人かかってこようと、全てを斬り殺すだろう。




 シェリーは、懐から小さな時計を取り出し、時刻を確かめる。

 もう、昼の十二時。




 すると、シェリーが眺める時計の向こうの波間に、ピンクのイルカに乗った、漆黒のドレスの美しい女性が現れた。


 黒姫デボラだ。


「ははっ。お姉様、馬鹿正直に来たわよ」


 デボラの後ろからは、サハギンの王子アレクサンダーと、護衛の兵士が何人か続いている。


 皇太子が、叫ぶ。


「デボラを先に寄越(よこ)せ!この少女たちは、その後で返す!」


 アレックスと兵士たちは、今にもシグナスたちに襲い掛かるかと思うほどに、殺気立っている。

 それをデボラが手で制した。


「アレックス、だいじょうぶ。ちょっと行って来るだけだから」


 デボラはピンクのイルカに乗ったまま、庭園区画の端へ寄ると、そのまま庭園へと登る。


 庭園の石畳の上をゆるやかに歩く、褐色の肌の、美しき黒姫。

 皇太子シグナスは、デボラに心を奪われる。


「デ、ボラ……。ああ、きれいだ。なんで気付かなかったんだろう。お前は、もう俺のものだ」


 その言葉に、一瞬で頭に血が上るシェリー。


(この馬鹿皇太子。アンタは、私が権力を握ったら、用済みよ。殺してやるわ)


 シグナスを殴りそうになる衝動を、歯を食いしばって耐えるシェリー。




 シグナスが、ヴィクトルに呼びかけた。


「ヴィクトル!デボラに手錠をかけろ!それで取引は成立だ!もうガキなんぞいらんから、離してやれ!」

「はいよ」


 ヴィクトルが、左手を(ふところ)に突っ込んだまま、シグナスの横を通り過ぎる。

 そして右手で、腰に下げていた鉄の手錠を、デボラの両手にかけた。


「これで、あんたはシグナス殿下のものってわけだ」


 手錠の鎖を持って、再びシグナスの横を通り過ぎ、デボラを連れ去ろうとするヴィクトル。


 その時、アレックスが、兵士を振り払い、海の中から飛び上がった。

 その手には、鋭い珊瑚の槍を構えて。


「デビーを放せっ!」


 石畳に着地するや否や、思い切り陸上を駆け抜けるアレックス。

 今ならば、誰も武器を抜いていない。

 今だけが、デボラを無傷で取り返すチャンスだ。


 アレックスの槍の切っ先が向くのは、真っ白な髪の美青年、シグナス。

 シグナスは、ただ金色の瞳で、迫る珊瑚の槍を見ていた。




 しかし、その鋭い珊瑚の切っ先は、斬り飛ばされる。

 抜き払われた、ヴィクトルの鉄の剣によって。




「おい。魚ごときが、ウチの殿下になにしてくれてんだ?」


 ヴィクトルが、血走った目で、アレックスを睨む。

 ヴィクトルは、懐に入れていた左手を、もの凄いスピードで抜いて、アレックスの胸へと掌底を叩きこむ。

 ヴィクトルは、居合(いあい)の達人。

 剣でも素手でも、仕舞(しま)われた状態から抜きざまの速度が、天下一である。


 ヴィクトルの居合の掌底を食らい、庭園の端まで吹き飛ぶアレックス。


「が、はっ!」


 再び左手を懐に仕舞い、アレックスの元へと走り抜けるヴィクトル。

 ヴィクトルが、アレックスに肉迫する。


「俺はなぁ。サハギンが死ぬほど嫌いなんだよ」




 そして、ヴィクトルがアレックスの耳元で、何かを呟いた。

 目を見開き、ヴィクトルを見るアレックス。




「理解したか?サハギンが俺に何をしたのかをよぉ!

 分かったら、とっとと死んでおきな!」




 ヴィクトルは、鉄の刃を振りかぶる。


 そして、アレックスの胸元へと振り下ろされた。


 アレックスの胸元から、噴き出す大量の血液。


 庭園の石畳に、血の池ができる。




 デボラが、悲鳴を上げた。


「アレックスっ!」




 アレックスは、ネイビーブルーの瞳に、血に染まった鉄の刃を映しながら、海へと落ちて行った。








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[気になる点] ヴィクトルのネックレス アレックスに囁いた過去とは [一言] 更新ありがとうございます 前話の感想への詳細なご返信 誠にありがとうございます 今話執筆と二度手間になり 申し訳ございま…
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