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【妹シェリー視点】あ、あれがお姉様……?

水上(すいじょう)舞踏会(ぶとうかい)?」


 シェリーは一糸まとわぬ裸のままで、隣でシャツを着る皇太子シグナスに聞き直した。

 シグナスは、チラシをシェリーに渡す。

 シェリーは、そのチラシを、まじまじと見つめる。


「今日の午後から、デボラが、あの魚の王子と、開催するそうだ。

 水上ってがよくわからんけどな。

 船の上でやるのか?」

「ふふっ。あのお姉様が?

 あのひと、ダンスなんて踊ったことないはずよ。

 なにせ、相手がいませんでしたから」

「俺も、あいつ相手なんぞ、ごめんだったからな」


 デボラが半魚人の王子と婚約してから、二週間が経つ。

 最近では、姉は『黒姫』などと呼ばれているらしい。

 薄汚れた姉にはぴったりの呼称だ。


「きっと、無様な姿を(さら)すに決まっているわ。

 ねえ、シグナス様。

 お姉様の()()姿()、見に行きません?」


 シャツのボタンをとめたシグナスは、シェリーの寝ているベッドに腰かける。


「いいな。でも、招待状なんて貰ってないぞ?」


 シェリーは、チラシをシグナスに見せる。


「誰でも自由に参加可能らしいですよ」

「それ、本気か?庶民に混じって踊るのか!デボラらしいな!」


 シェリーからしてみると、庶民と触れ合うなど、(きたな)すぎて絶対にごめんだ。

 庶民と貴族は、決して混じり合うことなどないのだ。


 シェリーは、サイドテーブルに置いてあった、オレンジジュースの入った銀の盃を手に取り、ひとくち含む。


(お姉様が不幸になればなるほど、私が楽しく幸せになるのよ。

 ああ、早く見たいわ!大勢の前で、お姉様が恥をかくのを!)







 シェリーと皇太子シグナスは、金に(ふち)どられた小船を従者に()がせ、水上舞踏会が開催される、珊瑚礁の浅瀬へと向かう。


「見えてきました。すごい人だかりね」

「……ん?みんな、水の上に立ってるぞ?」

「たぶん、お姉様の(そら)の魔法か何かで、海の上に空気の床を作っているんだと思います」


 海の上に立つ集団の周りに、停泊している多くの小船。

 シェリーたちも、その小船に混じり、自分たちの船を停める。


 シグナスが、目の前の海に張られた、空気の塊の床に触れる。


「これ、本当に乗っても大丈夫なのか?

 壊れたりしないか?」

「お姉様はグズで頭の回転が(にぶ)い人でしたが、空の魔法だけは唯一の取柄(とりえ)ですので、これだけは大丈夫だと思います」


 シェリーは、小船から降り、海の上に立つ。

 空気の床は、石の地面のように頑丈で、まだまだ多くの人数が乗っても、びくともしなさそうだ。


 それにしても、なかなかの観客だ。

 観客が多ければ多いほど、面白いことになるだろう。


 「ん?あれは……」


 シェリーの目の先には、つい先日、フロートから独立した国々の重鎮が揃って木の椅子に座っていた。


 吹き抜ける風の王国『フラッグ』の、片眼鏡(モノクル)の王。

 情熱の音の王国『フォルテ』の、シルクハットの王。

 踊るジョッキの王国『チアーズ』の、もじゃひげのドワーフ王。


 みな、浮き木の王国フロートを裏切った者たちだ。


「見てください、シグナス様!

 王を(かた)る恥知らずどもがいますわ!」

「あいつら……!

 よくもまあ、公式な場に顔を出せたものだな!」


 新たなる王たちを見て、(いきどお)る皇太子シグナス。


 だが、(ぎゃく)もまた(しか)り。

 フォルテ王は、群衆の中に紛れた、シグナスとシェリーを見つけ、(あざけ)る。


「見てください、フラッグ王、チアーズ王。

 愚かにも黒姫様を追放した、(そら)の魔法も使えぬ、名ばかりの皇太子とやらが来ておりますぞ」


 チアーズ王は、腹を抱えて笑う。


「がっはっは!

 なんと、アレクサンダー王子殿下主催の舞踏会へと来やがったのか!

 俺も(つら)の皮は厚いと思っとるが、あいつに比べたらペラペラよ!」


 フラッグ王は、モノクルを着けなおし、その目に(たた)えた怒りをなんとか(しず)める。

 先週から正式な交易が始まった、フラッグ王国とコバルト王国。

 新たに開発された、海藻を素材にした服や、錆びない金属類で作られたアクセサリーは、コバルト王国のサハギンたちには非常に好評だった。

 もともと独立前から、サハギンとの交流は他の区域よりも深かった、フラッグ王国。

 今では、サハギンたちは頻繁にフラッグ王国へと遊びに来る、ただの顧客を超えた友人となりつつある。

 サハギンたちを侮辱する皇太子シグナスのことは許せなかった。


 また、黒姫デボラは、フラッグ王国でも大人気なのだ。

 身分を一切気にせず、誰にでも笑顔の、褐色の肌の美しき黒姫。

 しかも、空の魔法の達人でもある。

 このような逸材がなぜ埋もれていたのかを調べるうちに、デボラが実の家族から、どのような扱いを受けて来たのかを知った。

 フラッグ王の怒りは、皇太子よりも、デボラの妹シェリーへと向かっている。


 こめかみに血管を浮かばせ、歯を噛みしめるフラッグ王。


 そこに、シルクハットをかぶったフォルテ王が、フラッグ王の肩を軽く叩く。


「気持ちはわかりますぞ、フラッグ王。

 しかし、奴らはすぐに思い知ることになるでしょう。

 黒姫様の本当の姿を。

 そして、後悔したところで、もう遅い、ということを」


 フォルテ王は、木製の椅子から立ち上がると、シルクハットを脱ぎ、観客へとお辞儀をする。

 そして再びシルクハットをかぶりなおし、王たちの隣に陣取っていた、オーケストラへと向かう。

 懐からは、銀のタクトを取り出して。


 フォルテ王は、王であると同時に、指揮者でもあるのだ。


 フォルテ王が、タクトを(かか)げると、オーケストラの面々(めんめん)が、楽器を構える。


 フォルテ王は、銀のタクトを、そっと動かす。


 静かに、静かに始まる、バイオリンの音色。


 そして、オーケストラの脇から登場したのは、流線型の細身の黒いドレスを着たデボラと、その手を取るタキシードを着たアレックス。


 デボラとアレックスは、空気の塊で出来た舞台の中央へと足を運ぶ。


 広い舞台には、デボラとアレックスのふたりきり。

 周囲には、満員の観客。


「デビー。だいじょうぶ?」

「うん。とっても楽しみ」


 ふたりに注目する、観客たち。

 デボラとアレックスは、向かい合わせに立つ。


 ゆるやかなバイオリンの音色に合わせて、ゆるやかにステップを踏むデボラ。

 それをしっかりと支える、アレックス。


 ダンスは、女性が主役なのだ。

 女性が花。

 男性は、女性の美しさを引き出す、花瓶。

 デボラを輝かせるのが、アレックスの役目だ。


「デビー。遠慮はいらないよ」


 デボラがアレックスと目を合わせ、にこりと微笑む。


 くるりとターンをする、デボラ。

 ドレスの裾が、ひらりと舞う。


 徐々に、オーケストラに他の楽器も混ざる。

 トランペットにフルート。

 銀のタクトをしなやかに振る、フォルテ王。


 音の色が、鮮やかになってゆく。

 そして、デボラの動きも一気に広がる。




 くるくると回る、デボラ。


 (そで)とスカートについた、黒いレースが、まるで魚のヒレのよう。


 長い黒髪が、宙を舞う。


 ステップは、海の中で踊るように軽やかだ。




 陸上での歩行が苦手なサハギンであるアレックスは、特別製の靴を履いていた。

 歩くのには向かないかわりに、しっかりと地面に立てるように作られた靴を。

 デボラが自由に踊るため、何があってもデボラを支えるための靴を。


 珊瑚のように直立するアレックスの周りを、優雅に舞うデボラ。


 それはまるで、珊瑚礁に泳ぐ、漆黒の美しき魚。


 観客の誰もが、デボラに見惚(みと)れていた。

 皇太子シグナスさえも。


 デボラの妹、シェリーは、混乱していた。


(えっ。あ、あれがお姉様……?

 なんで!なんであんなに踊れるの!?

 あのトロいお姉様が!

 空の魔法以外、何にもできないはずのお姉様が!)


 デボラは、ドレスを(なび)かせ、優雅に舞いながら、子供たちにウインクをした。


 子供たちも、にっこりと笑う。




 デボラは、まだコルクス公爵家に居た頃は、納屋の中でひとり、ずっとダンスの練習を欠かさなかったのだ。

 皇太子の婚約者として。

 いつ、皇太子と踊ることになったとしても、大丈夫なように。

 ずっと、ひとりで。


 結局、皇太子と踊る機会は訪れなかったけれど、巡り巡って、アレックスの手を取ることができた。


 これもまた、運命だろうか。




 デボラは舞う。

 大勢の観客の中心で。

 空気を固めて作った、透明な地面の下では、色とりどりの魚の大群が、デボラの足元を泳いでいた。




 先ほどまではシェリーに怒り狂っていたフラッグ王も、今では、デボラを見つめるばかり。


「……美しい」


 今、デボラが着ている漆黒のドレスは、フラッグ王も作成に(たずさ)わっていた、思い入れの強い品。

 物作りを生業(なりわい)とする人間からすれば、作った品物は、我が子同然。

 きっと、デボラでなければ、あのドレスも、真の美しさを引き出せなかったであろう。


「黒姫様。ありがとう。そのドレスをここまでの物にしてくれて」


 フラッグ王の、モノクルの端から、涙が頬を伝った。




 フォルテ王が、銀のタクトを振る。

 ちらりとデボラを見た。


 デボラは、数回のターンを決めながら、アレックスと距離を取る。

 そしてデボラも、フォルテ王に目で合図をする。




 フォルテ王が、タクトを一振りすると、その瞬間、音が止まった。




 完全なる、無音。




 観客たちも、声一つ上げなかった。




 チアーズ王も、フラッグ王も、目を見張る。




 アレックスと距離を取っていた、デボラ。


 無音の空間を、アレックスに向かって全力で駆ける。


 アレックスは、右手を握って、前に差し出した。


 そのアレックスの右手を足場に、跳び上がるデボラ。


 (そら)の魔法で、大きく空中に浮かび上がる。




 デボラが、アレックスの頭上を舞う。




 そして、背筋(せすじ)を伸ばしたまま、空中を一回転。


 ドレスの裾が、魚の尾びれのように、ひらひらと(なび)く。


 そのまま、透明な地面へ、ふわりと降り立つ、デボラ。




 その姿は、まさに漆黒の天女だった。




 フォルテ王が、パーカッション組へと、タクトを振る。


 たった一発だけ、大きく鳴る、ドラムとシンバル。


 その音を最後に、デボラとアレックスのダンスは終了する。

 観客たちに、優雅に礼をする、デボラとアレックス。




 観客たちからは、拍手と大歓声の嵐が巻き起こった。




 チアーズのドワーフ王が、大笑い。


「がっはっは!黒姫様、てっきり箱入り娘かと思ってたが、ありゃあ、相当なお転婆(てんば)だなあ!俺は気に入ったぞ!」


 その隣では、フラッグ王が、片眼鏡(モノクル)を外して大泣きしていた。


 そして、海上に響き渡る、デボラの声。

 空の魔法で、音量を上げているのだ。


「皆さま、ありがとうございました!

 水上(すいじょう)舞踏会(ぶとうかい)、これより開催です!

 みんなで踊って、楽しみましょう!」


 フォルテ王のタクトの一振りと共に、先ほどとは打って変わって、ド派手なオーケストラの演奏が始まる。


 それをきっかけに、まず動いたのは、子供たちだった。


 デボラに殺到する、子供たち。


「黒姫様、とっても素敵でした!」

「私も黒姫様みたいになりたい!」

「黒姫様、いっしょに踊ろう!」


 大勢の子供たちがデボラの手を取る。

 アレックスにもまた、子供たちに囲まれていた。


「王子殿下、このタキシード、いい作りだな!」

「フフフ……。ボクにはわかってますよ。黒姫様の動きは、王子殿下のサポートがあってのこと……」

「殿下、サ、サインをください!このハンカチに!」


 子供たちと一緒に踊るデボラ。

 ハンカチにサインをするアレックス。

 ふたりは、お互いを見合うと、自然と笑顔がこぼれる。




 会場に来ていた一般市民たちも、オーケストラに合わせて踊り出した。


 スタンダードなワルツを踊るカップルもいれば、ブレイクダンスの対決をしている少年たちもいる。


 フラッグ王と、その妻が、感動の涙を流してゆるやかに踊っている。


 チアーズ王が、ブレイクダンスの少年たちに混ざり、逆立ちしながら身体を高速で回転させていた。




 誰もが、ダンスを楽しんでいた。

 誰もが、笑顔で。


 透明な床の上で。

 カラフルな珊瑚礁の真上で。








 シェリーは、観客に混ざり、鬼の形相をしていた。


「なんで!なんでなんで!

 あのグズでノロマなお姉様が!

 なんであんな幸せそうな顔をしてるのよ!

 絶対に許せない!

 お姉様は不幸じゃないとダメなのよ!」


 その隣では、シェリーとデボラを交互に見つめる、皇太子シグナス。


「デ、デボラ、あんなに綺麗だったか?」


 シグナスの記憶では、ボロボロのドレスを着て、ぐしゃぐしゃの長い黒髪の、陰気な女だったはず。

 今、目の先にいる、美しい黒髪と、黒く輝くドレスの似合う美女は、一体誰なのだ。


 シェリーは、シグナスの手を取り、自分たちの小船へと向かう。


「シグナス様!もう行きましょう!

 こんな、こんなはずじゃ!」


 シグナスは、シェリーに手を引かれながらも、明らかにデボラに目が行っている。


「シェ、シェリー。もうちょっとだけ……」

「シグナス様!」


 シェリーは、シグナスの手を思い切り引っ張った。

 その途端、シェリーたちの足元の、透明な床が消失する。


「……は?」


 その勢いのまま、シェリーは顔面を、シグナスは後頭部を、小船の角にぶつける。


「ふぎゃっ!」

「ぎゃあっ!」


 そして、大きな波音を立て、海に沈んでゆく二人。




「がぼぼぼぼっ!」




 ひたすら海水を飲んで、死にかけたところで、ようやく小船に控えていた従者に助け出されたシェリーとシグナス。


 船の上で、白目を向いて、海水を吐き出しているシェリー。


(なんで、私がこんな目に……!

 全部、お姉様のせいよ!)








 海の上の透明な床の上で、くすりと笑うデボラ。


(まあ、これくらいは、ね?)


 シェリーとシグナスの足元の床を消したのは、もちろん、床を作っていた張本人であるデボラ。

 しかし、笑っているところを、チアーズのドワーフ王に見られてしまった。


(あ、バレちゃったかな?)


 だが、チアーズ王は、シェリーとシグナスが溺れるさまを見て、デボラに向かって親指を立てる。


「あはっ!」


 デボラも、チアーズ王に向かって、親指を立てて、思い切り笑った。








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[良い点] 文字だけで表現されているのに デボラの踊りの美しさ優雅さ 音楽のテンポやブレイク 全てが見えて聴こえてくるかのよう フラッグ王の涙も美しい [気になる点] シグナスは本当にオタンコナス …
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