ようこそ、コバルト王国へ!
光る石で照らされた洞窟の中を、アレックスに手を引かれ、デボラは進む。
洞窟の中は太陽の下のように明るく、いつか見た浅瀬の珊瑚礁のように、カラフルな珊瑚と、カラフルな熱帯魚の群れで、彩られていた。
デボラの横を、ウミガメが泳ぐ。
デボラはウミガメに笑いかけた。
そして、広大な空間へと辿り着いた。
デボラはアレックスと一緒に、水面から顔を出す。
そこは、半径が百キロメートルを超えるであろう、大洞窟。
上空に輝く鉱石により、晴れの日の空の下のよう。
フロートの王国よりも、ずっと大きい街並みが、ひたすら続く浅瀬の上に、広がっていた。
浅瀬の上には、石で出来た家が建っている。
道路は無く、かわりに水の上を荷物を積んだ小舟が行き来する。
水路の下にも、色とりどりの珊瑚たち。
ものすごい数のサハギンたちが、水の中を泳いで、移動していた。
アレックスが、ゆったりと揺蕩いながら、デボラへと振り向く。
「ようこそ、コバルト王国へ!」
大きな水路の先に建っていた、小さなお城。
それが、アレックスの住まう、王城。
アレックスが、水路を泳ぎながら、デボラの顔を覗き込む。
「思ったより小さいでしょ?お城」
「うん。でも、かわいい。お城って言うよりも、お屋敷って感じね」
「僕も、気に入ってるんだ。
城を大きくなんかしなくても、コバルト王国が豊かなのは、みんな分かってるから。
わざわざ力を誇示しなくてもいい」
アレックスに手を引かれて、王城へと入る、デボラ。
廊下を歩く兵士の数も、あまり多くない。
そのかわりに、文官と見られる人物が多かった。
「兵も少ないのね」
「ははは。そもそも、敵がいないからね。
貴族たちも、貴族同士や領民と仲がいいし。
兵士たちの仕事も、たまに起きる万引き小僧を懲らしめる程度だよ」
何て平和な場所なんだろうと、デボラは思う。
フロートの王国では、貴族同士がいがみ合い、隙あらば領土を乗っ取ろうと、傭兵を集めて画策しているのに。
当然、治安は悪くなるばかり。
デボラも、自宅の庭から出なかったため無事だが、もし一人で外をうろついていたら、いつ悪漢に襲われてもおかしくないほどだ。
そうこうしている内に、廊下の突き当りの両開きの扉の前に出る。
扉の両側に立っていた兵士たちが、アレックスにお辞儀をした。
「おかえりなさいませ、殿下」
「その方が、いつも仰っていた、運命のお方で?」
「お前ら、余計なことを言うなっ!」
赤くなるアレックスと、けらけらと笑う兵士。
こんな場面を見ると、本当に仲がいいのだなと思う。
「殿下、両陛下がお待ちですよ」
兵士が扉を開けると、そこには、アレックスよりも背の高い、筋肉質の美形の中年男性と、ネイビーブルーの長い髪が美しい、女性がいた。
「父上、母上、ただいま帰りました」
「おお、アレックス。おかえり」
「まあまあ、報告では聞いていたけど、デビーちゃんと上手くいったのね!」
アレックスに母と呼ばれた女性は、若々しすぎて、姉ではないかと疑うほどだ。
その母、つまり王妃が、デボラの元へ駆け寄って来た。
「デビーちゃん、昔の面影はあるけど、ますます可愛くなったわねぇ!」
王妃に手を握られたデボラは、目を丸くする。
「え?私の事、知ってるんですか?」
「うふふ。実はね、私も主人も、昔、アレックスと貴方が遊んでいるところを、よく遠くから眺めていたのよ。
あの時から、二人は絶対にお似合いだと思ってたんだから!」
はしゃぐ王妃。
そこに、アレックスの父である、王が歩いて来た。
「デボラさん。アレックスを選んでくれてありがとう。
貴方に婚約者が出来たと聞いた時から、何年もずっと、アレックスは塞ぎ込んでいたんだ。
でも、私も個人的に不服だったため、フロートの王国の情報は、常に仕入れていたのだ。
そうしたら、あなたの不遇と、あなたの妹の悪辣ぶりがいくらでも耳に入って来てね。
せめて、アレックスの代わりに婚約者となったシグナス皇太子がまともならばと思って、手出しはせずに我慢していたが、今日のあのやらかしっぷりだ。
よくぞ貴方を奪ってきたと、我が息子を褒めてやりたいぞ!ふはははっ!」
そこに、耳まで真っ赤に染まったアレックスが、のそのそとやってきた。
「父上。母上。そこまでに……」
デボラは、嬉しすぎて涙が出そうだった。
実の母が病気で亡くなってからというもの、人間扱いされたことなど、一秒たりとも無かった。
それが今、夢にまで見たアレックスとの再会に加え、その両親からの温かい笑顔に包まれて。
デボラの背後から、王妃がデボラの肩に触れる。
「デビーちゃん。デビーちゃんは、もう私たちの娘も同然なんだからね?
アレックスを、どうかお願いします」
「わ、私の方こそ!お願い、し、ま……、うわあああああん!」
デボラの目からは、涙がどばどばと流れて来ていた。
自分でも、止められなかった。
どんなに辛い目に合っても、流さなかった、涙。
一生続くかとも思えた苦痛の現実に向き合うことが出来ず、いつの間にか感情を封印してしまっていた。
こんなに嬉しいことがあって、ようやく人としての感情を取り戻せたみたいだ。
デボラは、アレックスに思い切り抱き着いて、泣いた。
その涙は止まることが無く。
それは、幼い頃にアレックスと別れ、母が亡くなってから、ずっと流したかった、喜びの涙。
アレックスは何も言わず、ただデボラの身体を受け止め、髪を優しくなでてくれた。
★
その夜、ボロボロのドレスの代わりに、新しいドレスを作る仕立て屋が城にやってきた。
「あっらー!な~んて可愛らしいお姫様なんでしょっ!」
明らかに男性の声だったが、彼女の心は女性らしい。
名をマダム・タイド。
なんと、これでも貴族のようだ。
化粧はバッチリ。縦ロールの青髪に、虹色の巻貝を頭に乗せている。
ちなみに、顎がすごい割れていた。
それにしても、貴族が仕立て屋をするなど、フロートでは考えられない。
マダム・タイドに聞くと「これは全部、わたしの趣味よっ!」とのこと。
フロートでは、貴族と言えば、昼間からワインを飲んで酔っている者しか見たことが無い。
マダム・タイドの仕立て屋としての腕は、確かなようで、デボラがぼーっとしている間に、凄まじいスピードで寸法を測り、ドレスを選ぶ。
「ん~、本当はイチから作りたいんだけどぉ、それじゃあ、ドレスが出来上がるまでの間、デビーちゃんが着るもの無いのよねぇ。
なので、今回は、既成のドレスをパパッと手直しして、まずはそれを一着目にしちゃう!」
マダム・タイドは、持って来た幾つもの海藻のドレスの中から、きらきらと光沢のある細身の黒いドレスを選び、もの凄い速さで手直しをする。
「デビーちゃんは、せっかくきれいな黒髪と黒目なんだから、それを活かさなきゃもったいないわ!」
速攻で縫い終わったドレスを着てみると、まるで最初からデボラに誂えたかのように、似合っていた。
「マダム・タイド、これ、すっごく素敵です!」
「気に入って貰えて、何よりよ~。
もちろん、ウエディングドレスは、激烈に気合い入れて作るわよっ!」
デボラは城の中のダイニングのドアを開けて、頭だけをドアの隙間から出した。
その中には、アレックスと王と王妃。
三人が一斉に振り向く。
「デ、デビー、どうだった?」
「え、と。ちょっと恥ずかしいけど、こんな感じになりましたー」
デボラはドアを開けると、細身の黒い、シルクのような光沢の海藻のドレスを身に付けていた。
王と王妃が、ぱちぱちと拍手する。
「素敵よ、デビーちゃん!」
「やはり、マダム・タイドに頼んだのは正解だったな」
しかし、アレックスは、固まってしまい、何も言わなかった。
「あ、もしかしてアレックス、こういうの、あんまり好きじゃない?」
「ち、違う!その、か、かわいすぎて……。似合ってる。似合い過ぎてて、ヤバい」
アレックスは、水色の頬を真っ赤に染めて、デボラをチラチラと見ていた。
デボラも、何だか気恥ずかしくなってしまい、アレックスの顔を見れなかった。
アレックスは、目を合わせない代わりに、デボラの手を取る。
「デビー。僕に付いて来てくれて、ありがとう。
絶対に、幸せにするから」
「アレックス。私、もうとっても幸せよ」
「まだ。まだ足りない。もっと幸せにして、僕の元から、ずっと離れられなくしてやる」
それを聞いて、思わずニヤケ顔になるデボラ。
実はもう既に、アレックスの元から離れることなど、考えられなくなってしまっているのだ。
その夜は、貴族のみんなを紹介され、おいしい海鮮料理に舌鼓を打った。
こんなにおいしい夕食は、生まれて初めてかもしれない。
そして、貴族のみんなは、とてもいい人たちばかり。
マダム・タイドが、自慢げにドレスの解説をしていた。
★
デボラが、ふわふわのベッドで眠りについたころ。
城の玉座の間では、アレックスを含めた、貴族たちが集っていた。
貴族の一人が、発言する。
「……で、どうする?フロート」
その一言だけで、貴族たちの目に怒りが燃える。
アレックスが、拳を握りしめる。
「あの天使のようなデビーを、邪悪な魔女扱いし迫害してきた国だ。
特に、彼女の実家のコルクス公爵家」
貴族たちが、賛同する。
「話には聞いていた。彼女は、自室も貰えずに、藁の山で寝ていたとか」
「食事も、まるで残飯のようなものばかりだったそうな」
「おまけに婚約破棄をされた時には、尻軽女扱いだったらしいじゃないか」
アレックスが、返答する。
「ああ。それは、僕がこの耳で聞いた。
怒りで頭がおかしくなりそうだった。
あの場の全員を叩き潰してやりたい!」
王が、激怒するアレックスの腕に触れる。
「まあ待て。それは最後だ。
その前に、自分たちが何をしてきたのか、その罪深さを思い知らせねばなるまい」
王が、決断する。
「フロートへの、土と石の輸出を止める」