偽装
巨大なクジラに、中央からまっぷたつに割られた、コルクス公爵邸の筏。
両断された地面は、割れた中央部分から沈み始め、大きく斜めに傾いていた。
その時、クジラの脇の水面から、何かを抱えた人影が、大きく跳び上がる。
その人影は、ヴィクトルの目の前へと舞い降りた。
コバルト王国の執事長、メイル。
そして、メイルに抱えられていた、コバルト王国第二王子・テオドールが、地面へと降り立つ。
皇太子シグナスは、沈みゆく地面に這いつくばりながら、怒鳴る。
「さ、魚の第二王子!何でこんなところに!」
その問いには、テオの代わりにヴィクトルが答えた。
「そりゃあ、こういうことだからですよ」
ヴィクトルが、腰のあたりで手のひらを開く。
テオが、その手のひらに、ハイタッチをした。
小気味のいい音が、鳴る。
ヴィクトルは、テオを見て、笑った。
テオが、ヴィクトルに文句を言う。
「お前、ボクを勝手に死んだことにすんなよ」
「いやあ、親友の形見ってことにしておけば、誰も笛を触んないと思いまして」
「でも、よくやった」
「あれ?親友ってのは訂正しなくていいんですかね?」
「うん」
それを見て、シグナスは叫ぶ。
「お、お前ら!まさか!
ヴィクトル!お前、サハギンが嫌いって……」
「ええ、嫌いですよ。サハギンなんて。
どいつもこいつも、いいやつばかりで。
誰かひとりでも死んだりしたら、俺は悲しくて胸が張り裂けそうになるでしょう。
だから、サハギンなんて、大嫌いです」
ヴィクトルは、シグナスに笑顔を向ける。
「その点、アンタたちは、大好きです。
アンタらが、死のうがどうなろうが、全く心が痛まないんですから。
騙しても裏切っても、俺の心は、これっぽっちも傷つかない。
だから、アンタたちは大好きだ」
唖然とするシグナス。
ようやく、状況が少しだけ分かって来た。
何と言う事は無い。
丸眼鏡の青年と、ヴィクトル。
サハギンのスパイは、二人いたのだ。
だが、シグナスは解せなかった。
ヴィクトルは、あの丸眼鏡の青年を斬り殺したではないか。
そう思いシグナスは、中庭に蹲った、丸眼鏡の青年の死体を見る。
すると、先ほどヴィクトルに腹を斬られた、丸眼鏡の青年が、何事も無かったかのように起き上がる。
その腹には、血で赤く染まった、四角い何かが、くっついていた。
丸眼鏡の青年は、ヴィクトルに怒鳴る。
「ヴィクトル!お前の掌底、かなり痛かったぞ!」
「すまん!でも、あの距離で手加減したら、バレちまうからさ!」
シグナスは、またもや混乱する。
何が、おきているのだ。
シェリーは、ヴィクトルへの怒りと、既視感から真相を気付けなかったことの悔しさで、拳を握りしめていた。
既視感。
今日見た何かが、過去に見た何かと、類似していた。
それは、当然だ。
シェリー自身が、過去に使った手口なのだから。
皇太子シグナスに、自分が処女と見せかけるため、赤の染料を使った、偽物の血液。
血の偽装。
ヴィクトルは言っていたではないか。
『洗濯係のメイドと、仕事中にリネン室でヤッてのがバレちまってな』
『意外な所から、意外なアイデアを貰ったりもできた』
血がついたシーツは、当然、洗濯係のメイドが洗う。
リネン室を逢引の場所に使っていたということは、ヴィクトルの相手は、シーツを担当している洗濯係だ。
リネン室にいたヴィクトルが、洗濯前のシーツを目撃したのだろう。
偽物の血がついた、シーツを。
デボラは、アレックスに抱き着く。
その目からは、涙を流して。
「アレックス!心配したんだから!」
「ごめん、デビー。
でも、僕が下手に出てくると、ヴィクトルの計画が台無しになっちゃうから」
「そ、そうよ!アレックス、ヴィクトルに斬られた傷は!?大丈夫なの!?」
アレックスは、赤く染まった自分の胸を、デボラに見せる。
「僕は、傷一つ付いてないよ」
その胸には、真っ赤に染まった、四角い何かが貼り付けられていた。
「あ、これ……」
それは、白い海藻・シルクウィードで包まれた、革で出来た、四角い風船。
デボラがコルクス公爵邸の小部屋に監禁されていた時、ヴィクトルがデボラに手渡したものと同じもの。
デボラが思い切り叩きつけても、全く割れなかった、頑丈な革の風船だった。
★
それは、今日の昼間、デボラがシグナスたちに攫われた時のこと。
激高したアレックスが、我慢できずに、珊瑚の槍を持って、海中から飛び出した時のこと。
アレックスの槍の穂先は、シグナスを貫こうと、捉えていた。
しかし、その鋭い珊瑚の切っ先は、斬り飛ばされる。
抜き払われた、ヴィクトルの鉄の剣によって。
「おい。魚ごときが、ウチの殿下になにしてくれてんだ?」
ヴィクトルが、血走った目で、アレックスを睨む。
ヴィクトルは、懐に入れていた左手を、もの凄いスピードで抜いて、アレックスの胸へと掌底を叩きこむ。
「が、はっ!」
ヴィクトルの居合の掌底を食らい、庭園の端まで吹き飛ぶアレックス。
だが、アレックスは、自分の胸元に違和感を感じた。
今の掌底により、何かが、胸に貼りつけられたのだ。
それは、革で出来た風船。
遠目では分からないように、アレックスの服と同じ素材である、白いシルクウィードに包んだ、風船。
ヴィクトルの掌底でも割れないほどの、頑丈な風船だった。
(こ、これは……?)
再び左手を懐に仕舞い、アレックスの元へと走り抜けるヴィクトル。
ヴィクトルが、アレックスに肉迫する。
「俺はなぁ。サハギンが死ぬほど嫌いなんだよ」
そして、ヴィクトルがアレックスの耳元で、呟いた。
「アレックス殿下。俺はテオ様に拾ってもらった、テオ様の部下です。
黒姫様は、俺が必ず守ります。
今から殿下を斬るふりをするんで、殿下は死んだふりをして、しばらく海に逃げててくだせえ」
目を見開き、ヴィクトルを見るアレックス。
ヴィクトルが叫ぶ。
「理解したか?サハギンが俺に何をしたのかをよぉ!
分かったら、とっとと死んでおきな!」
ヴィクトルは、鉄の刃を振りかぶる。
そして、アレックスの胸元へと振り下ろされた。
斬り裂かれる、貼り付けられた革の風船。
アレックスの胸元の風船から、噴き出す大量の血液。
アレックスは、ネイビーブルーの瞳に、偽物の血に染まった鉄の刃を映しながら、海へと落ちて行く。
波音を立てて、海中に潜るアレックス。
そこには、ピンクのイルカのチェリーに乗った、執事長メイルと、第二王子テオドールがいた。
「テオ、お前……」
「アレク兄様。デビー姉様の身の安全は、ヴィクトルが絶対に保障する。
だから、しばらくはボクたちと一緒に行動してて。
ヴィクトルが、勝利条件を満たすまで」
「勝利条件?」
「うん。ボクの目的は、最終的には死者ゼロ人で、事をおさめること。
サハギンはもちろんだけど、できるならば、罪のない海上人も死なせたくない。
しかし、戦争になれば、どの陣営にも、多くの犠牲者が出てしまう。
それを防ぐためには、戦争が始まる前に、皇太子一派や、コルクス公爵家、皇太子の取り巻きの貴族の子息たち、全員ひっくるめて、一気に捕縛する必要性がある。
誰か一人でも逃したら、そいつが兵を集めて、戦争を始めるでしょ。
そうなれば、ボクの目的は失敗。
ヴィクトルの勝利条件は、関係者を一人残らず、どこでもいいから、どこかひとつの区画に集めること。
ヴィクトルの貝殻の笛で合図があれば、その区画を孤立させ、全員を捕らえることができる」
アレックスが、テオの計画を聞き、周囲の海中を見回すと、もの凄い数のサハギンたちが、頑丈な海藻の網を持って、待機していた。
アレックスが、テオに食って掛かる。
「だったら、なんで最初から教えてくれなかったんだ!
ヴィクトルが味方だと分かってれば、それなりに立ち回れたのに……」
「アレク兄様は、自分の演技力を過信しすぎ。
人間は、少しでも不自然な仕草を見つけると、違和感を感じるものだよ。
特に、あのシェリー・コルクス公爵令嬢は、勘が鋭い。
アレク兄様の演技なんて、一発で見抜かれる。
ヴィクトルは、剣の腕も凄いけど、それ以上に演技力が一流なんだ。
ヴィクトル以外の人間が計画に混ざると、必ずどこかでバレる。
この計画を最後まで達成できるのは、ヴィクトルただ一人だ」
★
再び場面は、沈みゆく公爵邸へと戻る。
大きく斜めになった地面から、次々と海に滑り落ちて行く、鉄の鎧を着た兵士たち。
陸上では無敵の鉄の装備だったが、海の中では、ただ動きを束縛する枷にしかならない。
必死で浮かび上がろうと、剣も槍も、手放して、水面へと向かう。
だがそこに、公爵邸の残骸が、降り注ぐ中、サハギンの大群が、数多くの網を持って、泳いできた。
そして、コルクス公爵邸の兵士や使用人たちを、網で絡めとり、沖へと連れて行く。
兵士たちが溺れないように、空の魔法使いたちが、兵士たちへと空気を供給しながら。
沖合には、一隻の大きな帆船が浮かんでいた。
帆に描かれているのは、ビールの入ったジョッキ。
チアーズ王国の帆船である。
船の舳先に立っていた、ドワーフ王が、号令をかける。
「ようし!早速、第一陣が到着したぞ!
クレーンを上げろ!」
船の中央には、そびえ立つクレーン。
クレーンの真下には、数人がかりで回す、横向きの大きなハンドルがあった。
そのハンドルの取っ手を掴み、回すドワーフたち。
「そうれ、いくぞ!」
ハンドルを回すと、海に垂れ下げられていたクレーンの綱が巻き取られ、綱の先のフックに引っかけられた、数人の兵士入りの網が引き上げられる。
網に絡まったまま、乱暴に船上に放り出される、コルクス家の配下の兵士の集団。
ドワーフ王が、船員たちに命ずる。
「全員、捕縛しろ!まだ武器を持ってる奴もいるかもしれないから、気を付けろよ!」
チアーズ王国の船員に、鎖や縄で、がんじがらめにされる、兵士たち。
すると、海面から口笛が聞こえる。
ドワーフの王が、海を見ると、既に第二陣や、その次が、続々と到着していた。
「がっはっは!大漁じゃねえか!」
チアーズのドワーフ王は、腰に下げていた水筒を手に取る。
そして蓋を開けると、中に入っていた、ビールを一気に飲み干した。
「ぷはぁ!戦争なんてゴメンだぜ!平和に乾杯!」
★
デボラは、アレックスの胸に抱かれて、クジラの大きな丸い目を見る。
クジラは、コルクス公爵邸を破壊しながら、海の中へと潜って行った。
アレックスは、クジラを見送るデボラに語る。
「あのクジラは、非常に強力な、コバルト王国の奥の手でもあるけど、大切な友人でもあるんだ。
あのクジラを、戦争に巻き込んで傷つけたくはない。
もし、今回の作戦で、ひとりでも敵を取り逃がしていたら、次からは、海中にも警備の兵士がつくだろう。
だから、あのクジラの力を使えるのは、完全な不意打ちである今回が、最初で最後だった」
すると、デボラとアレックスの背後から、悲鳴が聞こえてきた。
コルクス公爵一家だ。
どんどん傾斜がきつくなっていく地面にしがみつき、泣き叫んでいる。
「デボラっ!た、助けてくれぇ!儂は、泳げないんだぁ!」
「デボラっ!私の可愛い娘!ほら、母を助けなさいっ!」
「お、お姉様!魔法を!空の魔法を使って、空気の地面を!」
潰れた蛙のような恰好で、ずるずると地面を滑り落ちて行く、三人。
当然、デボラは助けなどしない。
そして、コルクス公爵一家の横を、地面に顔面をぶつけながら、ごろごろと転がり落ちる、皇太子シグナス。
「へぶっ!デボラっ!ほげっ!たすけっ!おうふっ!」
顔面がパンパンに腫れあがり、さらには勢いよく木の柱に後頭部を衝突するシグナス。
「ぎゃふっ!」
シグナスは気絶し、海に突っ込むと、そのままぷかりと水面に浮かんだ。
サハギンの兵士に、回収されてゆくシグナス。
コルクス公爵一家は、ほとんど崖になっている地面に、しぶとくしがみついている。
だが、あと一分も持たないだろう。
その真下には、網を持ったサハギンたちが、待ち構えていた。
デボラとアレックスの立っている足場も、そろそろ傾斜がきつくなってきた。
アレックスは、デボラを抱きかかえる。
「それじゃあ、行こうか、デビー」
「うん、アレックス。連れて行って。コバルト王国へ」
デボラは、空の魔法で、自分自身を空気の膜で包む。
アレックスは、デボラを抱えたまま、月明かりの夜の海に飛び込んだ。




