2:永遠亭
「どうしたんだ?」
「…あ、妹紅」
霊夢に声をかけてきたのは藤原妹紅だった。
「誰かと思えば、博麗の巫女か。
なんでこんなところにいる?」
「え…ああ、いやちょっと散歩を…あ、そうだ」
ふと霊夢はあることを思いついた。
「永遠亭まで案内してくれる?」
「永遠亭か…わかった、ついてきな」
そう言って妹紅は霊夢の前を歩き始めた。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
二人の足音だけが竹林の中に響く。
「…月」
ふと、前を歩く妹紅が足を止めていることに気づき、霊夢も足を止めた。
「あぁ…いい月ね」
「…ああ…そうだな」
妹紅がふわっと笑みを見せたあと、再び顔を伏せ、歩き始めた。
「じゃぁここまでな」
「ええ、ありがとう。
ハイ」
そう言って霊夢は持っている内の数文を妹紅に渡した。
「…帰るときは飛ぶか、レイセンにでも送ってもらってくれ。
アタシはつかれた…ふわぁ…」
「悪かったわね、案内させちゃって。
またね、妹紅」
妹紅の背中に霊夢は手を振った後、永遠亭のベルを鳴らした。
「はーい、誰ー…あ、霊夢じゃん。
めずらしいね」
応対に出てきたのは因幡てゐだった。
「いや、ちょっと近くまで来たんで、挨拶を、とおもってね。
永琳とお姫さんはいる?」
「いるよ?
あーでも、お師匠様はともかく、姫様は…」
「輝夜が、どうかしたの?」
この永遠亭の主、蓬莱山輝夜のことを聞いた霊夢にこたえようとしたてゐの声を止めたのは、奥からの声だった。
「てゐ、お客さ…あら、霊夢?
めずらしいわね、どうかしたの?」
奥から現れたのは、八意永琳。
永遠亭の長姉(もしくは母親)のような彼女は、紫の次に霊夢が頼りにしている人物である。
霊夢が動くときは、異変があると永琳が思うためである。
「いや、そんな構えないでよ。
ちょっとそこまで来たから、たまには、と思って寄ってみただけよ。
あと、お姫さんにだけ挨拶したら帰るわ。
出てこれる?」
「無理ね」
「…へ?」
流石に夜遅くに来たことは自覚しているので、玄関先で挨拶だけしていこうとしていた霊夢に、永琳は困ったように答えた。
「…そういえば鈴仙もいないわね。
どうしたの?」
「…」
永琳は呆れたように目を閉じ、ある部屋を指さした。
霊夢もそこが何の部屋かは知っている。
「姫さんの部屋じゃない。
どうかしたの?」
「あそこでゲームに夢中なの…れーせんはそれに付き合わされてる」
「…」
霊夢はようやく合点がいった。
「最近、あまりにも姫様がお暇そうだったので…香霖堂で『はみこん』とかいうゲーム機と『はみこんおーず』っていうソフトを渡したらこの様よ…」
「輝夜…」
ガラガラガラガラ。
霊夢は永遠亭に上がり、その部屋を開けた。
「…もーイナバ!そこじゃないでしょう!!」
「でも姫様ぁ…」
そこで輝夜は、扉を開けて仁王立ちのしている人物がいることにに気づいた。
「…って誰よ、ノックくらいしなさいよ…って、霊夢?
なんで霊夢がいるの?」
輝夜のほか、鈴仙も驚いてこちらを見ていた。
「近くまで来たから挨拶だけしてこうと思ってね…そしてら永琳を困らせてる姫様がいるようだったから」
「…」
バチン。
輝夜は恥ずかしそうにゲームの電源を切ると、すくっと立ち上がった。
「お見苦しいところをお見せしたわね。
遅ればせながら、居間へどうぞ。
イナバ、お茶を」
「は、ハイただいま!」
てゐにお茶を頼むと、隣の居間に霊夢を誘った。
こういうところは、ちゃんと姫なのね、輝夜って。
凛とした輝夜の背中を見ながら、霊夢は思った。
「…」
「それで、どうかしたの、霊夢?」
先ほど『はみこん』をしていた時に、鈴仙をしかりつけたのとは同じとは思えない声で輝夜は霊夢に問いかける。
どことなく艶っぽくて、女の霊夢や、ウサギであるところのてゐや鈴仙すらドギマギしてしまっている。
もちろん、永琳だけは、そんな輝夜に苦笑していた。
「あ…いや、ちょっと、その…まぁ、ちょっと近くまで来たから寄って見ただけ。
すぐ帰るわよ」
「あらあら、いいじゃないの。
あ、イナバ、ありがとう。
さ、永遠亭特製の竹ようかんよ、どうぞ」
コトリ。
竹ようかんを霊夢の前に出すと、輝夜はやさしく微笑んだ。
「あ、ありがと」
もぐもぐ。
「あ、おいしい…」
「でしょう?
この周辺の竹林に生えている、食用にする竹は、本当においしいのよ。
特にこの竹ようかんは絶品なのよ」
「へぇ…食べられる竹もあるのね」
霊夢は感心しながら竹ようかんを味わう。
「…ところで霊夢?」
「…なに?」
「もうこんな時間よ?
これから帰るの?」
竹ようかんを食べながら、霊夢が時計を見るともう一時間ほどが経過していた。
「そのつもりだけど…ってもうこんな時間…」
「…ねぇ霊夢。
もしよかったら、泊まっていかない?」
霊夢が驚いていると、輝夜がふんわりと笑った。
「えと…その」
「どうかしら、霊夢?」
「…姫様?」
霊夢が返事を言いよどんでいると、永琳が声をかけた。
しかし、輝夜は笑みを絶やさず続けた。
「霊夢、どうかしら?」
「…そうね、お言葉に甘えようかしら。
いくら私とはいえ、この時間に外を歩く趣味はないわ」
本心を言えば、寄った段階で泊めてほしいと言いたかったのだが、輝夜の衝撃的な登場やら、華麗な変身やらですっかりいいはぐっていた。
「人の本心を汲み取る程度の能力」にでも目覚めたか、蓬莱山輝夜。
そんなバカなことを考えていると、鈴仙がバスタオルを持ってきた。
「はい、霊夢」
「あ、ありがと…」
「私だけお風呂まだだから、まだお風呂もついているわ。
一緒に入りましょうか」
そう言って鈴仙も笑った。
「え、ええ…ご相伴にあずかりましょうか」
そう言って霊夢も立ち上がると、二人が浴室へと向かって行った。
いつの間にか、永琳も笑顔になっていた。
「ふぅ…」
「いやぁ、広いわね、永遠亭のお風呂は」
久しぶりに風呂で足を伸ばした霊夢はそんな感想を漏らした。
「まぁ、ね。イナバたちも多いし、何より姫様のご要望だから、ね」
そう言って鈴仙は天井を見る…その眼はやさしかった。
改めて霊夢は永遠亭のきずなの深さを感じた。
「そっか…」
そう言って霊夢は眼を閉じた。
ちょうどいい湯加減。
静寂を厭わない相手。
誰かと風呂を楽しむ、という点では最高のシチュエーション。
「…霊夢、そういえば今日はどうしたの?」
「…え、あ、ああ…実はさっきまで紫の家にいてね。
で、神社に帰ろうと思いながら、歩いてたら…いつの間にか竹林の前にいてね。
そこで妹紅に会って…で、その時ふと思ったのよ。
永遠亭にあいさつでもしていくか、ってね」
「…そっか。
なんかの異変でも起きたのかと思った…って、師匠が言ってたし」
「なによ私を厄病神みたいに…」
「あ、いや、別にそんな意味じゃ…」
霊夢が少し膨れたように言うと、鈴仙はあわてて否定する。
「ふふふ…冗談よ。
普段神社から出ない私が外に出るのは何か異変の時だけだってのは自覚してるわ。
今回みたいに気まぐれを起こすのも、今まで一度もなかったし。
鈴仙や永琳が私に対して反応するってのもうなずける。
まぁ…でも、今回の場合は理由を言った後には歓迎してほしかったかな」
そう言って霊夢は苦笑いをする。
「か、歓迎したじゃない…その、理由分かった後には…」
そう言って鈴仙は俯く。
「まぁ…そういうことにしておきましょう。
でも、輝夜ってゲームとなると人が変わるのね」
「えっ…あぁ、あれは珍しいわよ?
姫様ゲーム上手いから…というか、私が下手すぎただけなんだけどね。
協力プレイは相手を選ぶべきなんでしょうけどね」
そう言って鈴仙は、力なく笑った。
「さて…そろそろ上がりましょうか」
そう言って霊夢が浴槽から上がると、鈴仙も後を追った。
「お風呂どうだったかしら?」
居間に戻ると、二人を迎えたのは輝夜だった。
「いいお風呂でした…というか久しぶりに気持ちいい入浴だったわ」
「そう、それは何より
さて…今日はもう遅いわ、そろそろ寝ましょうか」
そう言って輝夜は立ち上がると、「霊夢、こちらへ」と霊夢を誘った。
どことなく嬉しそうな輝夜に、いざなわれるまま霊夢は後に続いた。
背中には、永琳の「うちの姫に付き合ってあげてね」という視線を背負いながら。
「ね、霊夢」
灯りを消し、布団をかぶると、輝夜はまだ眠くないとでもいうかのように霊夢を呼ぶ。
「どうかしたの?」
「私ね、こんな風に…その、永遠亭のみんなは別にして、そうね…友人、とでもいえばいいのかしら?
身内以外の人と一緒に寝るなんて初めてで、わくわくしてるわ」
友人という響きに、霊夢は不思議な感覚に襲われた。
胸の奥がむずがゆい…なんともいえない感覚だが、最も近い感覚はきっと、「照れ」なんだろう。
「そうなの?
私は…そうね、昔から一人だったし、こんな風に誰かと一緒に寝るなんてあまりないわよ?
あっても、お酒で酔っ払った萃香とか、魔理沙とか…そんなんばっかりだし…だから、酔っ払ってない人と一緒に話しながら寝るなんて初めてかも」
「そうなの…私は小さい頃から永琳と一緒によく寝てたなあ…眠れないと一緒の布団に入ってくれて…。
寒い冬とか、あったかかったわよ」
「そう…」
そんな輝夜の思い出話を聞きながら、霊夢は自分の幼少期を思い出す。
顔も思い出せないが、自分の母もそんなことをしてくれていた気がする。
「…なんだか、永琳って輝夜のお母さんみたいだね」
「あはは、そうかもしれないわね。
でも、それは永琳には言わないであげてね」
輝夜はさもおかしそうに笑う。
「あ、いや、そういう意味では…」
と、二人は他愛ない話をしながら、霊夢は眼を閉じる。
そしてだんだんと、輝夜の声が遠くなる。
なんとか相槌だけは返していたつもりだったが、案外長い距離を歩いたせいもあって、眠気が襲う。
そして意識が落ちる寸前に、「おやすみ」と言われた気がしなくもないが。
「んっ」
目にまぶしい光が入る。
いつの間にか霊夢は寝てしまっていたらしい。
隣で寝ていた輝夜の姿はない。
「ふわ~ぁ…」
大きく欠伸をしていると、部屋の障子があいた。
「起きた、霊夢?」
入ってきたのは永琳であった。
「あ、永琳、おはよう。
輝夜は?」
「姫なら朝風呂よ。
髪が長いから、寝る前と起きた後の洗髪は欠かさないの」
「へぇ…」
輝夜の髪が長く美しい理由はそんな影の努力があったのか、霊夢は寝起きの頭でぼーっと考える。
「そうそう、鈴仙が朝食を作ったの。
よかったらどうぞ」
「あ、ありがとう…いただくわ」
霊夢はそう言って輝夜の部屋を後にすると、すっとイナバが部屋に入り、布団を片付けているのがわかった。
「…うらやましい立場ね」
「? 何か言った?」
「いいえ、なんでもないわ」
霊夢は「まぁ、言ってても仕方ないか」と呟いて、永琳の後について行った。
「あら、おはよう、霊夢」
「おはよー」
「ええ、おはよう、鈴仙、てゐ」
食堂につくと、この永遠亭メンバーのうち、入浴をしているであろう輝夜と、霊夢をここに案内する途中でその様子を見に行った永琳を除いた二人が朝食を取っていた。
食事はあと二人分残されており、洗い場にひと組食器が置かれているところを見るに、おそらく永琳はすでに食事を済ませたのだろう。
「どうぞ」
霊夢が立っていると、鈴仙がお茶を入れて、霊夢に席を促していた。
「あ、ありがとう鈴仙」
そう言ってイスに座った霊夢は、鈴仙の入れたお茶をすする。
「あ、おいしい」
「そう? そのお茶はこの竹林に生える食用竹の皮を煎じた、永遠亭特製の竹煎茶よ」
「あ、昨日ようかんにしてた竹ね」
「ええそうよ…この竹林にはたくさん生えてるわ。
このお味噌汁の具も食用竹よ。
それに、食用にできない葉の部分も、お薬の原料にもなるから重宝なの」
「そうなんだ…」
ずずっ。
味噌汁をすするとタケノコよりも若干固いが、それなりに美味しい。
「それに、このご飯にも竹の実が入ってるウサ」
「へぇ…」
てゐも負けじと、食用竹の使い方を霊夢に説明する。
そんな朝ごはんを食べていると、輝夜が部屋に入ってきた。
途中で輝夜を迎えに行った永琳も後に続いている。
「おはよう、鈴仙、てゐ」
「「おはようございます、姫様」
「おはよう、霊夢。昨日はゆっくりできて?」
「あ、え、ええ。ありがとう。ゆっくり休ませてもらったわ。
急に泊めてもらっちゃった上に、朝ごはんまで用意させて悪かったわね」
「いえいえ、私も楽しかったから、気にしないでね」
そう言って輝夜は腰を下ろし、朝食を始める。
輝夜が食べ始めたとたん、てゐと鈴仙の食事のスピードが速くなり、食器を片付け始めた。
紫のところは藍や橙が一緒に食事していたが、永遠亭は輝夜と一緒に食事をする習慣はないようだ。
輝夜も悪びれる様子もなく、マイペースに食事を始めた。
「じゃぁ姫、それに…霊夢、私とてゐはそろそろ診療所の準備を始めるわ。
ゆっくり食事していてね」
「あ、ありがとう」
そう言って永琳は部屋の扉を開ける。
「あ、そうそう鈴仙。
あなたは霊夢が帰るときに、竹林の入口まで案内してあげて?」
「あ、ハイ、わかりました」
そう言って永琳が診療所に向かうと、霊夢と輝夜は食事を再開した。
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
「いえいえ、突然押し掛けちゃったし、診療所もの方もあるんだから早めに御暇するわ」
「そう…また、いらっしゃいね」
「ええ、まぁ近いうちにお言葉に甘えさせていただくわ」
「じゃあ鈴仙、よろしくね」
「かしこまりました、姫」
そう言って、鈴仙は霊夢を先導して歩き始める。
「ふぅ…いや、永遠亭は本当に輝夜を中心に回ってるのね」
「そりゃそうよ。お姫様ですもの」
「そっか…立場が違うとはいえ、うらやましい限りだわ」
「ははは、霊夢、それ本気でいってる?」
鈴仙はさもおかしそうに笑った。
「半分、ね。
いつでも温かい食事あるのはうらやましいわ」
「ふふふ…それは確かに霊夢からすればそうかもしれないわね」
いつも金欠でぴーぴーしている霊夢をよく見ている鈴仙は笑いながら返した。
そんな話をしていると…。
「よぉ、鈴仙…と、博麗の巫女?」
「え? あ、慧音さん」
「慧音、おはよう」
竹林の中から、ワーハクタクの上白沢慧音が現れた。
「なぜここに博麗の巫女がいるんだ? 何か異変か?」
普段出歩くことのない霊夢が出かけるときは何か異変。
慧音はそう思っているようだ。
「いいえ、ちょっとした散歩よ。
異変…私が出歩いていること以外に異変は起きていないから、安心してね」
「そうか…それならいいが」
霊夢から外出の理由を聞いた慧音が安心したように微笑んだ。
「これから寺子屋かしら?」
「ああ。昨日は今日の予習で若干遅くなってしまってな。
少し遅刻なんだ」
「へぇ、珍しい」
生真面目な慧音らしい理由で、らしくない寝坊をしたというのは、不思議な話だが、同時に慧音らしいとも思った。
「おっと、それじゃ私は急ぐから先に」
「ええ、いってらっしゃい」
慧音を見送ってしばらく行くと、竹林の入口…昨日霊夢が妹紅に会った場所にたどりついた。
「ここでいいわ、鈴仙。ありがとう、お世話様ね」
「いえいえ…またいつでもいらっしゃい。
ところで、今日はこのまま帰るの?」
「そうね…ちょっと別のところにでも寄ってみましょうかね」
そう言った霊夢の脳内には、緑髪の現人神が思い浮かんでいた。
「そう…じゃぁ、またね、霊夢」
「ええ、鈴仙、ありがとう、みんなにも…特に姫に、よろしくね」
そう言って霊夢は、空を飛び、自分のものではない神社に向かっていった。
~to be continued~
きれいな姫様と、きれいなてゐと、優しい永琳を書きたかった。
ただそれだけです。