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特効薬はガンでした。  作者: 百花
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3.美海その1

 アラームがなった。5時50分になっていた。

 起床してから家を出るまで1時間くらいだ。7時に出たいから10分余裕を持たせてこの時間にいつもセットしている。

 昨日は気分が高揚し、ついつい話し込んでしまって帰るのが遅くなってしまった。

 今日は運命の日。待ちに待った日だ。

 そんな日を目前にしてしまっては、もしすぐに帰っていたとしても眠れなかったに違いない。気づいたときは夜の23時。マズイなと思ったがそれは親に叱られるからじゃない。明日の朝練に響いてくるからだ。

 ……まあ叱られることはないけど。

 それに昨日も放課後ダンスの練習をみっちり行ったせいか背中が痛かった。でもサボるわけにはいかない。ダンスだけは頑張ろうって決めたから。

 ところどころ疲労で痛い体に気合という鞭を入れ、勢いよく起き上がりベッドの上に立ち上がった。ちょうどカーテンの間から太陽の光が顔に当たる。

 体を上下いっぱいに伸ばすように伸びをして眠気を追い払った後、お気に入りのシルクのパジャマを丁寧に畳み、白のワイシャツとチェック柄のスカート、光沢のある赤いリボンを首元に結んだ。

 準備しておいたダンス着をバッグに入れようとしたところジャージのパンツが見当たらなかった。そうだ。昨日の夕方洗っておいてくれるよう頼んだんだった。

 階段を降りるとリビングの奥から味噌汁の匂いと包丁でまな板を叩く音が聞こえてきた。

 低血圧なので朝はいつも食欲がない。でも朝練のために朝食を抜くわけにはいかなかった。


 リビングのドアから蛍光灯の灯りが漏れていた。

 家の前に新築のマンションが建ってから我が家のリビングに陽の光がなかなか入ってこない。

 あまりにも暗いのでリビングの壁は全て鏡張りにしてみてはどうかと考えてみたこともあるが、朝リビングにいるのは朝食をとるわずかな時間なのでいつの日かどうでもよくなった。それにリビングを明るくしても家族に立ち込めている暗雲が晴れるとも思わない。


 リビングに入るとキッチンで母が料理をしていた。

 「私のジャージ洗っといてくれた?」

 「畳んでソファーに置いてあるわよ」

 「親父の洗濯物と一緒に洗ってないよね?」

 母は肯定の意を表す沈黙で答えた。母は私が昨日深夜に帰宅したことに対して何も言わなかった。

 鳴沢家には門限がなかった。いや、私が中学生のときはあったが高校になってから両親から明確に言われたことがなかった。


 深夜に帰ってくることは昨日だけじゃない。私は家にいるのが嫌だった。息が詰まりそうだ。

 私の居場所は今はここじゃない。あくまで家族というステージでそれぞれが役をこなしているだけだ。

 それは父、母、私の中で暗黙の了解だった。

 こんなことを考えていたらまた背中が痛くなってきた。よそう。朝から自ら嫌な気分になるのは。

 母が私に背を向けていることを確認すると、私は窓の近くにある棚の上の写真立てをハンカチで拭いた。


 5年前家族で沖縄にいったときの写真だ。

 私たちが本当の家族だった頃の姿だ。


 リビングのソファーからテーブルを眺めていると、テーブルの上には彩り豊かな料理が並べられていった。

 洗い物をはじめたので準備ができたようだ。

 今日の献立はご飯にオクラとツナ和え、なめこの味噌汁に揚げ豆腐、焼き鯖。一汁三菜どころではない。

 あるときから朝食にもかかわらず母は毎朝5品目以上もの料理を用意していた。

 ちょうどそのときからか。母が淡々と家事をこなすようになったのは。メイクも前とは少し変わっていた。男か。

 前から薄々わかっていたことだが改めて怒りと軽蔑の念が込み上げてきた。

 一刻も早くここから離れたかったので急いでテーブルに着き、口にかけこむように朝食をとった。

 これだけのごちそうにも関わらず食指は動かなかったが、用意してくれた礼としてそれぞれのメニューに口をつけた。

 済ますと流し台に食器を置き洗面を済ませ、自分の部屋へと向かった。


 机に座り、手のひらサイズのスタンドミラーでメイクをはじめた。

 母に似て色白な顔が目の前に現れた。少し痩せたかな?

 ほぼ毎日ダンスの猛練習、練習後夜遅くまで遊んでいる。痩せるのも当たり前か。

 メイクを終えバッグを持ち、階段を降りる前に親父の部屋を見た。

 この時間はまだ寝ているはずだ。

 ドスンと音をたてながら階段を降り、颯爽と玄関を抜け家を出た。


 家の路地に出てから空を見た。空はすっかり明るくなり、まだ7時くらいとは思えない眩しさだった。雲一つない。

 スマホを見るとLINEの通知が来ていた。

 「今日部活の後スタバによって勉強しない? 鳴沢は国語、俺は数学教えるからさ」

 同じクラスの飯田からだった。そして同じダンス部のメンバーだ。

 「美海、おはよー」

 どうしたものかと考えていたところ後ろから声をかけられた。

 振りむくと平たい鞄をさも重そうに持ち、芽衣が眠そうな顔でトボトボと歩いてくるのが見えた。

 「よ! 今日も朝早くから大変だねー」

 「それは芽衣も一緒じゃん」

 浅香芽衣は高1からの親友でだいたいどこにいるときも一緒だった。

 私と一緒で居場所がなかった娘。そんな似た境遇で仲良くなった。

 本来そんなキャラじゃないのに私の朝練にも付き合ってくれている。

 芽衣はダンスに全く興味がなかった。美海がやるから、といい芽衣もダンス部に入部した。

 「それは美海がやるっていうからうちもつきあってるだけだよ。じゃなきゃやらない」

 「ありがと。芽衣がいるからやれてるとこあるよ」

 そうだろ、といった具合で芽衣が得意顔で満足そうにしている。

 「眠そうだね。また夜更かし?」

 「ん。珍しく勉強。美海だって、相変わらず今日も調子悪そうだね。ちょっと練習しすぎじゃない?」

 「うちのダンス部は決勝いくよ。だから練習しないと。他の高校からの反応も大きかったしTwitterでも少しバズったしね」

 「まあうちもそう思うけど。今日結果発表かー! でもまだ決勝に行くって決まったわけじゃないのによくやるよね。他の子は受験勉強してるよ。」

 「あ、そういえば飯田から勉強しよってLINE来たんだけど」

 「またアイツかよ。絶対美海のこと好きなんだよ。美海はもう風間がいるのにね。この際付き合ってるって言っちゃえば?」

 「ん。あんまりしつこいようだと言うしかないかも」

 「しかし美海もホントモテるよね。まあ実際かわいいからね。美人って得だわ」

 「まあね」

 私は決して派手な方ではない。メイクだって薄いしファッションも地味だ。校則をやぶっておしゃれしてくる子もいるけど。

 芽衣もその一人。でも私は先生に目をつけられてめんどくさくなるのが嫌だからやらない。

 そんな控え目な私だが自分で言うのもアレだけどよく男子にはモテた。

 

 飯田のことやダンス部の話をしながら歩いていると、やがて朝日を浴びて白く輝いている西所沢高校の校舎が見えてきた。

 下駄箱で上履きに履き替え、そのまま体育館に向かった。

 あらかじめ顧問から借りている鍵で体育館の扉を開けると、ドアの音がゴォンと館内に大きく響く。

 更衣室で上をTシャツに下をジャージに着替え、スニーカーを履く。スマホをもって更衣室を出た。

 「よし、じゃあ最初は課題曲からやろっか」

 音量を最大にし、スマホから課題曲を流した。

 三線の音が体育館の静寂を切り裂く。


 2019年夏の全国高校ダンス大会。

 私たちは関東・甲信越大会に先日出場した。

 西所沢高校のパフォーマンスは会場内でとても好評で、観客からスタンディングオベーションが起きたほどだ。

 観客の評価通り、協会側の評価もとても高かったと思っている。

 実際、私たちは血の滲むような練習をしてきた。どこの高校よりもストイックに練習してきたと自負している。

 関東・甲信越大会ではその成果がよく発揮されたと思う。

 もし私たちのパフォーマンスが正当に評価され、全国大会に出場することが決まれば沖縄に行くことになる。

 毎年パシフィコ横浜で行われているが、今年の全国大会の会場は沖縄で開催される予定となっているからだ。

 理由はなんだっただろう。たしか協会の今年の特別審査員である人気俳優が沖縄出身でデビュー5周年だからとか。そういえば関東・甲信越大会にも来ていた。そのおかげで観客席が一時騒がしくなった。この前一般女性と婚約したとの報道がされていたっけ。

 そういった理由で全国大会の開催地が沖縄となり、出場校共通の演目に三線の曲が加わることとなった。

 梅雨の時期から全国大会を見据え、朝練ではこの課題曲を重点的に練習していた。

 平日は毎朝練習している。物事に熱中しない私にとってはそれは革命的な事だった。

 高校3年の全国ダンス大会の会場が沖縄になると発表されたときからだ。


 西所沢高校では部活に入ることが義務になっていた。今の校長の教育方針が文武両道、心身一体を掲げているからだ。現に校長も元はオリンピック候補にも選ばれたこともあるアスリート出身だった。

 それまでは活動中に早退を繰り返してきていたが、2年の夏に来年の全国大会の会場が沖縄とわかり、私は心機一転、部活に力を入れ始めた。今までの時間を取り戻すように。


 私は5年前に家族に居場所がなくなってしまってから自分の居場所を探してきた。

 ある娘の代わりに万引きをし、まだ家族が私の居場所なのかを試したこともある。

 だけど私の両親は私を叱らなかった。

 寂しさを堪えることが出来ずSNSで人との繋がりを求めた。すると次第にメッセージをやりとりする仲になる男ができた。

 年齢は32。随分と歳が離れていたけど私のことを受け入れてくれた。私の話をよく聞いてくれた。

 高校1年の春。やがてわりきりで会わないかという話になった。5万出すから。

 少し怖かったけど会うことにした。5万あればなるべく家に帰らなくてすむからだ。それに好奇心も少しあった。

 待ち合わせは池袋の東口改札前。とても清潔感のある紳士だった。

 駅前のカフェで少しおしゃべりした後、なし崩し的にホテルにいった。ジャグジーつきの広いバスタブ。シャワーを浴びて二人でベッドに入る。そこまでは今思うとドキドキしたが、その後はまだ濡れていない秘部に挿れられ、ただただ痛いだけだった。

 男は会話中はとても紳士的で知性がある物静かだったけどベッドの上では乱れた獣のようだった。

 その帰り道、駅前で私は同じクラスだった風間湊に声をかけられた。それまでは全然話したことなかったっけ。


 今こんなにダンスを頑張れているのは湊と知世さん、芽衣のおかげだ。

  

 そんなことを考えていたらいつの間にか登校時間になっていた。急いで職員室に向かった。


 ダンス大会の結果を確認するためだ。向かう途中で心臓が早鐘を打つ。少し後ろからついてくる芽衣の頬も紅潮している。

 職員室には既にダンス部員が集まり人だかりとなっていた。そのとき職員室の奥から飯田の声が聞こえた。


 「落選?!」


 職員室の騒がしさが遠くなる。

 隣にいる芽衣の不安な顔も消えていき、目の前が真っ暗になっていく。

 

 不合格?! 信じられない。

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