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夢の原点

「おい、啓太! お前“友達を連れてくる”って言ってたじゃねぇかよ。来るのがあんなお姉様だと知ってたら、俺もいろいろ考えたのに!!」


 未だ独身の武志おじさんは、慌てた様子で俺の元へとやって来て小声で話しかけてくる。



「いや、だから、友達なのには違いないって。それに、おじさんだって、誰が来るかとか興味無さそうだったじゃん」


 ひそひそと返すと、おじさんは不愉快そうに口の端を曲げて「そりゃガキにゃ、興味ねぇけどよォ」と呟き、ちらと美雪さんに視線を送っている。

 鼻の下が情けなく伸びているおじさんの姿に、小さくため息をついた。



「ええと……ご迷惑でしたか?」

 困ったような顔で美雪さんは尋ねたが、おじさんは慌てた様子で何度も首を横に振り「大歓迎です!」と返していた。


 そりゃそうだ。

 おじさんは昔から、美人には目がなかったから。



 美雪さんの紹介をしたあと、席へと彼女を誘導し、武志おじさんに教わりながら、真っ白なケープをかけていく。

 おじさんの店は、その人の髪の癖を見極めながら切る“ドライカット”を売りにしているから、濡れた髪では切らず、乾いた状態で切っていくのだ。


 美雪さんは、宣言通り本当に美容院に来るのが初めてだったらしく、瞳を輝かせながらきょろきょろと店内を見渡している。

 そんな彼女を横目で見ながら、カバンから二本のハサミを取り出した。

 一本四千円という、高校生にはなかなか苦しい値段だったが、勢いに任せて買ってしまった代物だ。


「自分専用のを持ってるの?」

 美雪さんに尋ねられ、ばつが悪くて頭をかく。


「形から入ろうと思って」

 誤魔化し笑いを浮かべると、美雪さんはくすくすと可愛らしく微笑み、口を開いた。



「あ、そうだ。注文をしなきゃいけないんだよね。髪の長さはねぇ、ばすっと肩あたりまで切っちゃって!」


「ええっ!」

 あまりにも思い切りのいい発言に、俺も武志おじさんも驚きの声をあげていく。


「美雪さん。綺麗な髪なのに、そんなに一気にいいのかい?」

 不安そうに尋ねるおじさんに、彼女はにこりと笑う。


「もう、春が来ますから。綺麗にしておきたいんです」

 寂しそうなような、どこか晴れやかなような不思議な笑顔に引っ掛かるが、どうせ美雪さんのことだ。

 聞いたところで何も教えてはくれないのだろう。

 それなら。


「もっと綺麗にしてみせるよ! 俺と、主におじさんが!」

 ぐっとこぶしを握り締めて言うと、おじさんは“調子がいいやつめ”と俺の頭を小突いてきたのだった。



――・――・――・――・――・――・――・――


 さて。

 この、長くて綺麗な黒髪をばっさりといく……んだよな。


 その緊張感に微かに手が震えるが、顔を上げると鏡越しに美雪さんはにこにことした表情でこっちを見てきている。

 俺が失敗するなんて微塵みじんも思っていないような顔だ。


 信頼してくれているのに、それに応えないわけにはいかない、か。


 きっと、大丈夫。

 マネキン相手だったけど、何年も何年も毎週のようにおじさんに技術を教えてもらってきたんだから。


 そう思うと、震えはぴたりと止まった。


 ハサミを入れると、さくっという小気味いい音がして、長い髪が床へと舞い落ちて広がっていく。

 そこからは、速かった。

 思い切りよく、次から次へと切っていく。

 さすがに、髪をすく技術はまだまだだと自覚していたし、やり直しがきかないため、そこはおじさんに頼らせてもらった。

 あとは、微妙に長さが合っていないところも直してもらい、切る方は一段落だ。


 次は、シャンプーとトリートメントをしてドライヤーで乾かし、ワックスで毛先を整えていく。

 ブローはただ乾かすだけの作業にも見えるが、じつは技術がいるものだったりする。

 ちゃんと収まりをよくするために、毛の流れを見て、内巻きで乾かすか、外巻きで乾かすかを見極める必要があるのだ。



 そして、ようやく完成したのは、毛先が内側に入ったふんわりとしたスタイル。

 柔らかい雰囲気の髪型は美雪さんによく似合っていたし、トリートメントの効果で、髪のつやが増し、天使のようなリングができていた。


 鏡を取り出して、美雪さんの後ろで持ち、会わせ鏡にして恐る恐る尋ねる。


「いかが、で、しょうか……?」


 美雪さんは目を見開いてじっと鏡を見つめている。

 表情が無いせいか、いま何を考えているのかがさっぱり読みとれない。


「ええと、すみません、やっぱり短くしすぎました……?」

 それまで色目を使っていた武志おじさんも、だんだんと不安な顔つきになりだした。


「ううん」

 ぶんぶんと顔を横に振った美雪さんは椅子から立ちあがって、俺の元へと大股でやってきて。

 勢いよく、俺の両手をつかみとってきた。



「美雪、さん?」


「すごいよ、啓太くん! 私びっくりしちゃったよ! 美容院っていいね、すごいね、こんなに変わるんだね!!」

 彼女の顔を見ると、きらきらとした目で俺のことを見つめてきていた。

 大興奮、といった言葉がしっくりするような顔だ。


 ああ。この嬉しさに溢れた顔には、覚えがある。

 あれは、確かまだ小学校の低学年だった頃のこと。

 武志おじさんが家に遊びに来てくれて、はじめていつもの担当じゃない人に髪を切ってもらった時のこと。


 おじさんは、それまでのおかっぱみたいなダサい頭じゃなく、特撮ものの主人公みたいな、おしゃれでカッコイイ髪型にしてくれたんだ。


 周りからも、似合っているとかカッコイイと言われたこともまた、嬉しくて嬉しくて。

 違う自分に変身できたことに気分が高揚し、一瞬にして世界が変わって見えたことを、いまも覚えている。


 ……そっか。

 きっと、あれが俺の夢の原点だったんだ。



 腰に下げた、二つしかハサミが入っていないポーチにそっと触れて撫でていく。


 やっぱりこの夢は、諦めたくない…… 


 そんな気持ちが胸の奥からわき出てくる。



「ねぇ、啓太くん。やっぱり諦めちゃもったいないよ。道は険しいかもしれないし、辛いかもしれないけど、きっと君なら、いい美容師さんになれると思う!」


 優しく微笑みかけてくる美雪さんに視線を送り、呟くように返す。


「ほんと、に……?」


「嘘言ってる顔に見える?」


「ううん、全然見えない」

 あまりにも真剣すぎる表情に噴き出して笑うと、深雪さんもつられるように笑い出したのだった。


──・──・──・──・──・──


 片づけを終えておじさんに礼をいい、二人で店を出ていく。

 おじさんは、美雪さんの連絡先を必死になって聞き出そうとしていたが、相変わらず美雪さんのガードは固く、何一つとして教えないままだった。


 どうやら、俺に対してだけじゃなく、誰にも自分のことを教える気はさらさらないようだ。



 美雪さんは、新しい髪型を相当気に入ってくれたらしく、元町の通りに面したショーウィンドウを見ては、そこにうっすらと写る自分の姿を確かめて、微笑んでいた。


「ねぇ、啓太くん。もうすぐ……」


 どうせまた、どこか寂しげな顔で『春が来るね』と言うんだろう。

 そう思っていたが、続いた言葉も、その表情もいつもとは違っていた。


「もうすぐ、桜が咲くね」

 長方形に区切られた青い空を見上げて、美雪さんはそう言った。

 寂しげでありつつも、どこか晴れやかさを感じさせてくる表情に、ひどく心がざわつく。 


「急に、どうしたの……?」


 恐る恐る尋ねると、彼女は柔らかく微笑みかけてきた。



「啓太くんと一緒に、桜の花が見てみたいな。ブラフ18番館の近くにあった大きな樹、桜でしょう?」


「ブラフ18番館、って。桜を見るなら、目黒川とか千鳥ヶ淵とか、いい場所はいっぱいあると思うんだけど」

 何でよりによって『外交官の家』と同じ敷地内にある桜を選ぶのか不思議でならない。



 だけど、美雪さんは静かに首を横に振ってきて、自身の胸の前でそっと両手を組んだ。


「私はあそこにある桜がいいの。“あの人”が育てたのとは違う木だっていうのはわかってる。だけどね、それでも、あの家の一番近くにある桜を見てみたいの……」


 どこか必死さを感じさせる彼女の様子に、不信感と不安ばかりが募る。


「どうしてそんなに、そこの桜を見たいんだよ。あんなに春が来るのを避けてるような感じだったのに、急にふっ切れたような顔するし。なんか俺、よくわかんないよ」

 


 美雪さんは途端にもごもごと口ごもり、静かに声を発した。

「その時に全部、話すよ。だから……」


 “いまは何も聞かないで”

 そんな聞こえない声が聞こえてきた気がして、小さくため息をついて笑った。


「わかった。来週またあの庭で。ちょうど一昨日開花宣言出てたから、満開は来週だと思うしさ」


「ありがとう。じゃあ、来週の日曜日、朝七時にあの庭に来て」


 ほっとしたような表情を見せて、おかしな時間を伝えてくる美雪さんに、眉をひそめた。



「七時? 何でまた?」


「もう、私にはその時間しか、無理なんだ」

 彼女は困ったような顔で寂しげに笑い、暖かくなりはじめた春の空を仰いでいた。

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