雪花舞う庭
「そっか、それで君は夢を諦めちゃうの?」
美雪さんは、後ろで手を組みながら、真っ直ぐ窓に向かって歩きはじめた。
見えるのは背中だけで、表情はわからない。
「美容師にはなりたいけど、あんなにも反対されるんなら、諦めるしかないのかなって……」
ぎりと歯噛みして、こぶしを強く握りしめる。
はとこが美容師で店を経営しているから、その実情は、俺も親も知っている。
開店時間前から出勤して、店を出るのは閉店から何時間もたった夜二十二時すぎ。
残業代なんか出ない。
食事をとれない日だってあるし、パーマ液や染料で手のひらは荒れに荒れ、手首は腱鞘炎でいかれていく。
立ち仕事で腰を壊し、祝日だってないどころか、長期休みが取れない店もある。
そのくせ給料は、お世辞にもいいと言えるもんじゃないんだ。
両親が反対して『大学へ行け』だの『一般企業に就職しろ』だの言う理由もわかる。
「それに何より“好き”だけで続けられる仕事じゃないんだ。俺にセンスがあるかも、わからないし……」
美容業界なんて、売れなければ、客がつかなければおしまいな仕事。
夢として追うには、ハードルが高すぎる。
「センスは、あるよ。私もこの髪、啓太くんに切ってもらいたいもん」
自身の髪の束を握った美雪さんは振り返ってきて、優しい笑顔を見せてくれる。
たったそれだけなのに、なぜか泣きそうになってしまう。
そして、彼女は雪が降り続けている窓の外をぼんやりと眺めて、再び口を開いた。
「人生なんてあっという間なんだから、やりたいことをやったほうがいいよ。あの人は、そう言ってた」
――・――・――・――・――・――・――・――
「あの人……?」
美雪さんの近くへ行き、尋ねる。
「……この館で働いていた若い庭師さん。一目ぼれだった」
窓のへりをぎゅっとつかみ、寂しげに微笑みかけてくる美雪さんに、なぜだか胸の奥が軋む。
何も返せないでいる俺をヨソに、美雪さんは再び口を開いた。
「この時期も、マフラーをぐるぐるに巻いてね、いっつも防寒対策バッチリで庭仕事してた。冬は冬の魅せ方があって楽しいんだ。だから僕は冬が一番好きなんだって言って、笑ってた。庭師なのに冬が好きなんて、変な人だよね」
彼女の視線は、先ほど俺たちが出会った庭に向いている。
ほんのり赤く染まった頬に、美雪さんがどれほどその人のことが好きなのかを、嫌でもうかがい知ることができた。
「想いは……伝えたんですか?」
恐る恐る尋ねると、彼女は首を横に振ってくる。
両想いにはなっていないという返答に、安堵してしまう自分がいる。
だが、彼女は俺とは反対に、どんどんと視線を落としていった。
「彼はね……突然死んじゃった。肺の病気だったんだって」
無理に笑う顔に、胸がぎゅうと締め付けられる。
思わずホッとしてしまった情けない自分を呪った。
「ごめんなさい。聞いて、しまって……」
「ううん、いいの。あの人は最後まで自分のやりたいこと、できたのかなぁ。どんな気持ちで消えちゃったんだろう」
はらはらと舞う雪を見て、呟くように彼女は言う。
「ねぇ、啓太くん」と美雪さんは、どこか遠くを見ているかのような瞳で話しかけてくる。
「なんですか?」
「もうすぐ春が来るね」
唐突にそんな話をしてくる姿がなぜだか儚くて、悲しくて。
美雪さんもあの雪のように、溶けていなくなってしまいそうなような、そんな気がした。
――・――・――・――・――・――・――
「あの。美雪さん、よかったらまた会えませんか?」
『外交官の家』と『ブラフ18番館』を周り終え、いよいよ別れの時となった時、彼女に尋ねた。
こんなナンパめいたことを言うつもりなんかさらさらなかったのに、気が付いたら口に出してしまっていて、自分で自分がわからない。
しまった……気持ち悪かっただろうか。
迷惑だっただろうか。
言ってしまったことはもう、なかったことにはできない。
どうしたもんか、と考えていると、美雪さんは出会った時のように優しい笑顔を向けてくれた。
「いいよ。明日の午後一時半に、あの庭で集合でどう?」