雪降る館
綺麗なわりに変な人だな、と思わず苦笑した。
『外交官の家』に入るには、予約も手続きもいらない。
ここは無料の観光地なのだ。
そんなのインターネットで調べればすぐにわかるのに。
「ええと……あそこ、『外交官の家』っていう名の観光地なので、自由に入れますよ?」
普通の家っぽいから、中には入れないとでも思っていたんだろうか。
「ああ、そういうふうになったんだね! 道理で皆、出たり入ったりしていくなぁ、と」
ぱんと両手を叩いて、無邪気に笑う彼女がよくわからない。
調べていないのなら、どうやってここを知って、ここまでやってきたのだろう。
もしや偶然見つけた、とかなのだろうか。
あれこれ考えを巡らせていると、彼女は一気に間合いを詰めてきて、俺の両手をその手にとってきた。
「私、美雪っていうの。よかったら君、詳しそうだから案内してくれない?」
滑らかな手は氷のように冷えているのに、触れられたところが一気に熱くなっていく。
相手は自分より年上なのに、その華奢な手に、この人は女の人なのだと変に意識してしまう。
「俺なんかで、よければ……」
自己紹介で下の名前を出すなんて、やっぱりおかしな人だ、とは思ったが、美人のお誘いを断る理由なんか一つもない。
触れられた動揺を悟られないように繕うけれど、きっとハタから見たら、相当おかしな顔をしていただろう。
「やったぁ、ありがとう! ねぇ、せっかくだから、君の名前も教えてほしいなぁ」
飛び跳ねるように喜ぶ美雪さんが可愛らしくて、噴き出して笑いながら口を開く。
「俺の名前は啓太。佐伯啓太です」
自己紹介をしていると、ふと目の前に何かがちらつく。
雪だ。
やはり予報通り、降りはじめてしまったようだ。
「わぁ、雪だ」
美雪さんは白い息を吐きながら、空を見つめている。
透き通るような白い肌と、ハラハラ舞う雪とが綺麗だと思い、また見惚れてしまう。
「寒いんで、とっとと中入りましょ」
動揺を気取られないように、ぷいとそっぽを向いたのに、うっかり彼女の手を握ったまま歩きだしてしまい、しまった、と苦笑する。
結局館の入り口前に着くまで、離すタイミングを見失ってしまい、そのまま歩き続けたのだった。
――・――・――・――・――・――・――・――・――
『外交官の家』の入り口の前にたどり着くと、そこには看板が一つたっており、美雪さんはそれをまじまじと見つめていく。
「ほんとだ、ご利用案内って書いてある! 時代は変わるんだねぇ」
「何言ってるんっすか」
ばぁさんみたいなことを言っている、と、苦笑いして返すと、彼女はきょとんとした顔を浮かべ、すぐに楽しそうに笑った。
「んとね、この建物、おばあちゃんの時代には渋谷にあって、内田さんっていう外交官が住んでいたらしいから」
「へぇ~、だから来たんですか? おばあちゃんの思い出巡り、みたいな?」
それなら、中に入れないと思っていたのも納得ができると思った。
きっと彼女は、何かでこの建物がここにあることを知って。
館を見に来たものの、観光地化しているなんて知らなかった、とか。
ずいぶん間抜けな話だけど、美雪さんのぽんやり具合からすると、それもありそうな気がした。
ガラス扉を開けて中に入ると、海外のお屋敷のような外観とは違って、入口は資料館そのもので、奥の方には喫茶室もあるようだった。
二人でスリッパに履き変えて、短い廊下を進む。
昔の写真があったり説明書きがあったりしていて、美雪さんはそれを興味深そうに眺めていたけれど、俺にとっては館の歴史よりも、美雪さんのことが気になって仕方ない。
気付かれないように、ちらちらと視線を送りながら奥に進んでいくと、そこには食堂や小客間があった。
さすが『外交官の家』と呼ばれるだけあって、家の中も日本からかけ離れている。
赤いじゅうたんに暖炉、ガラスでできたランプにアンティーク調のソファ。
何から何まで、どれもが洋風で、ここが日本であることをつい疑ってしまうくらいだった。
美雪さんは写真を撮るわけでもなく、部屋のもの一つ一つや写真を眺めていきながら、嬉しそうなような、懐かしそうなような、どこか寂しげなような……そんな複雑な表情を浮かべていた。
大学生くらいの女の子なら、SNSで写真を載せたりする年頃だろうに。
ちらと美雪さんの横顔を見やる。
彼女は、にこにことした笑顔のまま、壁に飾られている館の主の写真をじっと見つめていた。
本当に不思議な人だ。
共に時間を過ごせば過ごすほど、彼女のことが分からなくなった。
――・――・――・――・――・――・――・――
「ねぇ。ずっと思ってたんだけどさ、啓太くんの髪型、似合っててカッコイイね」
書斎を歩いている美雪さんが、唐突に振り返って言ってくる。
その言葉に、心の奥が躍ったのがわかった。
「ありがとうございます。これ、自分で切ってるんですよ」
「そうなの!? すごいねぇ、美容師さんになれちゃうんじゃない?」
目を丸くしている美雪さんを見て、わずかに視線を落とした。
いまのいままで忘れていたのに、家での大喧嘩を思い返してしまう。
こんな気持ちのまま美雪さんと過ごしたくない。
そう考えて、悲しい気持ちを押し殺して無理に笑顔を作り、明るい声を発する。
「無理ですよ。美容師は安定していないわりに、安月給でハード。だから、親から反対されてるんです」