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曇天に咲く花

銘尾友朗様主催『春センチメンタル企画』に参加させていただいています。

「大学なんか行かねーよ、ばーか!!」

 そう言って家を飛び出したのが、三十分前。


 深くため息をつくと、真っ白な吐息が宙をゆらゆら舞って消えた。

 まだ昼過ぎだというのに、曇天の空は暗くて重く、いまにも堕ちてきそうだ。


「向こうが悪いんだ、向こうが!」

 人一人いない道を行き、呟くように愚痴をこぼす。

 快適な室温に保たれた家から出てきたことは後悔しているが、母親に進路についての暴言を吐いたことに関しては何とも思っていない。

 むしろ、もっとあれやこれやと言ってやりたかったくらいだったりもする。



「うう、さみぃ」

 ダッフルコートを手繰り寄せながら厚手のマフラーに顔をうずめて、必死に住宅街の坂を昇り続ける。

 だんだんと見えてきたのは異国風の館。

 あそこは国の重要文化財でもあるらしく、ここ横浜の観光地の一つでもある。


 親と大げさなほどの口喧嘩をしたあとに来るような場所じゃないのかもしれないが、俺の頭では避難場所はここしか思いつかなかった。

 部屋に閉じこもったところで、ノックの音がうるさいだろうし、図書館じゃ静かすぎて嫌な考えばかりが巡ってしまうだろう。

 かといって外は寒いし、商業施設なんかにいたら、楽しそうに行き交う人々に苛立ちが増すだけ。


 その点、あの『外交官の家』と、同じ敷地内にある『ブラフ18番館』はいい。

 無料だし、まあまあ温かい上に、十七時まではいられる。

 さらにはぶらぶらしていたって不審でもなく、時間をつぶすにはもってこいの場所なのだ。


 入口の階段を昇り、洋風の庭園の中に入っていく。

 生垣に囲われ、ブロック分けされた大きな花壇に、冬だというのに色とりどりの花が咲いている。

 花壇の近くには水路のようなものがあり、その真ん中には小さな橋がかかっていた。


 いまにも雪が降り出しそうな空ということもあり、綺麗に整えられた庭も薄暗く“もったいない”という印象だ。

 水路も夏では涼しげなのだろうが、いま見ても寒々しく感じるだけだった。


 そして、そんな凍えるような気温のなか、小さな橋の上で人が一人立ち『外交官の家』をじっと見つめていた。



――・――・――・――・――・――・――


「寒そー……」

 思わずそう呟いてしまう。

 真っ白なコートを着てはいるが、寒がる様子もなく、凛と背すじを伸ばして立っている。

 あの女性はいったい何をしているのだろう。


 北風が頬を撫でるように吹きつけてきて思わず身震いしてしまうが、その人は動かないまま。

 背中まで伸びた艶やかな黒髪がそよそよと揺れていた。


 大学生くらいだろうか。

 外交官の家を見つめ続けるどこか悲しげな瞳に、透き通るような白い肌が綺麗だ。

 どんな顔をしているのだろう。

 もっと近くで見てみたい。


 引き寄せられるように歩みを進めていくと、その人は俺の気配を感じたのかなんなのか、突然こっちに顔を向けてきた。



 バレてしまったことに驚くと同時に、あまりの美しさに呼吸が止まった。

 さらには、目が合った途端、彼女はにこりと優しげな笑顔を向けてきてくれて。


 先ほどまでは薄暗く、もの寂しかったこの庭に、明るく柔らかい光が差し込んできたようにすら感じた。

 美人といわれる女優や、絵画ともまた違う。

 花や雪のような美しさ、そして儚さ。

 自分でも変だと思うが、その表現が一番近いような気がしてしまう。


 突然出会った不思議で美しい人に、一瞬にして心を奪われてしまい、情けないことに言葉も出せないまま立ち尽くしてしまった。



「こんにちは」

 澄んだ水に落ちた雫のような声が聞こえ、はたと我に返る。


「あ、は、え、ええと、こんにちは」

 こんな風に口ごもってしまうことなんか、滅多にないのに。

 俺の口は、相当空気を読めないらしい。


 緊張してまごついている俺がおかしかったのか、彼女は口元に手をあてて、くすくすと笑っていた。

「大丈夫、怖くないよ」


 怖くない、とかじゃなくて、貴女が美人過ぎて緊張するんです。


 そんなことを恥ずかしがらずに言えるほどキザでもなく、誤魔化すように笑うことしかできない。

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女は微笑みを絶やさないまま、そっと右手を上げていき『外交官の家』を指差していった。


「ねぇ。私、あの館に入ってみたいのだけれど……どうすればいいの?」

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