第2話 玉座の番人カッティ
「魔王さまあぁっ!」
天を衝くように高く、王国の城門を彷彿とさせるほど横に広く。
超巨大な、鈍い光沢と威圧感を放つ鉄扉がそこにはありました。しかしそれが酒焼けで潰れたようなハスキーボイスとともに、バンって。
千鳥足の酔っ払いが我が家に帰ってきた時のバンっうぃー今帰ったゾォみたいなノリでいとも容易く超高速に開閉された城門級の鉄扉の奥に立っていたのは、その人でした。
ああ、なるほど。これは勇者達もワンパンで負けるわけですね。
そこにいたのは、中ボスのグランツでした。
「じーじ、ただいまお使いから帰ってまいりましたぞっ!」
グランツことじーじは、最初から老化でシワシワだった顔を更にしわくちゃにし、こぼれ落ちそうな笑みを浮かべながら軽い足取りで中へと入っていきます。興奮で彼の頬がピンク色に染まっているのですが、これだけはやめて欲しいですね。
そう、ここは魔王城、玉座の間。ついに勇者たちが中に入ることを許されなかった、魔王の居住空間です。
「おおっ! 魔王さま! しばらく見ないうちに随分と毛むくじゃらでちっちゃくなられましたな」
かははははは。
空間にヒビが入りそうなほど盛大に笑いながら、彼は赤い絨毯の上を歩いて魔王が座するその場所へと向かいます。
あ、ちなみに。
この絨毯ですが、動物の毛皮などはもちろん用いられておりません。魔王城には剥製なんて野蛮なものは一切ありませんし、衣類やカーペット類も全て町の職人さまにお願いして、魔法合皮や植物でまかなっていただいております。
魔王さまも他のモンスターたちも、本当に生き物が大好きなんですね。
閑話休題。
グランツはそこにたどり着くと恭しく頭を下げ、片膝をついてかしずきました。その先にはこれでもかというほど細部に宝石を散りばめた、脚は純金製という一際豪華な玉座。
そしてそこに、ちょこんと。
ちょこんと、それは玉座に収まっていました。
まん丸でくりくりとしたつぶらなお目目。ふさふさでふっわふわ、抱き心地の良さそうな綺麗なブラウンの体毛。黒くて丸いお豆のようなお鼻。何よりキュートなのは、楕円形の耳についた水玉のリボン。
そう、まるでクマさんのヌイグルミのようなヌイグルミが、魔王さまの玉座に鎮座していました。
「魔王さま、そんなクマさんのようなまん丸お手てではせっかく買ってきたこのご本も読めませんなぁ。どれ、じーじが今から読んで差しあげましょうぞ」
グランツは言葉を投げかけます。ヌイグルミに。
いや、ヌイグルミでしょう。どこをどう見てもそこに座っているのは、クマさんのヌイグルミでしょう。
「もう、じーじ! その子はカッティちゃんなのら! わたちはこっちなのら!」
「おお! なんと!?」
毛むくじゃらとか言っていましたし、絶対最初から気づいていましたよね。わざとらしく驚いたフリをしたクソジジーーこほん、ジジィは声のする方に視線を送ります。
すると玉座の後方、ピンク色のファンシーな扉の前に小さな女の子が立っていました。
彼女は眠たそうに目を擦ると、フリルをあしらった水玉模様のネグリジェを引きずるようにして玉座に近づいていきます。
彼女の髪は目も覚めるように鮮やかな桃色で、それが地面を這うほどに長く伸びていました。肌は白く、幼いながらに目鼻立ちのはっきりとしたお顔、そしてその中でもくるりとした黄金の瞳が何より異彩を放っています。
彼女が歩いてきた扉には、ハートをかたどった木型のプレートが掛かっていました。そしてそこには、拙い字で『わたちのおへや』と書かれています。つまり寝室ですね。
そしてその下に小さく注意書きのように、『いきなりはいるとびっくりしてしゃっくりでるかもしれません。ちゃんとのっくするのら』と書いてあるのがとても可愛らしいですね。
そして彼女こそ魔王ルミタン(Lv2)、その人でした。
「むうぅぅぅ! 他の子ならしかたないのら! でもじーじが間違えたらダメなのら! いつもわたちと一緒なのにヒドイのら!」
彼女の背はジジィの半分ぐらいしかありません。ですから、彼女はほっぺを膨らましながらネコパンチでジジィを何度も殴打しましたが、それらは全部彼の腰下に当たりました。彼はとても嬉しそうでした。
「かははははは、こりゃあ失敬。魔王さまときたら、いつもヌイグルミのように可愛らしくいらっしゃるものでしたから。このじーじ、ついぞ気がつきませんでしたわい!」
「むうぅ、ぜったいウソなのら! わたちはそんなにかわいくないのら!」
「いえいえ! では、たとえばの話ですぞ!」
たとえ話が始まりました。
「ここに五万のクマさんのヌイグルミがあったとします! そしてその中に一人、魔王さまが紛れていたとしましょう! するとどうでしょう! きっと誰もが魔王さまをヌイグルミと間違えて気がつくことができんのです! つまり、魔王さまはヌイグルミと同じくらい可愛い。いや、ヌイグルミ以上にヌイグルミらしいのですぞ!」
五万分の一って気がつく以前に見つけられませんよね、普通。
不憫なことに、ジジィの壮大なペテンに引っかかった魔王さまは、それを聞いて目をキラキラと輝かせます。
それからしばらく飛び跳ねて喜んでいた魔王さまでしたが、やがて自分の長い髪を踏んづけて転びました。
何を隠そう魔王さまは三度の昼寝よりヌイグルミが大好き、彼女の夢はクマさんのヌイグルミになることだったのです。
そしてジジィはもちろん、その事実を熟知していました。
「ところで魔王さま、どうして玉座にこんなもーーカッティちゃんを?」
もう少しというところで、惜しくもジジィは言い直しました。
「……んとね。それはね、わたちが悪いのら」
しゅん、と。
急にうつむいて、指をもじもじさせる魔王さま。
地雷を踏んだことに気がついたジジィは顔面蒼白になりましたが、時すでに遅しでした。
魔王さまは潤んだ瞳で恐る恐る顔を上げ、ジジィを上目遣いに見ます。そしてゆっくりと口を開きました。
「わたちね、今日ね。じーじとフィリスのお話こっそり聞いちゃったのら。勇者しゃんが来るって聞いちゃったのら……」
「……なんと!」
これは冗談抜きで、彼は驚きました。魔王さまを今日の戦いに関わらせてはいけない。魔王さまの教育係であるフィリスとはまさにそのことについて話していたというのに、それ自体を聞かれてしまったのでは何の意味もありません。
ターン制バトルにおいては無類の強さを誇る彼ですが、エンカウントしなければその実力も充分には奮えません。
この時ばかりは、自分の不甲斐なさに胸を痛めました。
「だからね、お行儀よく待ってようと思ったのら。魔王らしく、きちんと座ってようと思ったのら。らけど……」
と、途中で眠くなっちゃったのら。
顔を真っ赤にして、魔王さまは力なく呟きました。なるほど。だからネグリジェ姿で、ついさっきまで眠そうだったんですね。
どうやら魔王さまは、結局睡魔には勝てず勇者をほっぽり出して眠ってしまったのでしょう。
そしてその一言で、ジジィには察っしがつきました。
なぜ、玉座にあんなものを置いたのか。それは恐らく、番人のつもりだったのだと。自分は力尽きて眠ってしまうけど、その代わりに大好きなカッティちゃんに玉座を託したのだと。
それはまさに、魔王としての心意気。彼女はやはり、幼くして覇王の器を手にしているのだと彼は確信しました。
「なるほど、じーじには全てが分かりました。つまりカッティちゃんは、勇者からこの城を守るために差し出していただいた尊い犠牲。いわば、我々を守るための番人。魔王代理とでも申しましょうか。確かに、可愛いは正義。カッティちゃんならきっと、勇者が攻めて来てもコテンパンにしてくれましょうぞ!」
「ん? じーじは一体なにを言っているのら? 勇者しゃんをコテンパンなんてしないのら」
「……と、言いますと?」
魔王さまは首をかしげて、キョトンとしていました。
「せっかく会いにきたのにわたちがいなかったら、勇者しゃん寂しくて泣いちゃうかもしれないのら。だからね、寂しくないようにってカッティちゃんに代わりをお願いしたのら。勇者しゃんとわたちは敵同士だけど、寂しいのは可哀想なのら!」
「魔王さまはやはり天使であったか」
今日も魔王城は平和でした。