流星の約束(卅と一夜の短篇第16回)
「今宵は新月なのだそうです。ですけれど、星が美しく輝くのだそうですし、この地方ではまだ多くの蛍が飛んでいるのだそうです。ですから、月のない夜ですのに、明るいほどなようですよ。先生、是非、私と一緒に見に行きませんか?」
「いいや、僕はいいよ。美しい星も、飛び交う蛍も、田舎で育った僕は見慣れていたからね。この老骨に鞭打って、苦労して見に行くほどのものではないさ」
断ったのだけれど、しつこく弟子に誘われたもので、渋々ながらも僕は行くことにした。
星空や蛍を見て、どのような気持ちになるかなんて、自分でなら想像できたことだろうに、興味を持ってしまったことだろう。
山を登ってまで、その場所を目指してしまったのだ。
苦労の先に広がっていたのは、話に聞いていたとおり、記憶を呼び覚まし、人を狂わせ酔わせるほどに、幻想的で美しい光景だった。
夏は嫌い。夏の夜は、もっと嫌い。
嫌でも、君のことを想い出してしまうから。
もうずっと昔のことだというのに、今でも、君との約束を信じようとしてしまうから。
僕が幼い頃、十歳くらいの頃だったろうか。だからもう半世紀以上も昔の話になるのだね。
可愛い方の顔をしていたわけでもないし、何か目立つ輝きを放っていたとも思えない。僕の理想としていた、優しくて穏やかな人とも、また違った人だった。
なのだから、どうしてここまで惹かれたのかは、年を経た今でもわからない。
昼間に君のをすがたを見たことはなく、夜になると必ず、決まって君はとある丘の上に現れた。
丘で初めて君に会ったとき、僕は初めて一目惚れというものを、恋というものを経験した。
「ここの星、とても綺麗ね」
その日は流星群が見られるというので、僕は家族と一緒に、星の見やすいその丘に登っていた。
僕たちの他にも、きっと流星群を見ることが目的で、丘には多くの人が集まっていた。
「あっ、うん、そうだね」
突然、君は僕に話し掛けてくれたよね。
そのときの僕は、それまで星空に感動していたのが嘘かのように、星なんてどうでもいいと思ってしまうほどに、君が魅力的に思えたんだ。
消えてしまいそうな儚い君が、これから来る流星群の、一つの流れ星のように思えたのかもしれない。
「あたしね、毎晩ここに来てるの。今日は人が多いから、見られないでしょうけど、流星群なんてなくたって、もっと近くに輝きはやってきてくれるのよ」
君の言っている意味が、さっぱりわからなかった。
だけど翌日の夜、またその丘に登ってみたなら、すぐにわかったんだ。
「とっても綺麗でしょ。なんだか、あたし、夜空を飛んでいるような心地になるの」
美しい星空は昨日と変わらないまま。昨日にはいなかった、多くの蛍がそこを飛び交っていた。
彼女が寝転ぶものだから、僕も隣に寝転んでみれば、たしかにそうだ。
空に輝く星々と、すぐ傍で輝く蛍たち。その輝きは重なって、星空を浮遊しているかのような気持ちになる。
うっとりとする僕に、君は自慢げな顔をする。
「あたし夜が好きよ。だって太陽って嫌。だってこういう小さな光が集まるから綺麗なのに、大きな光で、全部を隠しちゃうんだもの」
大きな光で全部を隠しちゃう、か。
そうだな。太陽なんて、そんなものかもしれない。
「だから太陽みたいに馬鹿明るい人よりも、月のように蒼白でも、弱々しくても優しくある人の方が好きだわ。正直、君は僕の太陽だなんて、悪口としか思えないわね。人に対して、暑苦しくて出しゃばりで、近付けないって言ってることよね。眩しいのはいいかもだけど、直接見たら失明するだなんて、そこまでの眩しさはごめんだわ」
彼女の太陽が嫌いというのは本当なのだろう。
肌は白く、今は夏だというのに、日焼けというものを少しも知らないように見える。
夜にだけ現れる星の精霊、もしくはこの蛍の中の一匹なのかもしれないな。
全てを照らすほど明るくはなくても、少なくとも僕の視界を明るくしてくれるくらいの、弱い光ならば君も発しているように思えるから。
みんなのじゃなくて、僕の光にはなってくれるんじゃないかって、思えるから。
それからも、君は毎晩そこにいるというものだから、僕もそれに合わせて毎晩丘に通った。
家族には、流星群だけでなくて、星空に感動したものだから、観察をしたいと説明した。夏休みの自由研究のテーマにすることで、上手く納得してもらえた。
君に会いたい気持ちが強いとはいえ、星の美しさに心を奪われたのもまた真実。
すっかり僕は幻想的な空間の虜になってしまっていたのだ。
「今日で夏休みも終わりだし、もう、来られなくなるかもしれない」
雨や曇りでは星が見えないものだから、君が来ていたのかは知らないけれど、僕は家族にも止められ行っていなかった。
それを除いて晴れの日には、丘へと通い君に会っていたのに、それがなくなると思うと寂しくて堪らない。
なのに、無慈悲にも、夏休みの終わりの日、その日は訪れてしまった。
自由研究という言いわけは使えなくなるし、これ以上どのように家族を誤魔化そうかとも思い付かない。そもそも、夜、一人で外に出るのは駄目だと言われていた。
哀しくもそう告げると、そっかと君は笑った。
笑ったんだ……、とても、悲しそうな顔で。
「ちょうどよかったわ。あたしも限界が近いから。あと少しで、綺麗な星の仲間入りするのよ、あたし」
驚きに目を見開いた僕に、君は笑顔で続けた。
「だけどね、ちっとも嫌じゃないのよ。あたし、星が大好きなんだもの。だけど最期に素敵な月みたいな人に出会っちゃって、まだ隣にいたいなんて思っちゃうんだから嫌ね」
細い体で僕を抱き締めてきた。
抱き締め返すと壊してしまいそうだったんだけど、そうしなきゃ遠くに行ってしまうようだったから、僕も傷付けないようにそっと彼女を抱き締めた。
暫くそうしていると、君の嗚咽が聞こえたものだから、もっと優しく僕は抱き締め続けていた。
胸が張り裂けそうで、どきどきするのは、大好きな君を抱き締めている喜びなのに、辛かった。
「こんなのはありかしら。星になったら、すぐに流れ星になって、あなたの願いを叶えるの。したら、あたしはあなたのために消えられるじゃないの」
「そっか。それじゃあ僕は、君の生まれ変わりと出会えるようにって願うよ」
「わかったわ。その願い、あたしが叶えるわ。絶対にあたしが願いを叶えて、生まれ変わったら全部思い出してあなたを探すの。今からすぐだったとしても、ちょっと歳の差はできちゃうけど、あなたがそう願ってくれるなら、あなたの傍にいられるなら満足よ。それじゃ、約束ね」
「うん、約束だよ」
その日も、あっさりと別れてしまった。
もう会えないことまで、約束されたようなことであるのに、いつもと変わらないように別れてしまった。
一つ違うと言えば、”さようなら”じゃなくて”またね”って言ったくらい。
「先生、泣いているのですか?」
「ちょっと、昔のことを思い出してしまってね。あぁ、やっぱり僕は、星が好きみたいだよ」