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或る中学生の意見書

作者: 辻一成

まず、この文章は小説ではないということを一応明記しておこう。だから、今こうして文章を書き連ねているのはキャラクターではなく実在する人間、作者であるということを理解して欲しい。だから特に気取った言葉を使うことはせず、どんどん話を進めたいと思う。

そして今回語るお話は私が考えたものでないということも先に言っておきたい。


先日、ひょんなことである中学3年生に会う機会があった。受験半年前の、しかも夏休み直前、周囲はさぁ遊ぶぞという時に彼は真剣に勉強しているらしい。彼の親が言うにはなんだかその勉強に対する姿勢には鬼気迫るものがあるらしく、少し心配だという。そんな彼と話して、私はもう自分が中学生の頃どのようなことを考えていたのかなど覚えていないにしてもやけに大人びている子だなという印象を受けた。否、この表現は的確ではないかもしれない。世間から言えば大人びているだけの彼の話を聞いていると、どうも大人とかそういう抑圧的な世間の定義を訝しく思ってしまったのだ。何も大した話をした訳でもないし、彼の言うことが聖人じみていたという訳でもない。手っ取り早く、私が覚えている限りで紹介しようと思う。残念ながら私の記憶に準拠してしまうため、そのうえ私の拙い表現力では彼の容貌、態度を伝えきることは出来ないがなんとか彼のもつ周囲に対する、思春期特有か、はたまた人間として実はそちらの方が正しいのか私には決めかねたその意見をご覧いただきたい。



「僕の学校の先生は大学院を出たらしくて、でもそれをわざわざそれを生徒に言うとかしない人なんです。でもそれを内心で自分のステータスだと思っているのか、それともともとそういうタイプの人なのか分からないんですけどすごく高圧的なんですよ。なんだか自分の言うことは全て正しいんだ!って思ってるのが伝わってくるんです。でもこれがすごく怖いなって思うんですよ。例えば僕の周りの友達、もちろん中学生です。彼らって多分僕なんかよりすごく純粋で、だからこそ大人とか社会とか先生とか、自分より上の立場の人が言うことって全部正しいって思ってしまう節があるんです。これは体感的なことで具体例を挙げろって言われると少し困ってしまうのでなんとかそういうものだと思って聞いてください。で、その先生がこの前学年全員が集まる集会で軽くお説教をしたんです。中学校ってたくさんの教科があってそれら全部先生が違うじゃないですか。だから先生にも色んな人がいて、すごく優しい先生とか信頼できる先生とか、その逆でどうしようもない、こんな大人にはなりたくないなって思うような先生もいるんです。その高圧的な先生が言うには、どんな先生に対しても同じ態度をとれって、全員に対して尊敬の念をもって接しろって言うんです。もちろんストレートにこう言いのけた訳じゃないんですけど概ねこういうことを言ったんですね。でもこれってすごく危ういことじゃないですか。だってどうしようもない大人の言うことを聞いて、その通りにしていたらその人にどんどん近づいてしまう。そんな言ってしまえばダメ人間製造の方法にもなりかねないことを僕達に言って聞かせたんです。実を言ってしまうとこの話をその高圧的な先生がしたのは多分僕が原因で、僕、その高圧的な先生の授業は真面目な振りをしているんですがどうしようもない先生のときは思いっきり自習してるんです。その高圧的な先生はすごく陰湿でもあるのでその学年集会ですごく僕のことを言っているんだって、僕の学年なら誰もがわかる風に話をしたんです。あぁ、でも勘違いしないでください。この話を今、僕がしているのはこの対象が僕だったからむかついて、その腹いせにお話ししてるわけじゃないんです。さて、話を戻しますね。で、僕がそういう風に自習してた理由はそのどうしようもない先生の話を聞いても僕の得には全くならないし、かと言って自習をしていても特に何も言ってこない先生なので時間を無駄にしたくはないからです。で、他の信頼できる先生の時は話をしっかり聞いてたわけです。あ、一応言っておくと高圧的な先生の時真面目なふりをしていたのは自習がばれると面倒だからです。呼び出されて時間を奪われたくなかったから。その集会の時の先生の話ではこういう、まぁ僕の損得勘定の拙いものではあるんですけど世間の俗に言うデキル大人が使っている処世術の一つを真っ向から否定してきたということになるんです。自惚れに聞こえてしまうかも知れませんが、でもこのようにしておけば例えば無能な上司の言うことを真面目に聞いて、ずっとその通りにしていたら上司も自分も仲良く窓際の席で平穏な生活を送ることになる...ということは防げるでしょう?例えが分かりづらくてすみません。で、だいぶ前に言ったことなんですけど僕の周りの中学生は、純粋な彼らはきっとこの言葉を鵜呑みにして無用なことまで忠実にやってしまう様な人間に育ってしまうんですよ。俗に言う指示待ち族...ですかね?そんなのに近くなってしまうかもしれない。そんな危うさもある。その高圧的な先生の話ってもっともっと平たく言い換えると目上の人...もしくは上司とかですか、そういう人たちのいうことには絶対に従えって言うふうにも解釈できませんか?すくなくとも僕はそう思いました。でもそれじゃいけないと。総括していえばその高圧的な先生はどんなに無駄な、無意味なことでも自分より立場が上の人間の言うことだったら全てに従えと言いました。それに対して僕はそんなことをしていたら、使えない人間が社会に増えてしまう。何せ中学生は純粋で、大人の言うことを盲目的に信じてしまう嫌いがあるから、と思ったんです。そんなことを教えずに彼らが思い思いにしていたらもしかしたら歴史上の偉人を超えるような逸材が今ある世間とか社会っていう大きなものに埋もれることなく、それどころか今の常識を全部壊してよりよい社会を作れるかもしれない、その可能性をぶっ潰すようなその高圧的な先生にはとても賛成できないと。もちろん僕がまだまだ社会から見たら若造で、中学生が大人ぶって何を言っているんだと思われてしまうかもしれませんが、ただ、中学生3年生の今、僕はこういうことを思ったんです。きっと僕が大人になれば僕も高圧的な先生と同じような思想を持ってしまう。なぜならそちらの方が僕に都合が良いだろうから。今僕が先生に反対するのはきっと根底に中学生の僕には先生の意見が不都合だったから。そんな気もしてしまいます。じゃぁ、一体全体何が正しいんでしょうね?そもそも正しいなんて多数決で、社会の多くの人が同調した方ですよね。それは歴史でも幾度となく見られたことですし。とにかく、夢見がちな1中学生である僕は今、こんなふうに考えて、こんなふうに疑問を持っています。意見を正当化するために無理やり理由をこじつけている感もあって自分で自分が嫌になってしまうんですけれど。






私が彼の話を聞いて思ったことをあえて語るとすれば、蛇足だと分かっていながらも語るとすれば自分に悩んでしまった。年甲斐もなく彼と同じように、社会とか世間とか、そんな私の中で凝り固まった、多数決で決められた正しいものに対して疑問を持ってしまった。私がこの世に生を受けてから大分と年が経っている。もしかしたら、彼の言う、彼の周りにいるという純粋な中学生たちが何も教育を施されないで持つ感情とか意見とかこそが真に正しいものなのではないかと。そこに無理やり一縷の希望を託したくなってしまうくらい悩んでしまった。そして、私はきっとお察しだろうが彼の疑問に対して解答をできずに終わってしまうと言うことを一応明記しておこう。最後に、彼の意見が少しでも伝わっていたとしたら幸いだ。

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