第一話 神奈川県横浜市
『バラルーシ』勇者が呪文を唱えると、対峙していたモンスターを白い靄が覆い、その姿を消してしまった。
「また敵を吹き飛ばす魔法?いい加減戦わないと経験値が入らないよ!」旅の仲間の魔法使いがボヤく。
「遭遇したすべてのモンスターと戦っていたらいつまでも魔王城にはたどり着けない。『バラルーシ』を臨機応変に使っている勇者の判断は正しい」老剣士が言った。
「お前はどう思う、賢者?」
意見を求められた賢者は険しい顔をしていた。
「魔物に怯える人々のため、魔王討伐の旅路は急ぐべきですが…」そこで言葉を区切り賢者は旅の仲間を見渡した。「私は以前から疑問に思っていました。転送されたモンスターはどこへ行くのでしょう?もし遠方に飛ばされるだけなら、その近隣の町や村は危険に晒されるのでは?」
それを聞き、今度は旅の仲間全員が勇者の顔を見る。
勇者は「大丈夫、この世界に影響はない」とだけ答えた。
神奈川県横浜市。
首都東京にもほど近いこの港街は、七年前から突如モンスターが現れるという奇妙な現象に見舞われていた。
開発された生物兵器か、はたまた異世界からの侵略者か?自称専門家を名乗る人達が代わる代わるテレビに出ては持論を語っていたが、未だに答えは出ていない。
「おはようございます。四月十五日金曜日、朝のニュースです。早速ですが、速報が入ってきています。横浜市中区関内駅周辺でモンスターが出現したとの情報が入ってきました」
自室でテレビをつけながらセーラー服を着ていた黒咲百花の手が止まった。リモコンを手に取りテレビの音量を上げる。ニュースは現場と中継が繋がり、不気味な唸り声がテレビから響いてきた。
「こちら現場の三田です!!モンスターが出現した関内駅の隣駅、石川町に来ています。現場までは1キロ程ありますが、ご覧ください!この臨場感!!モンスターが巨大なため、ひと駅隣でも目の前にいるかのような迫力です!!」
関内駅には5階建ての神奈川県庁舎が建っているが、それを優に超える大きさのモンスターが画面に映っていた。頭が3つある大きな犬のモンスターで、神話に出てくる地獄の番犬ケルベロスそのものだった。
「ファンタジー映画やゲームでご覧になった方も多いと思います。先程、〈不確定生物協同対策委員会〉も、このモンスターを『ケルベロス』と認定しました。また、同時に勇者パーティーも派遣されたそうです。間もなくこちらに到着するものと思われます。モンスターが倒されるまで付近の住人は現場に近づかないようご協力ください」
「皆護くんが、来る!」ニュースを聞いた黒咲は早々に着替えを済ませ、鞄を肩にかけると部屋を飛び出した。いつもより早く家を出る娘に母親は驚いたが、「部活の朝練があるんだ」と適当なことを言って家を後にした。
黒咲が現場に到着した時には、リポーターの忠告も虚しく相当な数の野次馬が集まっていた。
関内駅から1キロ程離れた所に規制線が張られていて、見通しのいい場所とはいえケルベロスの頭半分しか見ることができない。
黒咲が現場の状況を把握しようと周囲を見渡すと、すぐ近くのカフェバーのテレビで今朝のニュースの続きが流れていた。
「先程、勇者パーティーの三名が現場に到着しました!!皆さん、見えますか?!」
カメラが関内駅の方へズームしていくとケルベロスの周囲に三人の人影が映り、勇者パーティーと呼ばれた彼等がケルベロスと交戦している様子が見てとれた。
「ホテルのベランダで杖を持っているセーラー服の少女が見えますか?彼女は魔法使いの藍田奏さんです!使用している魔法は…『モノク』でしょうか?ケルベロスの動きが鈍くなったように見えます!!」
テレビ画面に映った藍田は黒咲と同じセーラー服を着ていた。黒咲はそれを見て(ああ、やっぱり)と納得する。
(関内駅はうちの学校の近くだし、やっぱり丘の上中学校のメンバーが派遣されてるんだ。ということは後の二人は…)黒咲は同級生二人の顔を思い浮かべた。
「そして、あちらの雑居ビルの屋上で弓矢を構えているのは、弓使いの進藤甲矢さんです!!」
進藤は学校指定のジャージを着てスポーツバッグを背負っていた。通常、スポーツ用品を入れるはずのそのバッグには、数本の矢が入っていて矢筒として使用されている。ものぐさな格好をしているが腕は確かなようで、雑居ビルの屋上から弓矢でケルベロスの目を狙い、既に6つのうち4つの目を潰していた。
「そして最後はこの人!!パーティーの中でも一番の強者に与えられる〈勇者〉の称号を持つ者、皆護豊さんです!!」
広い車道の真ん中で、学ランを着た皆護が西洋風の剣を構えている。勇者の存在を知らない人が見たら、学生の悪ふざけにしか見えないだろう。
皆護は機を伺っていた。進藤の矢が5つめの目を潰した時、ケルベロスは残った目を庇おうとして三つの頭を寄せ合った。その瞬間、皆護は地面を強く蹴った。踏み台となった道路は陥没し、彼の体は一瞬でケルベロスの頭上まで跳躍した。
カフェバーのテレビで中継を見ていた黒咲は関内駅の方角へ目を移す。ケルベロスの頭上高く、空中で剣を振る皆護の姿が肉眼で確認できた。
この日関内駅周辺にいた人たちは、生まれて初めてケルベロスの首が切れる音というのを聞いた。バリバリと音を立てて、首と胴体が離れていく。一つ二つと頭が地面に落ちていき、最後の頭は体ごと地面に崩れ落ちた。周囲に土埃が立ち、しばしの静寂の後、市民はモンスターの討伐に声を上げて歓喜した。
誰もが安堵しているその空気の中、隙を見て規制線を抜ける黒咲の姿があった。
(皆護くんの無事を確認するだけ、ひと目見たら学校に行くから)
黒咲はそう自分に言い訳をして関内駅へ向かう。ケルベロスが倒れた時の土埃がおさまらず視界が悪い。おかげで時折警官とすれ違ったが見つからずに現場へ近づくことができた。
規制線から10分程走ってきたところで、道路を塞ぐ黒い塊が見えてきた。
(ケルベロスの前脚?)
脚だけで道路4車線分を塞いでいる。既に息絶えているとはいえ、モンスターの側に来ていることを実感して黒咲はゾッとした。
(怯むな私、皆護くんに何かあったら私が助けてあげるって、決意した時もあったじゃないか!)
体にグッと力を込める。気を取り直して、周囲に皆護の姿がないか見渡していると、塞がれた道の先から声が聞こえてきた。
「あれ?黒咲さん?同じクラスの黒咲百花さんだよね?」
黒咲にとって有り得ないことが三つ同時に起こった。
まず、ケルベロスの遺体の上を人が歩いてきたこと。次にその人物が探していた皆護本人であったこと。そして皆護が初めて黒咲の名前を呼んだことだ。
「こんなところでどうしたの?」皆護がケルベロスから降りて黒咲に近づいてくる。
なんと答えるべきか?黒咲は完全にパニックに陥っていた。
(あなたが心配で来ました、何て言えるワケない!!じゃあここにいる理由を何て説明すれば…。いっそ昔助けてもらった時の話をしてあの時のお礼をちゃんと…)
試行錯誤しているうちに皆護は黒咲の目の前まで来ていた。頭が真っ白になった黒咲は結局、「なんでケルベロスの上を歩いているの?」という間の抜けた質問をしてしまった。
「ああ、確実に倒せたか分からなくて、今トドメを刺すため心臓部分を探してるんだよ」皆護は律儀に答えてくれた。
「そ、そうなんだ、見事に倒したと思ったけどな」そう言って黒咲がケルベロスの方に目を向けると、その先には見通しの良くなった道路が見えた。
(あれ?さっきまであそこを塞いでた脚は?)
それと同時に、太陽の光を何かが遮っているのを感じた。黒咲は頭上にあるものを確認しなかった。見たら恐怖で動けなくなると思ったからだ。目の前の皆護を乱暴に掴むと渾身の馬鹿力で突き飛ばした。
(ああ、勇者になった皆護くんを助ける日が来るなんて思ってもみなかったな)
直後、頭上から降ってきたケルベロスの前脚によって、黒咲百花は圧死した。