第6章:その口で私の口を塞いで頂戴
「にしても、完敗だったねー」
第一声がそれだった。
「完敗とまではいってない。 ……せめて惜負だ」
負け惜しみよろしくなことを言っているのが哀れだということを自分でも知った。
あの辻戦で見事敗北を喫してから、約五分たらずしか経っていない中、俺は何をしているかというと、謎のラーメン屋にての残念会だ。
敗北の味をこれでもかというくらいに全身全霊全力で味わっているところを構わずに引っ張ってきたかというと、見るからに怪しげな空気しか漂わない謎のラーメン屋だった。
こんな所にいきなり突っ込むとなると、よほどアキさんのお気に入りのだったのかもしれない。
あるいは。
アキさんの心遣いだったのかもしれない。
店内は思っていたよりマトモで、落ち着いたピアノの旋律を背後に流しながらも、照明がほどほどに控えられており、いかにもアキさんが好きな雰囲気になっていた。
深い木の色をした内装には、自然らしい包容力があり、独特な空気が流れていた。
そんな中、何も言わずに無言で窓際のテーブル席に着くと同時にして醤油煮卵ラーメンを二つ、俺の分まで頼んでくれたのは、そっと涙をそそってくれたと思っても良い。
良いですとも。
だが、それもこれも俺と向かい合う形で座っているブラックリバーも一緒に連れてきた性で、なにもかもをぶち壊している気がする。
うん、やはりこの人の頭はアイスで出来ているとしか思えない。
肝心の味の方だが、一口付けてみると、あっさりした風味で次の一口を誘うような不思議な味付けがなされていた。
だが、特に目を惹いたのが煮卵で、半分に切られておらずにそのままの形でプカプカと重力やら浮力やらをまるきり無視して浮かんでいた。
「ここのラーメンはね、神秘の卵が売りなんだよ」
とそっとアキさんが教えてくれた。
箸で卵を真っ二つに割ると、中から覗かせるのは黄身には似付かないほどの黄金の輝きを放っていた。
「お、おう………」
少しばかり驚いて声を立ててみると、満足そうにアキさんがニコリと微笑んだ。
これは外装があまりにも酷かったので勘違いしてしまったが、それは誤解だったようで、なかなかイケる店だった。
それから、しばらく無言の食事が続き、突然先ほどの台詞が飛び出してきた。
「いやでもまぁ、俺は実力の5分の3しか出してないけどね」
箸をクルクルと回しながらなぜか得意げに呟くブラックリバー。
「半分は出していただろう?」
「20分の12しか出してないぜ?」
そう涼しい顔で言われると、何か騙されている気がする。
――しかし、手を抜いていたというのは、本当だ。
最後に奴が見せた、突進速度。
目視さえも許さない、突進速度。
アレは、もうすでに人の限界を超えていた。
まるでアキさんじゃないか。
と、三枚目の防御魔法が破れる寸前に思った。
「しっっっかしまぁぁぁまぁ、奥の手の《二刀流》を使ってまで負けるだなんて……そんな子に育てた覚えはありませんよ」
「育てられた覚えが無いもんなぁ!」
「じゃあ、恋人?」
ブラックリバーに引けを取らない速度で麺を啜っていたアキさんが動きを止めてじっと目を見つめる。
その潤んだ瞳からはどこか奇妙な輝きが見え、この人も女性なんだなと改めて確認する。
……うむ、可愛い。
「――って違うっ!」
いかんいかん、危うくこの人に飲み込まれそうになってしまった。
慎むべし、慎むべし。
「ともかく、ブラックリバーさんよう。……の前に、言いにくいんだが、その名前」
「…ん? んん、じゃあ、くろか――」
そこまで言った所で止まり、口をパクパクさせて目が泳いだ。
――まさか、ラーメンに毒が!
しかしまぁ、そんなことがあるわけなく、残念ながら毒が盛られていたのではなく再び箸をクルクルと回し始めた。
「まぁまぁ、いいじゃない。この名前結構気にいっているし。それよりも、だ。アルカナ君」
切り返しが妙に早かったのは追及しなかった。
ブラックリバーは、箸を回すことに集中していて、こちらに視線を合わそうとしない。
大して、深い感慨などないかのように告げた。
「――本当にお師匠さん、残念だったね」
ズルズルズルズル。
この時、アキさんの麺をすする音が、やけにうるさく聞こえた気がした。
いや、実際にもう店内には客は俺達しかおらず、音をたてるのはアキさんだけだった。
ブラックリバーはただ箸を見つめている。
見つめているが、言いたいことは言わずとも分かっていた。
俺は無言で手の中に薄く青い刀身を持つ剣を出現させた。ずっしりと手に重みが伝わる。
それを受け取ると、そこら中をなでまわし、少しだけ鞘から引き抜いた。
アキさんも、この時ばかりはじっとそれを見ていた。
「ムーンライトソード」
そう、言った。
「簡素にしてシンプル。無難にして堅実。緻密にして大胆。流石の妖刀だ。恐れ入るよ。 ……KARASAWAもあればなお良かったんだけどね」
ま、仕方ないか、とそう意味の分からないことをひとしきりぶつぶつと呟くと、パチンと音をたてて納めた。
ほら、返すよ、とそれなりの重さがあるはずだが、奴はヒョイと軽くこちらへ投げた。
不意打ちのように投げられ、慌てて両手で受け止めた。
腕に重くのしかかる。
重く、のしかかる。
心に重く――のしかかる。
「ああ、別にその剣はもう良いよ。せっかくの逸材だ。しっかり取っておいたら」
ぼかすようにして言う。
この男は、やはり全てを知っていたのだ。眼鏡の向こうに写る瞳は、俺の全てを見透かしていた。
――知った上での、言葉だった。
それからの、静寂すぎる時間。
そのまま向こうが無言のまま話を切り出そうとしないので、お冷やに何度も手をつけることになった。
お冷にも工夫が入っており、少し酸味の利いたレモンの味がほんのりした。
まるで、気にもならなかった。
ズルズルズル。
「しかしまぁーー」
ズルズルズルズル。
「アレだよね、そのーー」
ズルズルズルズルズルズルズルズルズルズルズルズルズルズルズルズル――
「アキさんここシリアスなシーンだから!」
堪らずに叫んだ。
何が起こったのか分からずにきょとんとした顔のアキさんに構わずに続ける。
「え? ああ、麺後麺後」
「ギャグセンスが絶望過ぎだ! せっかくこの街に入ってからは一切のお笑い無しでやってこれたのにここにきて何がダメだったんだ!」
「え? シリアスにしたかったの?」
「一切ふざけた絡みが無いのを見れば分かるだろ! せっかくの雰囲気をアキさんがうるさくした性で台無しじゃないか!」
「じゃあ、そのうるさい口をあなたの唇で塞いで頂戴」
「恋愛な展開へもつれ越させようとしている!?」
「覚悟はある」
「こっちには無いんだ! 頼むからこれ以上俺の突っ込みのセンスを試すようなことはやめてくれ!」
……少し、テンションが上がりすぎた。
見ると、カウンターの方でいわく年輪の入ったマスターが微笑みながらそこにいた。
慎むべし、慎むべし。
そのブラックリバーはと言うと、事の他、笑いこけていた。
文字通り、腹をかかえて笑っている人を初めて見たかもしれない。いや、アキさんがしたことあるかもしれないが。
しかし、こいつも案外、笑い上戸なのかもしれない。
ともかく、とアキさんがついっと指を立ててみせる。
「こっちはわぁーざわざ、ブラックリバーにこの剣を見せる為に遠路はるばる歩いてきたわけじゃないんだよ」
「――ああ、うん、そりゃ分かってるよ。当然。 ――召集、だろう?」
ごちそうさまでした、とアキさんが両手を合わせた。
「うんうん、そういうこと」
「うんうん、そういうことだよね」
「うんうん、どういうこと?」
残念ながら、どうやら俺一人だけ会話に付いていけてないらしい。
めんまに箸を伸ばしてそのまま口へと運ぶ。めんまはあまり好きじゃない。
そしてそのまま畳み掛けるように皿を両手で持ち、汁をぞぞぞっと音がたつのも気にせずに一気に飲み干す。
感想と言えば、うまかったとしか思い浮かばない自分の語学力に悲しくなるが、言うならば、あの神秘の煮卵を是非とももう一度食べてみたい所だった。
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ちなみに、KARASAWAの意味が分かった人、いますか?