表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乾宮――昔がたり  作者: トグサマリ
【第二章】
4/22



 ひょんひょんひょん、と、鳥のさえずりが園林(ていえん)から流れてきた。

杜鵑(ほととぎす)? 綺麗な声だわ……」

 翠蘭(すいらん)は園林に顔を向けて、まぶたを伏せた。(きん)の上の指が止まったままでいるのは、杜鵑(ほととぎす)の声に聞き入りたいせいと、爪弾くことに飽きたからだ。

「手が止まっていますわよ昭儀(しょうぎ)さま」

 侍女のひとり、喬玉(こうぎょく)の注意が飛ぶ。

「あ、ご、ごめんなさい」

「わたくしどもに謝っていただかなくて結構。さ、お続けください」

(もう……)

 ()弦尚(げんしょう)が言ったという「侍女候補は堅苦しい者ばかりだ」というのは、まさにそのとおりだと翠蘭は内心溜息をつく。今日は朝から書を習い、午後は(きん)の練習である。決められた一日の授業を彼女たちは四角四面で遂行しようとする。

 それもこれも、翠蘭を立派な()昭儀(しょうぎ)―――皇帝の妻へと変身させるためである。

 侍女として上がるはずだったのに、妃嬪(ひひん)として、翠蘭はここ後宮で暮らしている。

 ぽろんと弦を爪弾き、翠蘭は自由に歌う杜鵑(ほととぎす)を少し恨めしく思った。



 何故こんなことになったのか。

 翠蘭が侍女の話を受け、()家を訪れたときだった。

 慎ましい―――けれど翠蘭には豪華な邸第(やしき)の一室で姫との対面を待っていると、青い顔をした()基静(きせい)が覚束ない足取りでゆらりと現れたのだ。

 開口一番、

「身代わりを頼みたい」

 硬い声だった。

「へ?」

 言ってる意味の判らない翠蘭は、呆けた声を返すことしかできなかった。

「問題が起きてな。鈴葉(りんよう)がな、出仕できなくなった」

 鈴葉とは、翠蘭が仕えるはずの姫の名である。目をぱちくりさせる翠蘭。

 出仕できなくなったと簡単に李基静は言ってのけたが、そう簡単に「できなく」なるものだろうか。李家の出世のためだと懸命に、それこそ必死になって翠蘭を説得していた李基静だ。「出仕できなくなった」のひと言で片付けられる問題とは思えない。思わぬ展開に、肩透かしをくらった気がした―――のだが。

(って、ちょっと待った。身代わりって……聞こえたんだけど)

「ご病気、でも?」

「そんなものなら出仕させておるッ。それができないから大問題なんだッ」

「……」

 とばっちりを食いそうな勢いである。だが、どうしても確認すべき台詞があった。

「あの……いま、『身代わり』って聞こえたんですけど……」

「そうだ。身代わりを頼まれて欲しい。というか引き受けてもらう。そなたは鈴葉(りんよう)と同じ十七歳だ、背格好も似ておる。顔立ちも……うーん、似ている、としておこう」

「え、あの、ま、待ってください」

 ()基静(きせい)の、どこか()ってしまっている真剣な眼差しが、怖い。

「他の者では年齢や体形が合わんのだッ。合ったとしても、声が野太い」

「な、なにをおっしゃってるのか、あの、失礼ですが判ってらっしゃるんですか」

「判っておる重々承知しておるわッ! だが、これしかないんだ。頼む、我々を助けると思って……、いや、助けてもらいたい! 鈴葉として、後宮に上がってくれ!」

 ずいとにじり寄られて、開いた口がふさがらない翠蘭(すいらん)

 貴族の姫さまの身代わりになれ、だと?

 李基静はかなり混乱しているようだった。

(なに言ってんのよ、このひと。わたし平民なんですけど。普通の庶民なんですけど! 身代わりって、できるわけないじゃないの!)

 身代わり自体は、面白そうだとは思う。けれどただの身代わりではない。天子(てんし)さまの夜伽(よとぎ)を務める者の身代わりなのだ。はいそうですかと簡単に受け入れられないし、手放しで喜べるほど庶民にとって天子さまは近い存在ではない。

「もちろんそなたの家族の面倒はちゃんとみる。薬代や進学の費用だけではないぞ、生活だって不自由はさせぬ。ああもしも施しが気に食わないというのなら、您父(ちちぎみ)に仕事を紹介するという形でもいい。おお、それが一番まるく収まるじゃないか!」

「あの、いえ、ですけど。そんな、わたしは侍女だと聞いて」

「これしか道がないのだ」

「そうはおっしゃいますけど」

 無理なものは無理だし、無茶なことは無茶なのだ。

「嫌でもなんでも、事情が変わったのだ。もうそなたしかおらぬ」

「鈴葉さまだってお嫌なはずです、庶民のわたしが身代わりになって後宮に上がると知ったら」

「ふん。そんなこと思うものか。思ったとしてもざまァみろだ」

 憎々しげに吐き捨てる。実の娘に対して、たいそうな言いっぷりだ。

「あいつはな、私奔(かけおち)しおったのだッ。よりによって僕隷(げなん)と一緒にな」

 思い出すのも忌々しいのか、鼻にしわを寄せてまで顔を歪ませる。

私奔(かけおち)……、ですか」

 そういうことか、と翠蘭は李基静の怒りに得心がいった。

 私奔(かけおち)に怒っているのではないのだ。怒ってないわけではないだろうが、それ以上に相手が僕隷(げなん)ということが許せないのだろう。

 貴族にとって使用人は同じ人間ではなく、更に僕隷は上級使用人でもないただの下働きの男だ。そんな男と手に手を取り合って出奔(しゅっぽん)したのが腹立たしいのだろう。しかも、入宮を目前にしたこの時期だ。家名に泥を塗る行為でしかなかった。捜索して連れ戻しても汚名は残る。李家としては、なんとしても隠し通したいだろう。私奔(かけおち)したのは娘ではなく女僕(げじょ)だと言い張るつもりかもしれない。

「ですけどどう考えても無理です。わたし、たしなみもなにもなくてすぐにばれてしまいます。ばれたら、それこそ大問題になります」

「ばれぬ。大丈夫だ。なに、鈴葉(りんよう)も不器用な娘でな。荒削りで風雅(うた)も巧く詠めぬ莫迦者だ。そなたの努力次第で、鈴葉の上をも行こう」

「……」

 素直に頷けない発言だった。

「鈴葉の行方をいま追っておる。必ず見つけだす。見つかり次第、侍女として後宮に上がらせるからそこで入れ替わればいい。とにかく、やっと摑んだこの機会を逃したくないのだ」

「……」

「頼む」

「そんなにうまくいくでしょうか……」

 背格好や顔立ちが似ているとしても、別人であることに違いはない。

 ためらう翠蘭に、李基静は卓子(つくえ)に手をついて、ずいと身を乗りだしてきた。

「うまくいかせるのだ、なんとしても。これは提案ではない、命令だ。悪いが、そなたは拒絶はできぬッ」

 血走った強い目で、貴族である()基静(きせい)はそう言い切ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ