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乾宮――昔がたり  作者: トグサマリ
【第一章】
2/22



 広大な大陸の東にその強大な国は位置していた。国の名は(けん)。王朝は何度か変われど、二千年以上の歴史を持つ大帝国である。

 乾を流れる大河のひとつ、夕水(ゆうすい)の川沿いに、大帝国の中心、首都龍黎(りゅうれい)はあった。

 龍黎は碁盤の目のように南北、東西を走る道によって〝(ぼう)〟に区切られている。その東南にある香江坊(こうこうぼう)翠蘭(すいらん)はその一画にある舎館(りょかん)併設の飯館(しょくどう)彩秋飯館(さいしゅうしょくどう)で働いていた。

 祖母が異国人であるため肌の彫りはやや深く、色素も全体的に薄い。しかし、龍黎は国際都市でもある。彼女よりも肌の色が薄い者もいれば、逆に濃い者もいる。褐色の髪と瞳は目立たないと言えば嘘になるが、誰の目も引く、とまでは残念ながらいかない十人並みの顔立ちだった。

「今日はあんまり寒くない~ でもちょっとかな 寒いかも~

 なんて言ってる場合じゃない だってほらほら お客さん」

 卓子(つくえ)を布巾で拭きながら適当な自作の歌を口ずさんでいた翠蘭の目が、入口へと流れた。

「いらっしゃいませ! 今日は寒いですね、ささ、どうぞ中に!」

 入口に現われた男士(だんせい)が、なかば翠蘭の勢いに負ける形で店内へと足を踏み入れる。

 狭くもなく広くもない店内には、客の姿が数組ばかり。先客たちの視線の邪魔にならない席―――けれど外からの窓越しに繁盛していると思わせる席へと、翠蘭は客を案内する。

 明らかな旅装ではないが、砂に汚れた足元に置いた行李や隠しきれない疲労の色から、龍黎にやってきたばかりなのだと翠蘭は予想する。朱雀大路(ちゅうおうどおり)を二本東にそれた香江坊(こうこうぼう)にやってきたということは、繊維関連の行商かもしれない。香江坊は、繊維業を営む店が多い。

彩秋飯館(さいしゅうしょくどう)へようこそ。今日の宿はお決まりですか? よろしければ、向かいの彩秋舎館(さいしゅうりょかん)にどうぞ。明日の朝食、一品おまけになりますよ」

「そりゃあいい。仕事前にゃたらふく食いてェからな」

 翠蘭の父親よりは十ほど若い男がにやりと笑む。翠蘭も言質(げんち)を取るようににっこり笑んだ。

「お待ちしております」

「なにか、温まるものないかな。さらさらっと軽いやつ。十銭ちょいくらいで」

 昼食と夕食のちょうど間となるこの時間は、時間つぶしにお茶を適当に飲んでいく客がほとんどである。だがこの客の仕草は、箸で食べ物を口にかき込むものだった。

「お晩飯(ゆうはん)としてですか?」

「いや。これから寄るところが幾つかあるんだ」

(かも)湯飯(ごはん)(鴨肉のお茶漬け)はどうです? お晩飯(ゆうはん)のあとに召し上がる方がほとんどですけど、すぐに出せますし、さっぱりしてますよ。量も少なめですからお腹が張ることもないかと」

「うまいか?」

「わたしは好きですね」

「じゃ、頼む」

「かしこまりました」

 それと、と、厨房に注文を伝えようと背を向けた翠蘭に声が続いた。

小姐(じょう)さん、名前、なんてェの? 今夜ヒマ?」



小姐(おねえ)さん、もてるねぇ」

 そう声をかけてきたのは、例の(かも)湯飯(ごはん)の客が店を出、他の客たちもいなくなったあと、ただひとり残っていた男士(だんせい)だった。五十代半ばあたりだろうか、端正な顔立ちの彼は、ここしばらくふらりとひとりでやって来て、なにをするでもなくただお茶を飲んで―――そして帰っていくという不思議な客だった。

 翠蘭(すいらん)は、彼は豪商の大旦那なのだと踏んでいる。少々若いかもしれないが、隠居したばかりで時間を持て余しているのではないか。見た目の年齢に反して、あまりにも悠然としていて、落ち着き過ぎている。

 声をかけられたのは、これが初めてだった。

「そんなんじゃないですよ」

 苦笑う翠蘭。

「みんな社交辞令で言ってくださってるだけで、いちいち本気にしていたら気が持ちません」

小姐(おねえ)さんに限っては、社交辞令なんかじゃないと思うけど」

「わたしを持ち上げても、なにも出ませんよ」

 いやいや、と、男は(ほの)かに首を振る。口に持っていった茶杯(ゆのみ)卓子(つくえ)に戻して、眼差しを深くさせた。

「本気でそう思ってるよ。少なくともわたしは本気だ。―――後宮にな、上がってもらいたい」

 え? と目をぱちくりさせる翠蘭。

 いま、この客は〝後宮〟と、言った……?

 あまりにも唐突で縁のない単語に思考も身体も固まる翠蘭に、男は再度重ねた。

「後宮に上がってもらいたいんだ」

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