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ラビリンスで待ってて  作者: 南 晶
第9章 -佑樹-
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50話

 ドアを開けたぼくの目に飛び込んできたのは、床に転がって看護婦さん達に囲まれている彼女だった。


「・・・悠樹?」


 ぼくの声に気が付いた彼女が、声を出した。

 半分白目を向いていた彼女の顔が、正気を取り戻すのが分かる。

 ぼくは駆け寄って、看護婦さん達の中に割って入った。


「お母さんから連絡入って、名古屋から新幹線で来ました。でも、やっぱり遅くなりましたね。・・・何してるんですか?」


 どうして彼女が床に転がっていたのかよく分からず、ぼくは質問する。


「奥さん、パニックになって病院から逃げようとしてたんですよ。母親になるんだから腹をくくらないと。圭介さん、これから奥さんのサポートお願いしますね。」


 うんざりしたように看護婦さんが質問に答えた。

 なるほど、病院から逃げようとは彼女らしい。

 ぼくは苦笑してから、ふと気付いた。

 この人、今ぼくのこと何て呼んだ?


「・・・圭介さんって?」


 ぼくは看護婦さんに聞き返す。


「奥さん、さっきから旦那さんの名前呼んでたんですよ。あなた圭介さんでしょ?」


 何も知らない看護婦さんは、冷やかすようにニヤニヤ笑って言った。


 ああ、そうか。

 

 ぼくはぐったりしている彼女を見た。

 一番苦しい時にあなたが呼んだのは、やっぱりぼくじゃなかったんですね。

 もちろん、その事実は胸に突き刺さったが、今はそれどころではない。

 ぼくは彼女を抱き上げ、ベッドに戻す。

 ベッドに寝かされた彼女は弱弱しく、ぼくを見上げた。

 いつもの鋭い視線が、まるで別人のように光を失っている。


「・・・悠樹、ごめんね。」


 彼女は泣いていた。

 ぽろぽろこぼれる涙をぼくは、そっと拭いてやる。


「なんで謝るんですか?」

「だって、だってあたし、やっぱり・・・」


 言いかけたところで彼女が口を押さえて、体を丸めた。

 顔を歪ませ、物凄い力でシーツを握り締めている。

 ぼくはオロオロと立ち上がった。


「痛いの?玲さん?」

「痛い!助けて!あたしもう無理!」


 悲鳴を上げて暴れる彼女をぼくは必死で押さえつけた。


「だめですよ。暴れたらベッドから落ちて大怪我します。看護婦さんの指示に従わないと・・・」

「だって痛いんだって!怖いの!助けて!圭介!」



 こんな時、あなたなら何て言う?

 

 彼女を腕を押さえながら、ぼくは必死で高田主任を思い出そうとしていた。

 彼の低い声。

 投げやりな仕草。

 笑った時の顔。

 横目で睨むクセ。

 そうだよ、あなたはいつもカッコ良かった。

 その上、死んじゃって、ぼくは一生あなたに追いつけない。

 でも、ぼくはぼくだ。

 あなたの身代わりになる気はない。

 ショパンがガンズに負けるわけないですからね。

 だけど、今だけ。

 彼女が必要としてるのがぼくじゃないなら。

 今だけ、あなたの力貸してください。




「おい、玲!しっかりしろよ!」


 ぼくは暴れる彼女の手を握って怒鳴った。

 ぼくを振り切ろうとしていた彼女の体がビクッとして硬直する。


「・・・悠樹?」


 彼女は目を見開いてぼくの顔を見た。


「泣いててもしょうがないだろ?オレは代われないから、おまえが頑張るしかないからな。」


 ぼくは高田主任みたいにウィンクしてみせる。

 思えばこれも、キザな癖だ。


「どうしたの?悠樹・・・?」

「うるせえ!悠樹って言うな!オレは圭介だ。そう思って、オレの手握ってろ。」


 一瞬、呆気に取られていた彼女の顔が綻び、笑みが洩れる。


「圭介だって思っていいの?」

「今だけ・・・オレはおまえのお兄ちゃんだからな。そう思って頑張れ!」

「・・・うん。」


 やっと笑った彼女の顔が、再び苦痛で歪んだ。

 ぼくの手を握っていた手に物凄い力が入る。

 引きちぎるんじゃないかと思うくらい、全身全霊をかけて握ってくる。

 今度は彼女は逃げなかった。

 ぼくの手を握ったまま、規則的に呼吸を繰り返し、必死で痛みと闘っている。

 時々うわ言のように圭介、とぼくを呼ぶ。

 ぼくはその度に、なるべく高田主任に似た低い声で、頑張れと応えた。

 それを聞いて彼女は安心した顔で笑みを見せる。

 そして再び、産みの苦しみに耐えるのだ。




 彼女が必要としているのがあなたなら、ぼくはあなたの名前で呼ばれたって構わない。

 あなたのモノマネだってやってやる。

 でも、これから先、彼女に必要なのは生きてるぼくですからね。

 ぼくには時間がある。

 いつかあなたを越えますよ。

 それが、いつもぼくを助けてくれたあなたへの恩返しになると思うんです。

 ぼくはあなたの妹と、あなたの子供を幸せにしますからね。

 

 ぼくは苦しそうな彼女の額の汗を拭いてやりながら、主任に話しかけた。



◇◇◇


 4時間が経った。

 彼女は疲労困憊ですでにぐったりしている。

 看護婦さんがやって来て素早く診察する。


「子宮口全開。分娩室に入ります。旦那さんは外でお待ち下さい。」


 看護婦さんはそう言うと、彼女をベッドごと分娩室に運んでいく。

 一人で大丈夫だろうか?


「玲!頑張れよ!」


 ぼくは高田主任みたいな、なるべく低い声で叫んだ。

 彼女はそれに応えるようにベッドから弱弱しく手を伸ばして、ひらひら振って見せた。

 もう大丈夫だ。

 ぼくはほっとして分娩室の前の椅子に腰掛けた。

 女性ってすごい。

 それに比べて、こんな時の男は何と無力なんだろう。


 やがて分娩室から産声が響き渡った。

 思わず立ち上がったぼくの目には涙が溢れ出ていた。





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