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ラビリンスで待ってて  作者: 南 晶
第8章 -玲-
58/63

48話



 どのくらい月日が経ったんだろう。


 あたしはまだ圭介とこの部屋にいた。

 圭介と最初に愛し合ったこの部屋をまだ出るつもりはなかったからだ。

 ここには、圭介のタバコの匂いが残っている。 

 彼の気配を感じる。

 あたしはここに居る限り、あの頃の戻れるんだ。


「ね、圭介?」


 あたしは壁に向って話しかける。

 そこには相変わらず、腕を組んで壁にもたれている圭介がいた。

 圭介は何にも喋らない。

 腕を組んだまま、ただじっとあたしを見てる。

 時々、笑みを見せたり、困った顔をしたりしてくれるけど何も言わない。

 あたし以外は誰にも見えないんだってことは分かってる。

 幽霊なんかじゃないと思う。

 そんなのいないってあたしだって分かってる。

 多分、これは壊れちゃったあたしの頭が勝手に作り出してる圭介の残像。

 いつ消えてもおかしくない。

 だから、あたしはここから離れない。

 妄想でも、残像でも何でもいい。

 圭介の気配が感じられるこの部屋で、あたしはただ居座っていた。


 悠樹は何度か、あたしの様子を見に来てくれた。

 あたしを見て、現実を見つめろとか、逃げちゃダメだとか色々言ってくれる。

 本気で心配してくれる悠樹には感謝していた。

 でも、あたしはまだ前に進めない。

 いつまでも、ここにいたい。

 圭介と一緒に。

 それだけが今のあたしの願いだった。


「ここに居てもいいでしょ、圭介?」


 あたしは壁に向って話しかけた。

 圭介は少し困った顔で微笑んでる。


「もうどこにも行かないよ。あたしは圭介とずっとここにいるからね。」


 あたしは古い圭介のギターを彼に代わりに抱きしめた。



 完全に迷走しているあたしの心とは裏腹に、お腹だけはどんどん成長していく。

 圭介が死んだ時は殆んど分からないくらいだったのに、最近になって急に大きく張ってきた。

 時々、硬くなって突っ張る感じがする。

 お腹の中で赤ちゃんが時々動くのも分かるようになってきた。

 この子はあたしと圭介の赤ちゃんなんだ。

 

 圭介は結局何にも知らないまま逝っちゃったね。

 あたしが出産するって言ったらどんな顔したかな?

 壁にもたれた圭介は困った顔をしてみせる。

 

 そうだね。

 知らないほうが良かったのかも。

 死の間際にそんなこと聞いちゃったら、死んでも死に切れないよね。



 お母さんが一日三回食事を運んでくれる他は、あたしはここに一人だった。

 悠樹の子供だと思っているお母さんは、孫に会えるのを楽しみにしてて妊娠中のあたしを気遣ってくれる。

 騙しているみたいで、あたしは少し罪悪感を感じたけど、真実を話すつもりもなかった。

 全てを話すことが正しいことではない事位、あたしでも分かってた。


 結婚式は悠樹が延期にするように話したらしい。

 確かにまだ祝い事をする雰囲気ではなかったし、何よりあたしがここから出てこないので話が進まない。

 正直、あたしは結婚していいのか分からなくなっていた。

 悠樹のことは好き。

 でも、圭介がいることが前提だった。

 あたしは兄妹という絆がある圭介と別れるなんて想像だにしてなかったことに気付いた。

 彼がいなくなった今、あたしは自分を支えていた大きな存在が無くなった事に初めて気付いたのだ。

 こんな女と結婚したら悠樹が可哀相だ。


 窓から見る外の景色は、もう春が来ていることを教えてくれた。

 桜があちこちの公園で咲き始め、新しい制服を着た中学生らしき集団が家の前を歩いていく。

 多分、今は四月の上旬。

 出産予定は確か五月の始めだった。

 もうすぐ出産だというのに、あたしは何の準備をする訳でもなく、ただぼんやりとこの部屋で一日が終わるのを数えているだけだ。


「ねえ、圭介。あたしも連れてってよ。」


 あたしは壁に向って話しかけた。

 腕を組んでこっちを見ていた圭介の顔が少し険しくなった気がした。


「もういいでしょ?あたしもそっちに連れてって。圭介のとこに行きたい。」


 もう全てがどうでも良かった。

 悠樹も、子供も、結婚も、未来も、圭介のいなくなったこの世の全てがあたしには意味のないものになってしまったのだ。

 圭介、何て言うだろう?

 連れてく訳ないだろ、バーカっていうかな?


 その時。


 今までに感じたことのない傷みを下腹に感じて、あたしは蹲った。

 お腹がすごく硬くなって、張りだしている。

 下半身にズッシリくる嫌な痛みが続いている。

 その時、下着から濡れた感触を感じた。

 得体の知れない液体が太腿を伝って流れているのが分かる。


 何これ?

 どうしよう。


 あたしは壁の圭介を見て、目を疑った。

 さっきまでいた圭介がいなくなっている。

 続いてやってきた大きな痛みの波に、あたしは窒息しそうになる。


 痛い!

 痛い!何なの、これ?

 出産までにはまだ1ヶ月もある筈なのに。


「助けて、圭介!助けて!」


 あたしはお腹を抱えて必死で叫んでいた。




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