46話
言いそびれてしまったな。
ぼくらの報告。
でも、それを聞いたら主任はあの世からでも戻ってきそうだ。
聞いてねーよ、そんなことって怒鳴られたかな。
ベッドで眠っているみたいな主任をぼくは見つめた。
不思議と涙が出ない。
闘病生活の後、亡くなったならまだしも、こんな突然の状況でさめざめ泣ける人がいるんだろうか。
ありえない。
ぼくの大好きな先輩がもう目覚めないなんて。
ぼくはまだ、彼の死を認識していなかった。
◇◇◇
高田主任の葬儀は、ぼくらが病院に駆けつけたあの日から僅か三日後に執り行われた。
結婚式は1年も前から準備するのに比べて、葬式は迅速だ。
故人の思い出に浸る間もなく、葬儀屋というプロ集団の手によって、滞りなく勧められていく。
ご両親の意向で、慎ましく済まそうと実家の近くの葬儀センターで執り行われたのだが、何しろ、故人は顔が広くて人気者の主任だ。
友人から会社の関係者から想像以上の人が押し寄せ、街の小さな葬祭センターは人で溢れかえった。
手伝いに借り出されたぼくら会社関係者は、その対応に追われて、焼香する暇さえなかった。
葬式のスタッフには悲しむ暇が与えられないのだ。
それがぼくらには幸いだった。
ぼくは高田主任の直属の部下として、高田家に付き添って動いていた。
玲さんは実家に戻ってから姿を見せなくなるし、年老いたご両親は突然のことに右往左往するばかりで葬儀屋との段取りもろくに出来ない状態だった。
ぼくは高田家の執事宜しく、葬儀屋を相手に葬祭を取り仕切った。
仮にも営業マンのぼくらには、そのくらいの段取りは仕事の延長上だ。
むしろ、そうすることで式に参列することから逃げていた。
式に参列したら、認めることになるじゃないか。
ぼくも彼の死をまだ受け入れられないでいた。
大学卒業後、実家を離れていた主任の写真をご両親は見つけることができなかった。
仕方なく、遺影は彼が24歳の時にウチの会社に入った時の履歴書の写真を使った。
人事部に調べさせてやっと出てきたのがこの一枚だったのだ。
ぼくは入り口で受付をしながら、時々祭壇に飾られた彼の写真を眺めた。
入社当時24歳の彼は、まだ色白で子供みたいな顔をしている。
初めての転職の履歴書だったんだろう。
緊張した面持ちで真面目くさって写っている。
この時、8年年下のぼくは16歳だった筈だ。
この頃にあなたに会っていたら、ぼくはもっと明るい人間になってたかも。
そうしたら一緒にバンドなんかやってたかも知れないですね。
多分、ぼくのキライなロックバンド。
ぼくは、写真の中のまだ若い彼に向って話しかけた。
玲さんはとうとう葬儀には顔を出さなかった。
実家に引きこもっているようだ。
彼の死を受け止められないのだろう。
妊娠4ヶ月という不安定な状態であることを考えると、無理して参列して倒れるよりは自宅待機していてくれたほうがぼくは安心だった。
葬儀屋とは支払いが終わった時点で、契約が終わったようなものだった。
さくさくと葬儀は進み、事なきを得て終了し、支払い後は彼らはぼくらを丁重に見送ってくれた。
さすがプロ集団だ。
この期間、ぼくは浜松市のホテルに宿泊していたが、明日の朝には名古屋に戻ることになっていた。
仕事もそろそろ正常化させなければ。
主任の引継ぎも誰かがやらなければならないだろう。
嫌でも、彼の死にぼくらはこれから向かい合わなければならない。
その前に彼女にどうしても会いたかった。
彼女はあの日、病院で意識を失って、目を覚ましてもぼんやりして口も利けない状態になっていた。
彼女を実家に帰してから、今までぼくらは顔を合わせていない。
こんな時だけど、彼女が妊娠していることにご両親が気が付かないはずがない。
変な風に分かってしまう前に、ぼくはキチンと報告したかった。
はじめて見たご両親は年金暮らしの仲のいい老夫婦といった感じだ。
玲さんそっくりな鋭い切れ長の目をした、背の高いお父さん。
主任そっくりなパッチリした、琥珀色の目をした小柄なお母さん。
ぼくはまだ、葬儀屋のホールでソファに座っている彼女の両親に近づいた。
二人とも疲れた表情でぼんやりと座っていたが、ぼくに気がつくと慌てて立ち上がって深く礼をした。
「この度は色々ありがとうございます。本当に良くして頂いて、圭介もいいお友達に恵まれて幸せでした。」
「あ、いえ。こちらこそ。主任には本当にお世話になりましたから。」
元はと言えば、ぼくのミスを尻拭いに行った帰りの事故なのだ。
ぼくは唇を噛んだ。
何も知らないお母さんは優しくぼくに微笑んでくれた。
ああ、似てる。
主任は完全にお母さん似だ。
印象的な琥珀色の目。
笑った顔が主任の明るい笑顔を連想させる。
ぼくは覚悟を決めた。
「あの、お二人にお話があるんです。」
「はい?」
老夫婦は二人で顔を見合わせてから、ぼくを見た。
「ぼくは、玲さんと結婚前提でお付き合いさせて頂いてます。こんなことにならなければ、年末にご挨拶に伺う予定でした。」
「あら、まあ、そうなの?玲がそんな・・・」
お母さんは目を丸くして口元を押さえた。
その目が嬉しそうに細くなる。
「あの子も圭介も結婚しないんだと諦めてました。もう孫の顔を見ることはないだろうって。でも、岡崎君なら玲も安心だ。」
玲さんに良く似たお父さんも表情を柔らげた。
「・・あの、その孫ですが。」
ぼくは口ごもった。
後から改めて言うより、今ここで、この勢いで言ってしまいたかった。
「実は玲さんは今、妊娠しています。この責任は取ります。玲さんと、赤ちゃんを幸せにします。だから、玲さんをください!」
ぼくは一気に言い放って、ガバっと頭を下げた。
しばらく沈黙が続いた。
二人の反応を見るのが恐ろしくて、ぼくは礼をしたまま地面を向いて目を瞑っていた。
やっぱり、マズかったか?
お父さんに殴られても文句は言えまい。
ぼくは上目遣いでちらりと二人の顔を見た。
両夫婦は優しい表情でぼくを見下ろしている。
お母さんはハンカチで涙を拭った。
「圭介がこんなことになって、私達は生きてても仕方ないって思ってたのに。孫ができるんじゃ、もっと頑張らないとね。」
「娘をよろしくお願いします。」
両夫婦はまだ頭を下げているぼくに、二人して深ぶかと礼をした。
二人の温かい言葉に思わず、目頭が熱くなる。
認めてもらえた。
主任も喜んでくれるだろうか。
「ありがとうございます。玲さんにも報告しなければ。」
「その玲なんですが・・・」
お母さんの顔が急に曇った。
「浜松に戻ってから、圭介の部屋に立て篭もって出て来ないんです。ご飯も食べてないんですよ。あの子達、仲が良かったからショックが大きかったんでしょう。岡崎君、玲を何とかしてやってくれませんか?」
その時、ぼくは自分の無力を思い知った。
彼女が本当に愛してるのは、やっぱり主任なんだ。
ぼくにはそれが、痛いほど分かっていた。