45話
何時間経ったんだろう。
時計を見たら1時だった。
隣に座っていた悠樹がいつの間にかいなくなっている。
あたしは薄暗いICUの前の長椅子に一人で腰掛けていた。
寝てしまったんだろうか。
こんな時に寝れるなんて、あたしも図太いな。
さすが大雑把な圭介の妹だ。
「・・・!」
何故かは分からない。
突然、あたしは圭介に呼ばれた気がして立ち上がった。
虫の知らせってこういうこというのかな?
何の戸惑いもなく、ICUの扉を開ける。
普通の人は入っちゃいけないって分かってる筈なのに。
まるで中から圭介に呼ばれてるみたいだった。
部屋の中は静寂だった。
あらゆる計器が設置されているのに何の音もしない。
淡い光が彼が横たわるベッドをぼんやり照らしている。
薄暗い部屋の中を、あたしは光を目印に彼のもとにまっすぐ歩いて行った。
そこにはさっきと同じ姿勢で横たわっている圭介がいた。
看護婦さんに見られたら怒られるかな?
あたしは上からそっと彼を見下ろす。
薄い布団の中から彼の手を取った。
逞しかった長い腕には2本もチューブが刺さったままになっている。
その時。
大好きだった色素の薄い瞳が薄く開き、あたしを見上げた。
「おかえり、圭介。」
あたしはその手にキスして囁いた。
「ごめん、玲。心配かけたな。」
圭介の目がそう言ってる。
あたしは笑って首を振った。
彼は酸素マスクして、喋れる状態じゃないのに。
あたしには圭介の低い声が聞こえる。
本当に聞こえているのか、あたしが空想しているだけなのか、区別がつかない。
全てが夢みたいにあやふやな感じだ。
「かっこ悪いな、オレ。手足ついてる?」
苦笑いした時の自嘲的な話し方。
いつもの圭介だ。
あたしは握った彼の手を見せながら言った。
「手足はついてるよ。でも、内臓がダメだって先生が言ってた。」
「そっか・・・でも、そんな気がした。」
圭介は目を細めた。
瞳から光が消えていく。
あたしは彼の手を握り締めた。
「逝っちゃうの?」
「ごめんな。今度はおまえとは別の家に生まれてくるよ。」
圭介が少し笑った気がした。
あたしは必死で手を握る。
「また会えるといいけど。」
「大丈夫!会えるよ、きっと。」
あたしも笑ってそう言った。
最期の瞬間に彼が怖くないように。
心配しないで旅立てるように。
あたしは出来る限りの最高の笑顔を作った。
返事の代わりに、彼の瞳は笑ってるみたいに細くなっていき、やがて再び閉じられた。
突然、声が止み、ツー・・・という音が耳に入ってくる。
ドラマでよく見る、心拍数の計器。
波打つことなく直線に伸びている。
今のは夢?
どこからどこまで?
圭介はさっきと変らない姿勢で、目を閉じて眠っていた。
さっきの声はもう聞こえない。
「玲さん!何してるんですか?」
突然、聞きなれた悠樹の大声がした。
バタバタと音を立てて、看護婦さんや白衣の先生達が部屋に飛び込んできた。
ベッドの横にぼんやり突っ立ていたあたしを、悠樹が引きずり出す。
「心臓マッサージ始めます。ご家族の方は外で待って下さい!」
あたし達は看護婦さんに外に追いやられ、ICUの扉が目の前で閉められた。
あたしには分かってた。
その時、もう圭介が逝っちゃったってこと。
目頭が熱くなって、頬に涙が伝う感触に気付く。
あたし泣いてる?
ポロポロこぼれ落ちる涙をもう止める事はできなかった。
全身の力が抜けて、座り込みそうになるあたしを、悠樹が慌てて支える。
圭介がもういない。
血を分けたあたしの分身以上の存在だったのに。
こんなにあっけなく、もう動かない。
人って儚いものだ。
でもね。
こんなに早くお別れするのが分かってたら、あたし圭介を困らせたりしなかったのに。
結婚とか、未来とかそんなのどうでも良かったね。
ずっと、圭介のものでいれば良かった。
あなたを悲しませなければ良かった。
でも、もう遅いんだね。
ごめんね、圭介。
「玲さん!玲さん、聞こえますか?しっかり・・・。」
悠樹の腕が倒れ掛かるあたしを必死で抱き止める。
力が出ない。
目の前が急に暗くなる。
あたしは壊れた人形みたいに崩れ落ちて・・・そして何も分からなくなった。