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ラビリンスで待ってて  作者: 南 晶
第8章 -玲-
54/63

44話

 あたしは夢を見ていた。

 中学生だった時の夢。

 実家の二階にある圭介の部屋。

 あたしはドキドキしながら、そっとドアを開けて、忍び込む。

 そこにはいつも同じ姿勢でギターを弾いている圭介がいる。

 あたしは後ろから彼の首に巻きつき、耳の後ろに唇を寄せ、息を吹きかける。

 それが合図だ。

 抱えていたギターを下ろし、彼の長い腕はあたしを捕まえる。

 膝の上に抱かれたあたしは、彼の色素の薄いきれいな目を見上げる。

 おねだりしようと顔を近づけるあたしを、彼は笑って受け止めてくれる。

 そして、彼の唇の感触、濡れた舌、服の中に入ってくる大きな手。

 彼の全てをあたしは全身で感じるのだ。




「玲さん、玲さん、起きて!」


 あたしを呼ぶ声に、はっと目を開けた。

 一瞬、夢を現実の区別がつかなくて、部屋を見回す。

 そうだ、圭介のマンションを今日は掃除して・・・。


「あれ?悠樹?」


 目の前に銀縁メガネを掛けた白い顔を更に白くさせた悠樹がいた。


「今、警察から電話が入りました。高田主任が高速道路で事故に巻き込まれたみたいです。H市市民病院に搬送されたらしい。すぐに行きましょう。浜松のご両親にも連絡したほうがいいかもしれない。」


 寝耳に水とはこのことだ。

 あたしはまだ働いていない脳を必死で回転させ、悠樹が言ったことを理解しようとした。

 圭介が事故?

 病院に搬送?

 あたしは慌てて立ち上がろうとした。

 思いとは裏腹に力が抜けて、ソファから立ち上がれない。


「悠樹、どうして?圭介大丈夫なの?」

「きっと大丈夫ですよ!それを確かめに行くんです。体調を考えたら連れて行きたくないけど・・・あなたは行くべきだ。」


 悠樹はあたしを抱き起こしてソファから起こした。

 でも、足が震えて上手く立てない。


「悠樹、どうしよう。圭介に何かあったら・・・」

「しっかりして!車まで何とか歩いて下さい。後はぼくが連れて行きます。」


 悠樹の力強い腕に抱えられて、あたしはよろよろと歩き出した。


◇◇◇


 H市市民病院。

 悠樹の車のナビで検索するとここから50分くらいだ。

 昨日まで元気でドイツにいた筈なのに、帰ってきた途端、こんなに近くで事故に遭うなんて。

 高速道路だって言ってた。

 だったら、空港から名古屋に戻って来る時に巻き込まれたんだ。

 あたしは運転に集中する悠樹の横顔を見つめた。

 一言もものを言わず、彼はハンドルをきる。

 いつものポーカーフェイスも今日はさすがに蒼褪めていた。

 圭介じゃありませんように。

 早く圭介に会いたい。

 そう願う自分と、このまま着かないで欲しいと願う自分がいる。

 万が一の最悪な結果を受け止められる自信があたしにはなかった。

 交通量が減った夜の街を、あたしたちは無言のまま車を走らせた。


 やがて、病院の看板が見えてきた。

 だだっ広い駐車場に車を止めて、あたしと悠樹は病棟に向った。

 救急車が救急病棟の前に横付けになっていて、白い服を着た隊員がうろうろしている。

 悠樹はあたしを抱くように支えて、救急病棟のレセプションにいる看護婦さんに声を掛ける。


「連絡もらいました、高速道路の事故でこちらに搬送されている高田の家族ですが。」


 看護婦さんが悠樹に応えているのを、あたしはぼんやり見つめていた。

 こんなにリアリティのない現実ってあるだろうか?

 さっきの夢のほうが本当なんじゃないかな?

 ほら、今も夢みたいだもの。

 だって圭介がこんなとこにいるなんて。

 あたしは薄暗い病棟の廊下を見てぞっとした。


「玲さん、高田主任らしい人が今いるところ分かりました。」


 悠樹が怖い顔であたしに言った。


「集中治療室です。そこで、医師から話を聞くようにと・・・」

「そこって・・・危篤の人が入るんじゃないの?」

「まずは行きましょう。まず確かめなくちゃ。主任だったら、玲さんが来るのを待ってる筈です。」


 ああ、そうだ。

 圭介だったら、あたしのこと待ってるに違いない。

 行かなくちゃ。

 あたしは再び悠樹の腕に支えられて、薄暗い病棟の中を歩き始めた。


 ナースステーションで、看護婦さんに声をかけたらすぐに先生らしい人が飛び出してきた。

 早口な先生は業務的に今の状況を説明する。

 玉突き事故に巻き込まれたのは11人。

 トラックが無理な追い越しをしようと最初の車に接触し横転。

 追い越しレーンを走っていた後続の車4台が次々衝突。

 その中に圭介も入っていた。

 彼は意識不明の重体。

 臓器の損傷が激しく、今夜がヤマになるだろうとのこと。

 ヤマを越えても、この先移植が必要になるかもしれない・・・。


「玲さん、大丈夫ですか?」


 悠樹が硬直しているあたしを悠樹が揺さぶる。

 今夜がヤマ?

 どういうこと?

 圭介が今日で死ぬかもしれないの?

 あたしは乾いた唇を必死で動かした。


「・・・圭介に、兄に合わせて下さい。」


 最後のお別れだと思ってるんだろうか。

 先生は黙って頷いた。

 あたし達は先生の後について、ICUの中に入った。



 そこで圭介は眠っていた。

 薄い布団がかかった彼の体には無数のチューブが差し込まれ、肌が見えないほどに包帯で巻かれている。

 酸素マスクで覆われた顔に黒っぽい血液が、まだついている。


「高田圭介さんに間違いありませんか?」


 先生が後ろで問いかけるのに、あたしは黙って頷いた。

 あたしはベッドに近づき、跪くと彼の耳元に顔を寄せた。


「・・・圭介。あたしだよ。」


 いつもみたいに息をかけてみる。

 ピクリとも反応しない圭介の体をあたしはそっと触った。

 温かい。

 なのにどうして起きないんだろう。

 顔だってきれいなのに。

 でも、なんでかな?

 涙が出ない。

 今、ここに寝ているのが圭介だって信じられないのかな。

 もう少ししたら起きるって思ってるのかも。


 やがて看護婦さんが申し訳なさそうにあたし達の前に立った。


「今夜はここで様子を見ます。お気持ちは分かりますが、外の待合室でお待ち下さい。ご家族には・・・すぐにでも連絡を取った方がいいと先生が仰ってます。」


 悠樹があたしを抱き寄せ、立ち上がらせる。


「玲さん、外で待ちましょう。待つしかないです。実家の電話番号教えてください。早くしないと親御さんに・・・玲さん!」


 彼の大きな声にやっとあたしは我に返った。


「だって、悠樹。変なんだもん。こんなの・・・夢みたい。」

「分かってる!だからぼくが動きます!玲さんは主任を信じて部屋の外で待ってて下さい!」


目に涙を溜めて悠樹が怒鳴った。



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