43話
その日は、天気の良い穏やかな日曜日だった。。
玲さんを車に乗せ、帰って来る主任のために買い物にでかけた。
何しろ、主任が日本を離れてから彼女はマンションに戻ってないのだ。
食べ物がなにもないのが救いだが、部屋の空気くらいは入れ換えとかなければ。
と、ぼくが主張したので、彼女も賛同した。
近くのスーパーでシャンプー、トイレットペーパーなどの日用品や、最低限の食料を買い込み、ぼくらは彼のマンションに向った。
玲さんはゆったりしたマタニティチュニックにレギンスというスタイルだった。
もとが細いので今まで変化を感じなかったが、若干お腹がせり出してきているのが分かる。
いつも見ているぼくが分かるくらいだから、久しぶりの再会の主任が見たら一目瞭然だ。
ぼくの子供だと思っていきなり殴られたらどうしよう・・・。
先にメールで知らせとくべきか?
いや、デリケートな問題だから会って伝えた方がいいかも。
また一人でブツブツ言い出したぼくを見て、彼女はクスクス笑った。
前より笑顔が優しくなっている。
そしてなんと言うか、表情が落ち着いた。
女の子から女、いや母の顔に変ったのか。
これも妊娠効果なのかな。
ぼくは知らない女性が隣に乗っているような気がして、少しどきどきした。
久しぶりの主任のマンションは、ぼくの期待を裏切らなかった。
彼女が鍵を開けると同時に、ぼくはズカズカ部屋に侵入した。
湿っぽい空気にタバコと、スナック菓子の匂いが充満している。
窓を開け放つと、冷たい師走の空気がさあっと部屋中に入ってきた。
2ヶ月間放置してあったタバコの吸殻が入ったままの灰皿、コンビニ弁当のパック、スナック菓子の袋、ビールの空き缶・・・。
殆んど男の一人暮らしの状態だ。
ぼくはゴミ袋を片手にそれらを片っ端から回収していく。
「ありがと、悠樹。ごめんね。」
彼女は体がだるいのか、ソファにもたれるように腰掛けて、働くぼくを見ていた。
「いいですよ。ぼくはこういうの見ると燃えるんです。掃除機あります?」
彼女が指差した方に、使われた形跡があまりない掃除機を見つけて引っ張りだした。
「あたしたち、ガサツで怠け者なとこはそっくりなの。外見は全然似てないのにね。」
「そうみたいですね。でも、ぼくは違いますから。結婚すれば、玲さんの衛生管理は保障されますよ。」
ぼくはガーガーと掃除機をかけながら、大きな音に負けないように怒鳴る。
彼女はあはは・・と笑ってからふと真面目な顔を見せた。
「ね、悠樹。あたしと圭介の子供ってどっちに似るのかな?」
独り言のようにポツリと彼女は言った。
ぼくは返事に困って黙り込む。
少なくともぼくには似てないのだから、返事のしようがない。
足して2で割った感じでしょう、なんて言ったら失礼かな。
「ね、悠樹。どっちに似てても、この子のこと愛してくれる?」
彼女の声にぼくは掃除機を止めて立ち止まった。
鈍感なぼくは、彼女が言わんとすることにやっと気付いた。
子供のことが心配で仕方がないんだ。
もうお母さんなんだから。
ソファに座って真剣な表情をしている彼女をそっと抱きしめる。
硬直して、ぼくの返事を待っている彼女の耳に、ぼくは囁いた。
「ぼくと結婚するんでしょ?だったら、どっちに似ててもぼくの子ですよ。」
「・・・ありがと。」
彼女はやっと安心した顔で微笑んだ。
掃除が終わり、布団を干し、放置されていた食器を洗い、部屋はなんとか人が帰って来れる状態になった。
「玲さん、今日はここにいるんですか?」
ぼくは聞きにくかったことをやっと口にした。
今日だけでなくこのまま、彼女がここに居座ってしまうのが恐ろしかった。
「圭介が帰ってくるまでいるよ。でも、話が終わったら悠樹のとこ帰る。」
ソファに座って雑誌をめくりながら、思ったよりあっさり彼女は答えた。
「・・・いいんですか?」
「だって、やっぱり圭介には妊娠の報告しなくちゃ。悠樹もいてくれるんでしょ?」
「そりゃ、そこまではいますけど。その後、帰ってきてくれるんですか?」
ぼくの質問に彼女はキョトンとした表情で、ぼくの顔を見た。
「だって、あたしたち結婚するんでしょ?」
その言葉にぼくは胸が熱くなった。
自惚れていいんだろうか?
彼女がぼくを選んでくれたと。
缶のトマトソースをかけただけの簡単なスパゲティの夕飯を終えた後、ぼくらはソファに座ってテレビを見始めた。
時間はもう10時を回っている。
確か7時に到着の便だったから、そろそろ帰ってきてもいい頃だ。
テレビを見ていた彼女はいつの間にか、ぼくにもたれて眠り込んでいる。
電車で帰ってくるなら名古屋まで1時間くらいだろう。
もしかして、自分の車で行って駐車場に留めっ放しにしてたのかな?
頭打ち料金があるはずだから2万円くらいでおいておけるだろうけど。
その時、玄関においてある自宅電話から着信メロディーが流れた。
何故か、そのメロディーがショパンのノクターン。
もしかして、ぼくのこと考えてくれてた?
嬉しいけど、この優しい音色じゃ着信に気付かないだろう。
案の定、彼女は起きる気配もなく寝息を立てている。
ぼくは苦笑して、電話に向った。
多分、高田主任だ。
ぼくが出たら、何でてめえがウチにいるんだって怒鳴るかな?
「はい、高田です。」
電話を取って、ぼくは言った。
「あ、高田圭介さんのご自宅でしょうか?」
期待していた声とは違う、聞き覚えのない男性の声だ。
ぼくは首を傾げた。
「はい、そうですが?」
「ご家族の方ですね?」
「はあ、まあ。失礼ですが?」
ぼくは何か胸騒ぎを覚えながら聞いてみる。
「H警察署の澤田と申します。8時頃、知多半島道路で大型トラックを含む6台の玉突き事故が発生しました。高田圭介さんと思われる男性がこれに巻き込まれ、現在、H市市民病院に搬送されています。本人が携帯していた免許証と携帯電話からこちらに連絡させて頂きました。」
男性は、早口で、しかしはっきりとした声でそこまで一気に言った。
ぼくはまだ状況が把握できず、黙って聞いていた。
なんだって?
高田主任が高速道路で事故に巻き込まれたってことか?
「今、病院なんですか?」
「はい、ご家族の方はすぐに向って、身元の確認をお願いします。病院の場所は分かりますか?」
「あ、はい。あの、彼の様態は?」
ぼくは受話器を握り締めた。
「搬送された方が複数いますので、詳細は把握できていません。高田圭介さんかどうかの確認もまだできていませんので。すぐに病院に向って下さい。失礼します。」
電話は一方的に切られた。
ツーツーと音を聞きながら、ぼくはしばらく立ち尽くしていた。