42話
金曜日の朝、いつもの通りメールチェックを始めると高田主任からメールがきていた。
帰国予定の報告だ。
今夜のフライトで日曜日の夜に中部国際空港に到着予定。
ぼくは溜息をつく。
この日を待っていたような、きて欲しくないような。
複雑な心境の理由はもちろん、こちらから報告することがあるからだ。
一つ目はぼく達の結婚の報告。
そこまで許可してねーよっていつもの口調で怒鳴られるに違いない。
これが認められたら、彼は晴れてぼくのお兄さんになる。
あとは、当然彼女の妊娠の件だ。
ぼく達はまだ、主任に真実を告げるべきかどうか迷っていた。
ぼくはいずれ分かってしまうなら、最初から本当のことを話すべきだと主張した。
なにしろ、生まれた子供がぼくに似ていることは有り得ないのだから。
いくら呑気な主任でも、いつかは疑うに違いない。
彼女は中絶しろって言われるのが怖いと、最初からぼくの子だと嘘をつくつもりだった。
ぼくは高田主任がそんな小さい男だと思ってないし、第一、嘘がつけない性格なのでそれには反対した。
ぼく達は結婚には前向きなものの、その件については平行線だった。
年末に向けて取引先の外資系企業はすでにクリスマス休みに入っていた。
今年はもう大きなヤマはない。
周りを見ても、暇になった社員達が時間潰しにネットを見ている。
今年ももう終わりだ。
ぼくはさっさと仕事を片付けていった。
少しでも早く、身重の妻の顔を見るために。
マンションに帰ると、彼女はリラックスした表情でソファにかけてテレビを見ていた。
「おかえり。」
「あ、ただいま。大丈夫です?」
ぼくは彼女の横に腰掛け、頬にキスする。
彼女は穏やかに微笑んだ。
大分顔色がいい。
「大丈夫よ。下着とか、マタニティ用に変えたらすごく楽になった。」
「そういうもんですか・・・」
ぼくは首を傾げながら適当に返事をした。
そればかりは姉がいるとは言え、男のぼくには想像がつかない。
「妊娠ってどんな感じなんですかね?」
「うーん。幸せ、かな?ここにいると思うと、なんか嬉しいの。」
彼女はお腹をさすって笑った。
まだ全然大きく見えないお腹を、ぼくもそっと触ってみる。
「・・・動きませんね。」
「やだ、まだ早いよ。外から分かるのはもっと先らしいよ。」
「はあ・・・。あ、そうだ。」
ぼくは姿勢を正して、咳払いをした。
「まずは主任に報告、ですが、その後は玲さんのご家族にもご挨拶に行かなければね。そしてぼくの家族にも報告しなければならないし。そろそろ日程をたてておきましょうか。」
「そうだね。じゃ、いつも年末に圭介も一緒に里帰りするから、浜松に来て!」
彼女は子供のように喜んだ。
遊びに行くんじゃないですよ・・・。
大はしゃぎの彼女を見つめてぼくは苦笑いする。
ぼくは既に妊娠している彼女と結婚する報告を両家にしなければならないのだ。
まさか親に主任の子だとは言えない。
ぼくらはお互いの親には嘘を突き通すことで合意していた。
と、いうことはぼくはデキ婚の報告をしにいくのだ。
彼女の父親に殴られる資格は充分にある。
「悠樹の実家は岐阜だよね?雪降る?」
彼女はもう旅行にでも行くように目を輝かせている。
「岐阜って言っても大垣だから、ここから一時間くらいですよ。ぼくの住んでるとこにはさほど降りません。」
「豪雪地帯じゃないの?」
「それは高山のほうでしょ?岐阜は広いんです。」
なあんだ、と彼女はガッカリした。
「悠樹はスキーで学校に通ってたかと思った。」
「いくら岐阜でも、平成の世の中でそれはないですよ。」
ハハ・・・とぼくは顔だけで笑った。
岐阜県民というだけで、よくされるこの質問。
実はぼくはスキーができない。
「式場もそろそろ予約しないと。出産前に式を挙げるなら体調が安定した頃がいいですね。あ、予定日は?」
「5月の始め。」
「いい時期ですね。では2月頃?」
「嫌よ。もうお腹が大きいじゃない。ドレスが似合わなくなっちゃう。」
「じゃ、すぐしますか?ぼくは構わないけど、体調を優先にしなくちゃ。」
うーん、と上を向いて彼女は考えてから、言った。
「圭介は何ていうかな?」
「さあ・・・。いつでもいいって言うんじゃないですかね。」
あのやさぐれた甘いマスクにタバコを咥えて「勝手にやってろよ。」と言う高田主任が目に浮かんだ。
果たして彼は祝福してくれるのだろうか。
ぼんやり考え込んだぼくの肩を彼女が叩いた。
「ね、明日帰って来るんでしょ?空港に迎えに行こうよ。」
「え?セントレアまで?遠いですよ。夜の便だし、まだ安定期でないんだから止めた方がいい。」
ぼくは首を横に振った。
「行くならぼくが一人で行きますよ。」
「やだ、そしたらあたしが一人になっちゃうじゃない。」
「じゃ、主任には電車で帰ってきてもらわなくては。大丈夫。どんな方法で帰ってきても、会社から経費は落ちます。」
ぼくは強引な理屈で断わった。
何となく、彼に会うのが怖かったのかもしれない。
運命の分岐点って本当にあると思う。
この時、ぼくらが迎えに行くことになっていたら、全く別の物語になっていたに違いない。
ぼくは死ぬほど後悔することになることを、まだ知る由もなかった。




