41話
「落ち着いて、玲さん。泣かなくていい。ゆっくり話そう、ね。」
ぼくは自分を落ち着かせる為にも、彼女に言った。
ぼくの腕の中で小さくなって泣いている彼女は、迷子になった子供みたいだ。
それでも、ぼくの言葉に彼女はコクンと頷いた。
リビングに明かりをつけてソファに座らせてから、ぼくはホットミルクを作って彼女に勧めた。
「ありがと・・。悠樹。」
泣き腫らした目でぼくを見つめて、彼女はミルクに口をつける。
真っ青だった彼女の頬に少し赤みが差してきた。
こんな時、何を言ったらいいのか。
せめて自分の子供だって言われたなら、もう少しマシな対応ができただろうけど。
彼女がこの事態を喜ばしく受け止めているのかどうか、それも微妙なところだ。
考えているうちに、彼女の方が小さな声でボソボソと話し始めた。
「生理がきてなくって・・・。でも、ピル飲んでたから大丈夫だと思ってたの。でも、最近気持ち悪くて、ご飯も食べれなくて・・・。まさかと思って今日病院に行ったの。そしたらもうすぐ5ヶ月に入るって。多分、8月か9月・・・。まだ悠樹に会う前なの。圭介の子供よ。」
一度は止まった涙が、彼女の目からぽろぽろ溢れ出した。
「・・・高田主任は今週末帰国予定です。まだ現地と連絡つきますけど。報告しますか?」
動揺からか、自分でも滑稽なほど業務口調になってしまい、ぼくは焦った。
ダメだ、こんな時はもっと柔らかく話してあげなくちゃ。
「・・・怖いの。圭介に知られるのが。」
ぼくの言葉に彼女は首を横に振る。
「どうしてですか?」
「圭介は子供つくるのにずっと反対してた。戸籍だの、遺伝子だのって。だから堕ろせって言うと思う。」
「まさか、そんな・・・。」
高田主任がそんなことを言う筈はない。
ないけど、実際生まれたら父親は主任になるのか?
仮にぼくが認知したとして、ぼくは主任の子供を育てることになるのかな?
主任はそれについて、なんていうだろう?
考えたこともなかった、ややこしい事態にぼくは腕を組んで考えた。
「・・・玲さんはどうしたいんです?」
「産みたいよ。絶対産む!」
彼女は突然、キっと顔を上げてぼくを睨んだ。
「あたしは一人でも産んで育てるわ。圭介が認めなくても、シングルマザーとして生きていくもん。」
「いや、なにもシングルにならなくても。だったらぼくと結婚しましょうよ。」
ぼくは真面目に言った。
彼女はまた泣きそうな顔になる。
「結婚したら、この子を岡崎の苗字にしてくれる?」
「結婚後に出生届出したら必然的にそうなりますよ。」
「だって、岡崎君の子じゃない。圭介の子だよ。」
「でも、玲さんの子でしょ?結婚したらぼくの子ですよ。」
彼女は両手で顔を覆った。
嗚咽を堪えて、細い肩が上下に揺れている。
「・・・ありがとう。」
小さな声で彼女は言った。
ぼくはその細い肩をそっと抱く。
「まだ、心配なことあります?」
「い、遺伝子が・・・」
彼女はしゃくり上げながら言った。
「近親婚だと子供に障害が出るかもって・・・」
「ぼくも聞いたことあります。でもね。古今東西、近親婚なんてよくあったんですよ。権力者であればあるほど、他人を入れないように身近にいる人間でくっついてたんです。だから確率的には多くても全てがそうとは限らないと思います。だからそれを理由に今から諦めるのはナンセンスでは?」
彼女は潤んだ目でやっと笑った。
「悠樹、ヤフーの知恵袋みたい。」
「論理的と言って下さい。」
ぼくは彼女を引き寄せ、胸に抱きしめた。
小さな彼女が、痩せて更に小さくなっている。
でも、この小さな体の中にはもう一つの命が宿っているのだ。
「ね、玲さん。心配しなくていい。主任に話すなら、帰ってからぼくから話します。今はご飯食べて、体力つけて・・・」
「うん。」
「他に心配なことは?」
「・・・もう大丈夫。ありがとう。」
ぼくの胸に抱かれて、彼女はやっと安堵した表情で微笑んでくれた。
そうだ、今、言わなければ。
ぼくは咳払いを一つしてから、背筋を伸ばした。
「玲さん。では、改めて申し込みます。ぼくと結婚してくれますか?」
彼女は涙で潤んだ瞳で見つめた後、微笑んで頷いた。
「・・・はい。よろしくお願いします。」
やった!
ぼくは咄嗟に彼女を抱きしめ唇を重ねた。
彼女の体の重みの中にはもう一人分の生命が入っている。
ぼくは彼女の夫になり、父親になるということか。
考えながら、ぼくは何だかくすぐったくて、顔が緩んだ。
「悠樹、また一人で何か考えてる。」
彼女の声にぼくは我に返った。
「・・・いや、これからはモーツァルトでいこうと思って。」
頭をかきながら、ぼくは照れ笑いする。
「何、それ?」
「妊婦さんと、胎教にいいらしいですよ。」
ぼくらはもう一度、優しいキスをした。