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ラビリンスで待ってて  作者: 南 晶
第4章 -夏美-
36/63

26話

 秋の空気が清々しい朝だった。

 最初に会った時はひどい嵐だった。

 薄暗い部屋の中、バスローブに包まっていた彼と、今私の前に座っている彼とは別人みたいだ。

 言うなれば精気がある。

 死にたい声はもう聴こえてこなかった。


「元気になったのね。良かった。」


 私は心から言った。


「この前は雨の中に捨てられた猫みたいだったのに。今日はもう大丈夫なのね。」

 

 圭介君は照れくさそうに笑った。


「いろいろあったけど、まあ吹っ切れました。完全に割り切れた訳じゃないけど。」

「何それ?意味深ね。失恋でもしたの?」


 私は興味深く突っ込んでみる。

 息子にガールフレンドの話を聞くような心境だ。

 圭介君は困ったように髪をかきあげる。


「・・・黙っててもいい?話して奈津美さんに軽蔑されたら、オレまた死にたくなるから。」


 私は黙って頷いた。

 誰にでも秘密はあるものだ。

 話すことが必ずしも救いになるとは限らない。

 言いたくないことなら墓場まで持っていけばいい。


 私は立ち上がってキッチンの窓を開けた。

 さわやかな潮風が吹き込んで木綿のカーテンを揺らす。

 家の前の草むらに彼の黒いワンボックスが止まっているのが見えた。

 ナンバープレートがこの地方でないことに気が付く。


「圭介君はどこから来たの?」

「オレですか?ああ、車のナンバーね。」


 私は車を見ているのに気付いて彼は窓に寄ってきた。

 開けた窓にもたれている私の横に、同じ姿勢でもたれる。

 彼の筋肉質の腕が私の腕に触れて、私は鼓動が速くなるのを感じた。


「オレ、出身は静岡県です。今は仕事で名古屋に住んでます。」


 私は納得した。

 この海には波を求めてその方面からのサーファーがゴマンと集まるからだ。

 高速に乗れば2時間もかからない距離だろう。


「一人暮らししてるの?」

「いえ、妹が一緒に住んでますよ。妹はツアコンしてるのであんまり日本にいないから、仕事がない時は居候しにくるんだ。」

 

 妹か。

 それなら結婚はしてないということだ。

 同棲している女性もいないということになる。

 私は何故かほっとした。

 彼は私の表情を読み取ってか、ニヤリと笑った。


「もしかして安心しました?」


 図星をつかれて、私は赤面する。

 動揺しているのがみえみえだ。


「嫌な子ね。そりゃ、安心したわよ。妻子がいる男性がバツイチの女の家にいたらマズイでしょ。」

「・・・ですね。オレだって妻子がいても変じゃない歳だもんな。」


 圭介君は遠い目をして独り言のように言った。

 風が彼の髪をさらさらなでていく。

 私は彼と並んで窓に頬杖をついて遠くを見た。

 高くなった秋の空に雲が流れていく。


「奈津美さん、オレもう結婚しないと思う。」


 突然、彼が口を開いた。


「え?何言ってんの?まだ若いのに。」


 思わず発した素っ頓狂な私の声に彼は苦笑する。


「オレのものじゃない女の子をこれからも守りたいから、っていうのはカッコよすぎかな?」


 私は首を傾げる。


「どういうことなのか状況がよく分からないけど。カッコよすぎと思うわ。」


 私の答えに圭介君はあははと笑った。


「いいよ、忘れて。くだらないことだから。」



 私達はテーブルでお茶を飲みながらその後も話し続けた。

 今日は自分のことも沢山話してくれた。

 外国に憧れて全寮制の男子校に6年も入ったこと。

 大学卒業後、公務員になったのにすぐ辞めて今の会社に転職したこと。

 10年間、海外で生活していて2年前突然日本で働く羽目になったこと。

 それから始めたサーフィンが全然上手くならなくて、いつもボードに乗って浮いていること。

 ギターが大好きなのに、弾いても女の子に全然ウケないこと。

 私は自分と全く違う人生を送ってきた彼の話を、興味津々で聞き入った。

 一方私は地元出身。高校卒業後、調理師専門学校を出てから結婚するまでずっと飲食店勤務。

 思えばつまらない人生だった。

 それでも、直弥が逝ってしまうまでは幸せだったっけ。


 彼とのおしゃべりは楽しくて、文字通り時間の経つのも忘れていた。

 私がお茶を入れなおそうと立ち上がった時。

 

ピンポーン・・・ピンポーン・・・

 

 玄関の呼び鈴が鳴った。

 私は嫌な予感がして立ちすくむ。


「奈津美さん、お客さんじゃない?」


 圭介君は無邪気に言った。

 それが招かざる客であることは彼はもちろん知らない。


「ちょっと待ってて。」


 青ざめた顔に気付かれないように、私は玄関に向った。


ピンポーン・・・ピンポーン・・・


 引き下がる意志はないのだと言わんばかりに、呼び鈴が鳴り続ける。

 間違いない。

 招かざる客を圭介君に会わす訳にはいかない。

 私は観念して玄関のドアを開けた。

 想像通り、そこには先日お金をくすねていった私の元夫が、醜悪な顔を怒りで歪ませて立っていた。

 私は恐怖でその場に凍りつく。


「奈津美、外の車はなんだ。分かってるんだよ。今、男がいるんだろう?」


 玄関に置いてあった圭介君の男性サイズのスニーカーを、康弘はつま先で蹴った。



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