25話
また日常が始まった。
組立工場の昼時間に間に合わせるべく、給食を作るのが私の仕事だ。
朝10時出勤、昼休みは2時、夜勤者のための夜の給食を作って、片付けして帰宅するのが夜9時。
1日の半分働いているが、好きな仕事なので苦にもならない。
一人身だし、家に帰ってすることもない私にはその位が調度良かった。
時間が余ってしまうと余計なことばかり考えてしまうし、あの男が家に来る回数が増えるのが一番恐ろしいことだった。
帰宅してから一人でゆっくり風呂に浸かり、ベッドに横になって本を読むことだけが、私の至福の時だった。
朝は7時には起きて浜に出掛ける。
散歩がてらに、アサリやワカメを味噌汁に使う分だけ取って帰るのだ。
海は毎日違う表情を見せる。
穏やかな時もあれば、荒れている時もある。
全部ひっくるめて海なのだと思う。
海を観察しながら散歩するのが私は好きだった。
圭介君が帰ってから2週間ほど経った頃だろうか。
ある日、浜に打ち上げられているサーフボードを見つけた。
直感的に彼のものだと思った。
あれから何の連絡もないけど、また来るだろうか。
彼の所有物か分からないまま、私はボードを担いで家に持ち帰った。
もしかしたら取りに来るかもしれない。
何となく私は期待していた。
10月も半ばになった頃、やっと海にも秋の気配がしてきた。
裸足で砂浜を歩くのが冷たく感じるようになった。
波も日ごとに強くなっている。
仕事のない土曜日の朝、私はいつもよりゆっくり散歩を楽しんでいた。
朝日が反射する波がきれいだ。
ふと、前方を見ると砂浜をこちらに向って歩いてくる人影がある。
見覚えのある長身のシルエット。
私は鼓動が速くなるのを感じた。
その人物は私に気が付き、長い腕を大きく振り回した。
「奈津美さあ~ん!ちょっと待って!」
大声で私の名を呼びながら足早に近づいてきたその人は、やはり圭介君だった。
今日はちゃんと服を着ている。
プリントTシャツの上にデニムのシャツを無造作にはおって、長い足によく似合うストレートのジーンズ。
やっぱり、背が高いなあ。
ぼんやり観察しているうちに、彼は私の目の前までやって来た。
「家に行ったけどいなかったからここだと思って。大きいから遠くからでもすぐに分かったよ。」
にっこり笑う彼にお腹に私はパンチを入れる。
「大きいからはないでしょ?」
「・・・ごめん。女性に対して失礼だった。」
私達は顔を見合わせて笑いあった。
何度も思い出した色素の薄い瞳が日に反射して金色に光っている。
この前会った時には日に焼けていた肌も少し白くなっていた。
見とれている私に気付かず、圭介君は高いテンションのまま話始めた。
「あの時は本当にありがとう。お陰でまだ生きてるよ。仕事でトラブルが多くてなかなか来れなかったんだ。携帯番号も聞いてなかったし。今日はお礼参りとバスローブ返しに来たよ。」
仕事が忙しくて来れなかったのか。
私は何故かホッとした。
「あ、サーフボード拾ったんだけど、圭介君のかな?」
思い出した私が聞くと、彼はぎょっとした。
「うそ!渦に飲まれて戻ってきたのかな。それは縁起がいいから持って帰らないとね。」
「じゃあ、家に来る?お味噌汁作るけど。」
「え、いいの?なんか朝食時狙ってきたみたいで悪いなあ。」
私のお誘いを彼は屈託なく受け止めた。
玄関の軒先に立ててあるサーフボードを見て、圭介君は微笑んだ。
「間違いなくオレの。もうダメだと思ったのに、おまえ悪運強いな。」
ボードをなでながら彼は目を細める。
「ね、圭介君。」
私は問いかけてから口を閉ざした。
「はい?」
「何でもない。どうそ、入って。」
「あ、どうもお邪魔します。」
彼は機嫌よく家に入っていった。
あの時、何があったの?
私は聞きたかったけど、止めておいた。
聞いたところで私には関わりのないことだ。
この未来のある人と半分死んでる私の人生に接点などないのだから。
前と同じ椅子に彼は座って、大きな紙袋を突き出した。
「これ、バスローブ。ありがとう。中にケーキも入ってるから後から食べようよ。」
私は彼の気遣いが嬉しくて、微笑ましくて、心が温かくなった。
ケーキを持ってお客さんが来るなんて、この家に来てから初めてのことだ。
私を訪問するのは、お金と性欲を満たしに来るあの男だけだった。
今、目の前の訪問者は無邪気な顔でにこにこしながら、私が朝食を作るのを眺めている。
直弥も私が料理するのを見るのが好きだったな。
思い出して、私ははっとした。
やっぱり私は圭介君に死んだ息子を重ねてる。
「圭介君は、歳いくつなの?」
私はアサリを洗いながら聞いてみた。
「オレは36です。もう若くないですよ。奈津美さんは?」
「私は・・・秘密。」
自分より上だとは思ってなかったが、4つも下だとも思ってなかったのでごまかすことにした。
彼もそれ以上聞いてこなかった。
多分、自分よりは上だと最初から思っていたに違いない。
「優しいのね、圭介君。」
私の言葉に彼は首をすくめて見せた。
食卓に以前と同じ、味噌汁とご飯を並べた。
「今日来ることが分かってたら焼き魚でも用意したのに。これじゃ、前と一緒ね。」
申し訳なくて私は溜息をつく。
「うまいからこれだけで充分ですよ。頂きます。」
全く気にすることなく圭介君は箸を付け始めた。
彼の旺盛な食欲を見ながら私は母親のように微笑んだ。