24話
バスローブを巻きつけた圭介君が黒いワンボックスに乗り込んだのを見届けて、私は家に向って車を走らせた。
体にベッタリ張り付いたサマードレスが冷たくなって体温を奪っていく。
私はくしゃみをして、ヒーターをつけた。
彼はどこから来たのだろう。
台風が上陸する前に帰れればいいのだけど。
私はさっきまで助手席に座っていた不思議な遭難者を思い出していた。
◇◇◇
この海岸沿いの別荘に住み始めてから、生死の瀬戸際の人に何人も出遭った。
つまり、この海に死に場所を求めてやって来る自殺志願者。
夜中に一人で浜辺を歩いていたり、スーツのまま車で浜に来るのは要注意だ。
圭介君もそんな一人だと、私は疑わなかった。
海水パンツも履いてたから、少し考えたらサーファーだって分かっただろう。
でもその時、私は彼と共鳴したと感じた。
私は死にたがっている人と共鳴するのだ。
嵐が来る前にアサリを取ろうと私は浜に出かけた。
すでに海は真っ黒に色を変えて暴れていた。
雨降り出す前に帰らなくちゃ。
思った矢先に、海の中からよろよろと出てくる男性を発見した。
大波に足を取られながら、何度も海の中に転がってその人は浜辺に辿り着いた。
咳き込みながら砂の上に身を投げ出してその人は動かなくなった。
私はその人を担いで家に連れて帰った。
それが圭介君だった。
彼は大柄な人だった。
大柄な私が思うのだから、男性の中でも大きいに違いない。
日焼けした肌、長い手足。
色素の薄い琥珀色の瞳がきれいだった。
日本人離れした風貌だ。
れっきとした成人男性なのに、少年のような雰囲気を持っていた。
その時、私は既に彼を自分の子供の面影と重ねていたのかもしれない。
この海で死んでしまった息子の直弥に。
家に到着した時、私が駐車していた場所に既に別の車が止まっていた。
私は顔をしかめる。
あの男が来ている。
昨日が給料日だったから、もう狙ってきたのだろう。
私が車から降りると、止まっていた車のドアが開いてあの男が飛び出してきた。
車の中で私が戻るのを待っていたのだ。
彼は私の腕を掴んでニヤニヤ笑った。
その醜悪な表情を見るだけで吐き気がする。
「この雨の中、待ってたんだ。茶くらい出してくれてもいいんじゃねえの?」
私は無言で睨みつけると、掴まれていた腕を払った。
背も低く、やせ衰えた男だ。
名前は篠田康弘。
給料日が来る度にたかりに来る私の元旦那だ。
白髪の混じり出した髪は最近更に薄くなって、実年齢よりもっと老けて見える。
こんな小さな男に私はいまだに振り回されている。
私が家に向って走り出すと彼も後を追ってヒョコヒョコ雨の中を走ってくる。
鍵を開けるのを待って、彼は遠慮なく玄関に入り込む。
私の許可もなく靴を脱いでさっさと家の中まで上がってしまった。
私はうんざりして怒る気にもなれず終始無言でいる。
勝手にキッチンまで上がり込むと、彼は早速インネンを付け始めた。
酒びたりで正常な時の方が少ないクセに、私のことについては目ざとい。
変化を見つけては恐喝するネタにしようと神経を尖らせているからだ。
「おい、奈津美。誰かいたのか?」
まだテーブルに並んだままの二人分の食器を見て、彼は大声を出す。
「男連れ込んでたんじゃないだろうな!おい!」
私は無視を貫き、自分の部屋に引っ込む。
よろめきながら康弘は私に追いすがった。
背中に抱きつくと両手で私の胸をまさぐり始める。
「おい、調子に乗ってんじゃねえよ。お前、男ができたのか?」
耳元でアルコール臭い息がかかる。
その声と臭いでもう吐きそうだ。
「康弘さんにはもう関係ないでしょ。お金ならあげるからさっさと帰ってよ。」
「ふざけんじゃねえよ!」
彼はキレて私を床に押し倒した。
私の腹部の上に馬乗りになって首に手を回す。
苦しくて私は咳き込んだ。
「分かってんのか?お前は俺の人生をメチャクチャにしたんだ。お前が直弥を殺してくれたお陰で俺がどんなに転落したか。お前のせいで直弥は死んだんだからな!」
アルコール臭い息を吐き散らして、康弘は怒鳴り続ける。
私は耳を塞いだ。
いつもこうだ。
静かに前向きに生きていこうと思う度に、この男は現れ私を壊していく。
先に壊れた自分と、死んだ直弥を忘れさせないように。
ただ、暴言を吐かれたなら私は平気だっただろう。
でも、直弥のことを言われると私は怖くて力が出なくなる。
それを知っててこの男は恐喝を続けるのだ。
「やめて、もう言わないで。許して・・・」
「ああ、やめるよ。すること済んだらな。」
乱暴にドレスの胸がはだけられ、私の素肌が顕わになった。
彼は上からそれを見下ろし、あの醜悪な笑みを浮かべる。
そしてジッパーを下げると勝ち誇ったように言った。
「俺を満足させろ。いつも通りな。」
私は自殺願望がある人が分かってしまう。
共鳴するのは私が一番死にたい人間だからに違いない。
あるいは、死んだ直弥が海から私を呼んでいるのかもしれない。
圭介君も死にたいほど辛いことがあったんじゃないかな。
いつも通り満足すると、康弘は入ったばかりの給料袋から札を何枚か取り出して荒々しく家から出て行った。
私は裸で床に転がったまま、彼の琥珀色の目をぼんやり思い出していた。