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ラビリンスで待ってて  作者: 南 晶
第3章 -悠樹-
33/63

23話

 彼女は神妙な顔でぼくの反応を見ていた。


「はあ・・・。まあ主任はかっこいいですけどね。男から見ても。」


 ぼくは言われた意味がよく把握できず、無難に返事をした。

 兄妹なんだから、まあ普通じゃないのか。

 改まって言うことでもないだろう。

 ぼくの的を得ない反応に彼女は若干苛立ちを見せた。


「だから、あたしの好きな男は圭介だってこと!だから岡崎くんとはお付き合いできないの。」


 ぼくは首を傾げて考えた。


「分かりました。でもお兄さんを好きでも戸籍上、婚姻はできないかと。」

「分かってるよ。そんなこと。」

「それにお兄さんと子供を作るのは少し問題があるかと。」

「も~!岡崎君、あたしの言ってる意味、分かってるの?分かってないの?」


 彼女はヒステリックに怒鳴った。

 多分この時ぼくは分かってなかった。

 言葉の意味は分かっても、それが実際どういうことなのかを理解していなかった。

 理解しないまま、ぼくは冷静に返事を続けた。


「分かってますよ。でも、お兄さんが好きでもぼくは構わないけど。だって家族ですから縁切る訳にもいかないし。」

「岡崎君、全然分かってないよ・・・」


 彼女が肩を落として脱力した時、玄関からドアを開く音がした。


「玲!いるかあ!」


 聞き覚えのある低い声がした。

 高田主任が帰ってきたようだ。

 ぼくは女性が一人の時に部屋に入り込んでしまった事実をどう釈明しようかと、腰を浮かせて立ち上がろうとしたその時、彼女の細い手がぼくの腕を掴んだ。

 ぼくを睨む彼女の目に強い意志を感じる。

 ぼくを引っ張って体を寄せると、彼女は耳に囁いた。


「隠れてて。どういうことか教えてあげる。」


 言われるままにぼくは窓際に誘導され・・・そして本当の意味を知った。


◇◇


 月曜日の朝、ぼくは悶々として会社に向った。

 台風はあの土曜日の夜のうちに進路を変え、日曜日は秋晴れが広がった。

 オフィスの周りの街路樹は台風一過、落ち葉を撒き散らし、アスファルトの上に山ができている。

 もう10月だ。

 あの夜のことは夢だったのだろうか。

 一夜明けると衝撃は曖昧な記憶に変り、今朝になると更に記憶は薄くなった。

 デスクに座って、いつも通りメールのチェックから始める。

 やかましいハデな女子社員達(ぼくはこいつらが苦手だ)の甲高い声が聴こえてきて、日常が始まる。

 高田主任のデスクをチラリと見る。

 パソコンがまだ立ち上がってない。

 もしかして、休みか?

 と、思った時、会議室から課長と高田主任を含む、何人かが出てきた。

 何だ、会議だったのか。

 ぼくがその後もぼんやりメールを見ていると、後ろからクリアファイルでいきなりスパン!と頭を叩かれた。

 振り返ると、そこには高田主任が立っている。

 夢だと思いたかったあの光景が主任の顔を見るなり鮮明に脳裏に蘇って、ぼくはまた赤面した。


「岡崎、おまえの担当のオランダ産球根。」


 ぼくの反応に気付かぬフリをして、いつも通りの顔で高田主任は話し出した。


「は、はい。今日コンテナが入る予定です。」

「それが昨日の台風で遅れてんだってよ。この猛暑で品質にも影響があるかもしれない。とにかくクライアントに詫び入れだけしに行くぞ。出荷の予定を変更してもらわないと・・・」


 ぼくは青くなって立ち上がった。



 会社の営業車の鍵を掴んでぼくは高田主任と駐車場に向った。

 キーを差し込んだ時、主任はぼくを制してウィンクしてみせる。


「今日は代わるよ。事故でも起こされたら大変だからな。」

「だっ、大丈夫です。よけいな気遣いは・・・」


 反論しかけたぼくの前に、主任は大きめの紙袋を突きつけた。


「・・・これは?」

「おまえの忘れ物。」


 あの夜、マンションに忘れていったぼくの革靴がそこに入っていた。


「・・・!」


 やはり夢ではなかった。

 ぼくは激しく動揺し声も出せず、大人しく助手席に乗るしかなかった。



 運転しながら主任は窓を開け、ポケットからタバコを取り出し口に咥える。

 ぼくは何を喋っていいものか分からず、黙っていた。


「何か言えよ、岡崎。」

 

 先に口火を切ったのは主任だった。

 運転しながら横目でぼくを観察している。

 目を細めた時の表情とか、横顔は確かに玲さんに似ている。

 血が繋がってるんだから当然か。

 こんな時にまた場違いなことをぼくは考えてしまう。


「気持ち悪いだろ?」


 自嘲的に言うと主任は笑った。


「いいえ、そんなことはないです。」

「別にいーよ?正直に言っても。」

「むしろ、きれいだと思いました。その、二人が愛し合ってる姿が。」

「・・・」


 ぼくは率直な感想を口にした。


「・・・あっそ。ありがと。」


 主任はぶっきらぼうに言って、髪をかきあげる。

 普段は真面目な人なのに、時々見せるやさぐれた雰囲気に色気がある。

 男のぼくでもかっこいいと思う。


「・・・いつからなんですか?」


 この際だから思い切って突っ込んでみた。

 主任も今日はそのつもりだろう。

 余裕のある態度は開き直ってる証拠だ。


「オレが二十歳の時から。あいつは14歳だった。」


 前方を見てハンドルを切りながら、主任は返事をする。

 14歳?

 ませてないか?

 ぼくが14歳の時なんて女の子と話すことも恥ずかしかったのに。


「・・・それは犯罪ですね。」

「自覚してるよ。でも、やめられなかった。通報するか?」

「いえ、もう時効でしょう。」

「・・・だな。」


 タバコの煙を窓の外に吐き出し、主任は話し続けた。


「オレは変態で犯罪者でいいんだ。でも、玲は普通の女の子だからな。これ以上オレと一緒にいてもダメなんだ。女性として幸せになって欲しいからさ。」

「・・・はあ。」

「玲のこと、嫌いになった?」


 横目でまたぼくをチラリと見る。

 間違いなくぼくを試している目だ。


「いいえ。」


 ぼくははっきり言った。

 衝撃のワンシーンの前の穏やかな夕食。

 子供のような彼女の食べる姿。

 あの時確信した。

 ぼくはそれでも彼女が好きなんだ。


「主任の許可が下りれば、ぼくは彼女にもう一度、交際を申し込みます。お兄さん相手じゃハンディはあると思いますが、ぼくには結婚できるというメリットもある筈です。」

「へえ?まずオレよりいい男でないと、玲はなびかないと思うけど?」


 主任はニヤリと不敵に笑って見せた。

 ぼくも負けじと睨み返す。

「ショパンがガンズに負けるはずありません。兄だろうと何だろうと、他にいい男が現れたら彼女だって忘れる筈です。ぼくは頑張ります。」


 怒るかと思いきや、主任はあはは・・、と声を上げて笑った。


「オレ、そう言ってくれるヤツを待ってた気がする。玲にも言っとくよ。またピアノ弾いてやってくれ。」


 主任は右手でハンドルを操りながら左手でぼくの肩に軽いパンチを入れた。

 ぼくはその拳を手で受け止める。


「それは許可が下りたってことですか?」

「許可するよ。でも、おまえが男として振られたなら、オレにはどうしようもないからな。ま、頑張れば?」


 ぼくを見ていた横目で器用にウィンクして、主任はまたタバコを咥えた。


 話終わって、あの夜からの胸のつかえが降りた気がした。

 やっぱり器が大きい人だ。

 この犠牲的精神も、少し人生投げているような脱力感も、こういうバックグラウンドがあって形成されたものなんだろう。

 きっと妹を守ろうと、今まで自分を捨ててきたに違いない。


「じゃ、仕事の話でもするか。この猛暑で多分コンテナの中の半分は腐ってる。損害の賠償はどうするか・・・」


 ああ、その話があった。

 ぼくは宙を仰いで溜息をつく。

 だがむしろ気分は爽快で、ぼくたちは怒り心頭に違いないクライアントの元に向った。


◇◇◇



 その夜、彼女から携帯に電話があった。

 ぼくは飛びついて着信ボタンを押す。


「はい、岡崎です。」


 しばらく沈黙があった後、彼女の小さな声がした。

「・・・あたし、玲です。この前は驚かせてごめんなさい。」

「いえ、あの、主任から許可もらいました。正式に一度お付き合いして下さい。」


 ぼくは一気に言い切った。

 電話の向こうで少し困惑気味な彼女が目に浮かぶ。


「・・・圭介に話聞いたけど。あたしが好きなのは圭介なの。付き合ったってあなたを好きになれるか分からない。」


 言うと思った。

 ぼくは用意していた持論を展開した。


「主任がお兄さんなのは仕方ないですが、もっといい男が現れたら交換するべきです。ぼくは主任より気に入ってもらえるように頑張ります。だから天秤に掛ける為にも一度お付き合い下さい。」

「ポジティブだね。」


 玲さんはあははと笑った。

 ああ、分かった。

 似ているのは話し方だ。

 ぼくは玲さんを好きになる前から、主任のことが大好きだった。

 主任のことが好きな彼女を好きになるのは、自然なことだったのかもしれない。


「いいよ。じゃ、どっちがお徳か付き合ってみる。」


 彼女の明るい声がした。

 よし!

 ぼくはこぶしを握り締める。

 でも、これだけは言っておかなければ。


「シングルベッド発注しておきますから受け取って下さい。ぼくの最初のプレゼントです。」


 そして主任への先制攻撃だ。

 電話の向こうであはは・・・と笑う声がした。




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