16話
砂浜を引きずられるようにオレは歩いた。
堤防を乗り越えるとガードレールの向こうに車道が見えた。
車の通りは全くない。
車道を横断したその先は何もない雑草が生い茂った空き地が広がっている。
背の高い黄色い花をつけたセイタカアワダチソウの中に小さな洋風の家が見えた。
「大草原の小さな家」みたいだ。
「休んで良くなるなら休んでいってもいいけど、なんなら救急車呼ぼうか?」
女性の声が耳元で聴こえた。
「大丈夫です。溺れて水飲んだだけですから。」
オレは笑って言おうとしたが寒さで声が震えている。
多分顔も蒼白だろう。
大丈夫でないことだけは確かだ。
「じゃ、少し休んでいったら?」
女性はそれだけ言うと黙ってしまった。
オレは自分の無様な格好を想像して泣きたい気分だった。
何考えてたんだろう。
普通の状態だったら、台風の海に入るなんて考えなかった。
苛立ちを抑えることが出来なくてヤケクソになって海に飛び込んでしまったのか。
文字通り死にかけて、見知らぬ人に迷惑をかけている。
これから玲が本当にオレから離れて、他のヤツと付き合い始めたらどうなるんだろう?
オレは正気でいられるのかな?
家に着くと、タイル張りの奇麗な玄関にオレを待たせて女性は中に入った。
バスタオルとバスローブを持ってきてオレに渡すと、
「シャワー浴びたら?」と、奥のドアを指差した。
「あ、すいません。」
オレは恐縮しながら足の砂を払って家の中に入る。
ピンクのタイル張りのバスルームは掃除が行き届いていてホテルみたいだ。
「別荘なのかな?」
オレはシャワーを浴びながらそんなことを思った。
海に隣接した場所といい、家の造りといい、仮の住居という感じだ。
熱い湯を浴びて何とか人心地着くことができた。
気分は最悪だけど、体の震えは治まった。
「お礼言わなくちゃな・・・。」
担いでもらいながら、オレは顔さえよく見てなかった。
もはや彼女は命の恩人だ。
オレはバスローブを体に巻きつけ外に出た。
カントリー調のドアが並ぶ廊下に出ると、味噌汁の香りがした。
洋風の家にそぐわないが、懐かしい香りだ。
一人暮らし始めてから、味噌汁なんて飲んだことない。
廊下の突き当たりに掛かっているレースの暖簾をくぐるとキッチンだった。
さっきの女性が鍋に向っている。
味噌汁の香りはここからしていた。
「あの、ありがとうございました。何とお礼言ったらいいのか・・・。」
オレはおずおずと声をかける。
女性はオレの声に気がつき、振り返った。
かなり大柄な人だ。
大柄なオレが思うんだから、女性としてはかなり大きいだろう。
ウェーブのかかった黒髪を背中でルーズに束ねて、ちょっと外国人っぽい雰囲気だ。
インドのサリーみたいなロング丈のサマードレスが似合っている。
日焼けした顔にはそばかすが散らばっている。
でも、彫りが深くてきれいな顔だ。
「朝ごはんにするとこだから少し待ってて。」
その人はあごでダイニングテーブルの椅子を指した。
オレはおずおずとそこに移動する。
やがて女性は茶碗とさっきの味噌汁が入った椀をトレイに載せ持ってきた。
テーブルにのってた炊飯ジャーを開けると、炊きたてのご飯が湯気をあげて現れる。
そのホカホカご飯を茶碗につけてオレに差出した。
「まず、食べたら?お腹が減ってると変な事考えるんだよ。」
やっぱり自殺しに来たと思われてるのかな・・・。
一応サーフィンが目的だったけど、この状況ではそう思われても仕方がない。
「あ、はあ、すいません。」
オレは気恥ずかしくなりながらマヌケた返事をした。
ぼんやり見ているオレの前にご飯と味噌汁が並べられた。
久しぶりのまともな朝ご飯を前にオレは感動すら覚える。
「入ってるアサリはさっき浜で取ったの。毎朝散歩しながらアサリ取るのが日課なんだ。」
女性は箸で味噌汁を指して言った。
「あ、じゃあ、今日は邪魔してすいませんでした。」
オレは素直に謝る。
「別にいいけど。人が死んだとこで取れたアサリなんて食べるの嫌でしょ?まだその気なら次からは他の場所でしてね。」
女性は笑顔を見せて言った。
オレは言葉もなく頷く。
オレ死ぬ気だったのかな?
死んでもいいとは思ったかも。
バカにも程があるけど、本当に死ぬことは想像してなかった。
温かい味噌汁を口にすると健康的な食欲が戻ってきた。
母親が作ったみたいな味だ。
「おいしいです。」
オレは思わず声に出した。
「でしょ?強靭な精神は強靭な肉体に宿るの。強靭な肉体には健康的な食事が必要。ちゃんとご飯食べてない人はくだらないことで悩むのよ。私、栄養士だからうるさいんだ。」
女性は自慢げに言った。
なるほど、タダの味噌汁じゃなくて野菜も入ってて健康に良さそうだ。
「かっこいいですね。ぼくは料理は全くダメなんで尊敬します。」
素直に出た褒め言葉だったが、女性は赤くなって手を振った。
「資格があるだけで、仕事は要するに給食のおばさんだよ。手当てが人より1万円多くつくだけ。あたしこの先の車の組立工場の中の食堂で働いてんの。」
そう言えば、海岸線を岬に向って走った所に、社員寮や工場があった覚えがある。
じゃあ、この家に定住してるのか。
「ここ別荘かと思いました。」
オレは疑問を口にする。
「元別荘を買ったんだ。バブルの時代に建てられてそのままになってた中古物件だったの。海から近すぎて車が痛むけど、破格だったから買っちゃった。」
「・・・もしかして一人で住んでるんですか?」
「そう。バツ1だもん。女が一人で生きてくにはそれなりの覚悟と準備がいるからね。ローンも払っちゃったよ。」
女性は豪快に味噌汁を飲み干した。