その9 格の違い1
キャナを狙った刺客が襲来したのは、それっきりだった。
「たぶん、転移魔術を上手く操れていないのよ。犠魂陣で生成した魔力が不安定すぎて一定の状態に保ち続けることができないのね。続きがやってこないのはそのせいだと思う。この間のヤツはまぐれだったんじゃないかしら。……っていっても、精神と魂と魔力を完全に持って行かれちゃってて、人格自体がほとんどダメになっちゃってたケド。強引に時空転移に放り込んだりするからよ」
あるとき、俺の焼いたホットケーキをもしゃもしゃ食べながら、彼女はそんなことを教えてくれた。
魔法って不思議なチカラは、人間なら誰もが一度は憧れる。
だけど、実際にはそれほど便利なものじゃないようだ。
例えるなら――錬金術。
魔法の効果と術者の魔力は等価交換。
魔力以上の魔法を行使することはできない。無理をすれば術者の魂を持って行かれてそれまで。
ま、ケンカも似たようなものだろうけど。
やりあっている時はそいつの持っている実力しか発揮できないから。強引なケンカに持ち込もうものなら、却ってこっちが自滅する。昔のどこぞの強い剣客集団(誠って旗を持った方々)も、必ず相手と渡り合える体勢を整えてからケンカを売ったという。歴史の流れは彼等に味方しなかったが、それはとても合理的な考えだと俺は思っている。
ともかく、しばらくの間は何事もなく平穏に過ごすことができた。
その間、部屋でじっとしていられなくなったキャナが学校に押しかけてきたりして、エクスカリバーやエロスケベに彼女の存在を知られてしまったワケなのだが。
ま、ヤツらは俺の友達だし、そもそも彼女は人間自体を敵だとは思っていなかったから、顔面蒼白になるようなトラブルも起こらずに済んだ。キャナ的には、エクスカリバーみたいな秀才はさほど問題ないが、全身から性欲を垂れ流して歩いているエロスケベはどうも好けないらしい。ヤツは時々ちょっかいを出そうとして生命に関わらない程度の(キャナにしては出来すぎな手加減だ)魔法をくらうのだが
「あぁ、いい……! おねーさま……」
と、自重するどころかエクスタシーを感じてしまうからタチが悪い。
エロスケベいわく、女の性的な魅力は「美尻もしくは美脚」らしい。胸のでかさは関係ないと主張しておるのだが……だから何なのだ。
悪いことに、寝起きの姿そのままでやってくるキャナはいつも美尻と美脚全開。
まるでエロスケベの下半身を「ほーれ」って刺激するために見せつけているようなものだ。
とまあ、キャナには承認を与えてある。
――触ってきたら、ためらわずにぶっ飛ばしてよし、と。
大分遠回りしてしまったが、そんなこんなで俺はキャナと暮らしている。
人間世界の生活に慣れてきた彼女は退屈すると、手当たり次第そこらへんに転がっている物に魔法をかけて奇妙な乗り物に変え、留守番そっちのけで俺を追ってくるようになった。
ただ、乗り心地が悪いからといって、ホウキに乗るつもりはないらしい。普段のカッコがカッコだから、ホウキにまたがったって魔女には見えないだろうけど。
別にやめさせる必要はないが、古タイヤに座って空を飛んでいる自分の姿を想像してみて欲しいものだ。
ご近所さんにもしばしば目撃されているようで、例の耳打ちカネ婆にも
「今朝ねぇ、風間君とこに住んでいるおねーちゃん、空高く飛んでいったよ。すごい特技だねぇ。魔法使いみたいだねぇ」
なんてワケのわからない感心の仕方をされたりした。
いやいや、魔法使いそのものですから。
……ってか、空飛んでる時点でツッこめよ。
で、俺が他校生と乱闘をかましていると、いつの間にやら背後にキャナが姿を現していて
「きゃはは! みんな吹っ飛んじゃえ!」
とか高笑いしながら、頼みもしないのに魔法で一撃粉砕してくれる。
おかげ様で、他校では噂になりつつあるらしい。
風間に取り憑いているパンツ女の幽霊に気を付けろ、と。
幽霊ではないが、確かにパンツ女……ああいやいや、この噂は俺にとって甚だ不名誉である!
俺に恨みを持っている連中なんかは
「あいつは借金を苦に自殺したデリヘル嬢の霊に片思いされている」
「浮気相手に殺害されて浮かばれない人妻が、自分を殺した浮気相手と風間を勘違いしている」
などなど、あちこちで根も葉もない誹謗中傷を撒き散らしてやがるのだ。
そういうヤツらは発見次第、ボコらない程度にシメることにしている。
ただ。
正直な話、キャナには女性らしい衣服を与えていないんだよな。
それが原因の一端であるといえなくもない。その点、やや俺のせい。
彼女が普段着ているものの上半分は俺のだし、下半分(って、要は下着だが)はおじさんとおばさんの家からこっそり持ってきた。
念のためにいっとくが、おばさんのじゃない。
死んだ佐奈姉ちゃんが身につけていたヤツだ。遺品を持ち出すことにためらいは小さくなかったが、かといって今生きているキャナを大事にしなければならない。パンツくらいいいだろう、というのが俺のせめてもの妥協点である。おいといたって、誰かが穿くワケじゃないんだし。
どんな服を着せてやったらいいのかもわからないし、ついでに買ってやる金もない。
ぼちぼちそんな悩みができつつあった俺。
(あー……どうすっかなァ……。これから暑くなるし、服なんか要らねっていえば要らないけど)
……ああっと、そういう問題じゃない。
同居の女性にマッパで暮らせと命じる(キャナはやりかねないが)のは正真正銘の変態だろう。
俺はグランドの隅っこにある草むらの上に腰を下ろし、独りアヤしげな思案にくれていた。
時間は三時間目、体育の授業。
数人づつタイムを計測しての短距離走だから、一回走ってしまえばしばらく出番がない。
担当教師は例の男子便所。
遠くでカキコキとロボットのように稼働しているヤツの姿をぼーっと眺めていると
「……よォ、コウ。なぁにを、そったら真剣に見つめてやがるんだ? ん?」
走り終えたエロスケベが擦り寄ってきた。
相変わらずにやけた顔がいやらしい。
「なんも見つめてねェよ。考えごとしてたんだっての」
「はァ? またまた、コウってばムッツリだなァ。どーせ、あのコの揺れるボインに釘付けだったんだろーが。俺の目はごまかせんぞ!」
「……あのコ?」
訊き返すと、エロスケベは黙ってあごをしゃくった。
そちらの方角では、女子の体育の授業が行われている。
純白のTシャツと赤い短パンで動き回る若い乙女達。
確かに、爽やかな色気があるっちゃある。
とはいっても、日々キャナの色香に接しているうちに免疫が構成されてしまったらしく、あれらをオカズに自分を慰める意欲は湧かない。……それも変態か。
と、一人だけ色の違う短パンを穿いているコがいる。
すらりとした後ろ姿が妙にキレイで、プロポーションの良さは他の女子に比べれば明らかに群を抜いている。
しかも、ちらっとこちらを向いた瞬間に垣間見えた容貌は超可愛い。小顔にぱっちりとした瞳、そして鼻と口が絶妙のバランスで配置されているではないか。ツンツンした感じは微塵もなく、みんなのアイドル的スマイルが破壊力抜群。とどめに、エロスケベが言う通り、Tシャツの胸のあたりがおかしな具合に盛り上がっている。即ち、巨乳。いや「爆」でも十分通用する。滅多にお目にかかれない特盛りだ。
そこで俺は気が付いた。
「……お前の言うイミがやっとわかった。ってか、あんなコいたっけ?」
すると、エロスケベはムフフ、と気持ち悪い笑いを漏らし
「そーいやコウ、遅刻してきたから聞いてないんだっけな。今日、六組に転入してきたんだとさ。天海明(アマカイメイ)ちゃんっていうそうだ。……いやぁ、あのケツと美脚、校内トップレベルだな。神は我が校に天使を遣わしたに違いない!」
「ふーん」
天使ね。
天使の転入、ついでに巨乳。
天乳? 転乳? 字的にもイミ的にも、どちらも適っているような。
……いや、妄想の度が過ぎた。
見てくれもさることながらその挙措振る舞い、確かに天使的な観はあるな。やってきて間もないというのに、すでに大勢の女子に取り巻かれて楽しそう。
ってか、俺の背後に佇んでいるエロチック艦隊主砲の照準にさらされないように願いたいものだが。
エロスケベは別名『エンジェルイーター』だものな。
校内の綺麗どころに手をつけすぎた結果、一部の野郎どもが反感を込めてつけたあだ名である。
が、いかんせんイケメンかつ運動神経抜群だから、そういう不届きな行為を繰り返すにもかかわらず、俄然女子達からの人気は衰えない。その点、知性派好みのキャナはやはりオトナなのだろうか。
ニヤニヤづらで腕組みをしてメイちゃんを見つめていたエロスケベ、ふと思いついたように
「お前んトコのキャナおねーさまはオトナのエロい魅力に満ち溢れている。しかしメイちゃんは純粋で爽やかな、それでいて肉体的にも申し分ないエロさをたたえている。……うーむ! どちらも捨てがたい! 神はこの学校に天使を与え、俺には試練を与えたというワケか!」
身体をよじって悶絶しはじめた。
……死ぬまでほざいてやがれ。
相手にするのが馬鹿馬鹿しくなった俺は、エロスケベをシカトしてグランドの方へ目を向けた。
そろそろ、二本目の計測をする順番が回ってきそうだ。
しかし、高校生に百メートルのタイムなんか計らせて、文部科学省はどうするつもりなんだろう。
まあそれはどうでもいい。俺の知ったコトではない。
俺は立ち上がり、スタート地点に向けて歩き出した。
その時である。
「――すいませーん!」
女の子の声がした。
「……あ?」
見れば、俺の方へコロコロとボールが転がってきている。
女子はソフトボールをやっていて、ボールを逸らしてしまったようだ。
拾って投げ返してやろうとすると、相手のコはご丁寧に俺の傍まで駆け足で取りにやってきた。
――よりによって、そのコはメイちゃんだった。
「ごめんなさい! 受け損なっちゃって……」
例のエンジェルスマイル炸裂。
近くで見ると、その可愛らしさがよくわかる。
こういっちゃなんだが、完璧というのはこういう顔立ちをいうのかも知れない。雑誌のモデルとか芸能人はオリジナルをイメージできないまでにメイクで塗りたくるが、彼女はほとんどノーメイク。それでこの美貌なんだから、恐るべしである。
これなら校内はおろか、近隣校の男子どもを瞬く間に虜にしてしまうだろう。
が、初対面の美少女に接近されたくらいで舞い上がってしまうような俺ではない。
「はい、コレ」
ボールを差し出してやると、彼女はタマゴでももらうようにして両手で受け取り
「ありがとうございます! すみません!」
にこっ。
視線と視線がぶつかった。
その瞬間、彼女はちょっと不思議そうな、軽い驚きの混じった表情を見せた。
が、コンマ数秒後には笑顔に戻ると、一礼して駆け戻っていった。
「……」
その場に突っ立って、遠ざかっていく背中を眺めている俺。
――なんだアレは?
俺をどこかの知り合いかと思ったのだろうか。
何となくあの表情にはそんな含みがあるような気がした。
といって、俺は彼女のコトなどまったく知らんのだが……。
「コウ! お前ェ、ちゃっかりメイちゃんとお話しやがってェ! キョーミなさげな顔してたクセに、やっぱお前はムッツリだよなァ! このォ!」
「ぬおっ!?」
いきなりエロスケベが首に腕を回してきやがった。
考え事モードに入っていた俺、不覚。
「メイちゃんにボール手渡ししたんだろ? ん? こっそり手ェ握ったりしたんじゃないだろーな? 握るのは自分のナニだけにしとけよ! おっ立ててたら嫌われるぞー」
「やかましい。貴様の股間と一緒にするな。ってか離せ! アホと下品がうつっちまう!」
「……おーい、風間に江口! お前らの番だぞー。そんなところでいちゃいちゃとたわむれてないで、さっさと位置につけー! 乳繰り合うのはアトにしろよー! はっはっは――」
男子便所に呼ばれてしまった。
ってか、要らんコト言わんでいい!
他の連中にげらげら笑われてしまったではないか。
誰がこんな汗臭いゲロ野郎と乳繰り合うかよ。
その放課後のこと。
俺は大人しく便所掃除の刑に服していた。
校舎は四階建てだから、少なくとも便所は四箇所ある。
さすがに女子便所の掃除は免除されているものの、それにしてもメンドくさいったらありゃしない。
(あー、キャナのヤツ、待ってるだろうな……。遅くなって帰ったら、またむくれちまう)
胸中でぶつくさいいながら、モップで床をこすっている俺。
キャナのせいで遅刻して便所掃除の刑罰を受けているというのに、帰ったら帰ったでそのキャナに苦情を言われなきゃならんというのはどうも腑に落ちない。といって、不服を述べたところで聞き入れてくれるような相手でもないのだが……。
一平北高の場合、四階が一年生フロア、二階が三年生フロアという順番になっている。
俺は四階の便所から掃除に取りかかっていた。
一年生はまだ学校に慣れきっていない時期だから、部活をやっていない連中の多くはさっさと下校していってしまう。そんなワケで、四階にはほとんど人の気配がなかった。
床をモップがけして便器をタワシでこすり、まず一箇所目終了。それなりにピカピカ。
次は三階の便所が待っている。
このままとんずらしようと思えばそれも可能だが、罰は罰だ。
知らんぷりして脱走を試みるというのは俺のポリシーに反する。ってか、別に掃除嫌いじゃないし。自慢じゃないが、若い男の一人暮らしにしては俺の部屋は美しい方だと思っている。
用具箱に掃除道具を納めて、四階便所から出た。
そして廊下の角を曲がろうとした時だった。
「風間クン……」
不意に俺を呼び止める声がした。
ハッとして振り返れば、そこには――なんと、あのメイちゃんがいた。
制服に身を包んだ清楚な姿で壁にそっともたれている。
体育の時の明るさとはうって変わり、やや物憂げな表情。
おおっと?
美少女が一人きりで俺のところへ?
ということは――!
……などという学園ラブストーリー的なトキメキは、残念ながら一切ない。
なぜなら、彼女が寄りかかっているその壁、袋小路の行き止まりだからだ。
この学校のトイレは廊下の一番端っこに位置している。そんなワケで、反対側の教室の連中からはえらく不評だった。トイレに隠れて悪いことをするヤツを発見したら逃がさないよう、という意味があるとかないとか。これは生徒達の噂に過ぎないけど。
床磨きに熱中していたとはいえ、トイレの前を人の通る気配がすればイヤでもわかる。
つまり――メイちゃんは「降って湧いた」ように、現れたということになる。
ゆえに俺は彼女の登場に驚いたワケだ。
「いきなりごめんね。クラスのコから、名前を聞いたの。風間クンっていう名前だって教えてもらっちゃった。――私の名前、まだ言ってなかったよね?」
「……天海明ちゃんだろ? 学校中で噂になっているよ。とんでもなく可愛いコが転入してきたって」
逆に答えてやると、メイちゃんはちょっと笑って
「そ。私、あまかいめい、っていうの。あまかい、めい、よ。……何か、気付かない?」
「……?」
何を言ってるんだ?
気付くって、何を?
言っている意味がわからないまま、俺は彼女の整った小顔をじっと見つめている。
メイちゃんの様子はどこかおかしい。
みんなの前で見せていたあの快活さはすっかり鳴りを潜めてしまっていて、うっかりすると電車に飛び込んで自殺する寸前の青春思い詰め少女的な暗いオーラを放っている。
なぜそんなに影を落とす必要やある?
もしか、どっかで会っていて俺が何か失礼をかましていたとか?
あるいはぶっ飛ばした他校生の誰かのカノジョ?
後者はないな。可能性があるとしたら前者だ。
とはいっても……あまかいめい、か。
思い出せねぇ。
あまかいめい、あまかいめい、あまかいめいあまかいめい……あまかい、めい……。
あまかいめい。
……ん?
この響き。
なんか、おかしかねぇ?
苗字とはいえ、訓読みと音読みが混ざり合ってるって、ありえないぞフツー。
あま、かい、めい。
彼女の名前をバラしてゆっくりと反芻しているうち、俺はイヤな予感がした。
あま、かい、めい。
あ、ま、か、い、めい。
これって……もしかして……?
「……お前、ひょっとして――」
そこまで言いかけた途端、急に視界全体がぐわっと揺れた。
ほんの一瞬のことだ。
目の前にシャッターが降りるようにして真っ暗になり――俺は意識を失っていた。
意識が完全に飛ぶ寸前のコンマ何秒、俺はメイちゃんの口元に不気味な笑みが浮かんでいるのを見たような気がした。