その8 最初の刺客3
「――おわぁっ!」
カッコ悪いとかなんとか、ごたくを並べている余裕はない。
反射的に横っ飛びをかました俺の背中のすれすれを、光弾がかすめていく。
二つの光弾はそのまま宙を飛んで、川面を直撃した。
ばっごおぉん……
派手に舞い上がった水柱、そして川底の石。
ぶっ倒れた姿勢のまま恐る恐るそちらの方を見やれば――なんと、川底にでっかい大穴がぶち開けられてるではありませんか。川の流れ、微妙に変わってるし。美空さんもびっくりだ。
……それはいいとして。
初めて見る魔法の威力に怖気が立った。
運悪くあれをくらっていたら、俺も今頃はスプラッタ……?
神速鉄拳をかましてやるどころの騒ぎじゃない。
キャナの話を聞いていた俺は割とお気楽に考えていたが、どうも勝手が違うようだ。
(やっべ……逃げた方がよさそうだ……)
この瞬間、不覚にも山田とかピースの連中のことはまったく頭になかった。
黙っていれば殺されてしまうという恐怖だけが俺を支配していた。
慌てて起き上がろうとすると
「痛って……」
脇腹を貫く鋭い痛みがはしった。
どうやら横っ飛びして地面に落ちた際、打ち所が悪かったらしい。
たまらずうずくまった俺の上に、ゆらっと影がした。
すでに刺客の男が近寄ってきて俺の傍に立っている!
「キャナ……処刑……する……」
「……!」
俺を見下ろしている、何かに取り憑かれたような魔性の眼差し。
情けないが、こればっかりはちびりそうになるほどゾッとした。出会って間もなくキャナに魔法で身動きを封じられた時も恐ろしかったが、それとはまた別の恐怖だ。正気を失った存在に命を狙われると気持ちが完全にフリーズしてしまうらしい。ホラー映画で殺される人の気持ちがちょっとだけわかったような気がしたが、この期に及んでそれはどうでもいい。
もう、逃げる余裕はない。
差し向けられている男の両手の平が鈍く輝き始めた。
俺はぐったりとして冷たい土の上に頬をつけた。こうなってしまえばもう、どうにもできない。
おじさん、おばさん、それにキャナ――!
目を閉じて無意識にキャナの名を念じていた俺。
その瞬間、頭上で「ザンッ!」という鈍い、そして何ともイヤな音を俺は確かに耳にした。
「……?」
微かに訪れた静寂を不思議に思った俺は、恐る恐る目を開けてみた。
網膜に飛び込んできた午前の明るい陽の光、それからふわっと舞ってきた数滴の黒い滴。
これって――血!?
ぎょっとして俺は目を見開いた。
俺を殺そうとしていたハズの男の姿が、ない。
一体全体、ほんの僅かな間に何が……!?
その答えはすぐにわかった。
「……意外に早かったのねぇ、メイアったら。あのバカ女、時空転移のやり方にあっさり気がついたってワケね。ちょおーっとばかり、見くびっていたかしら、アタシ」
低くねっとりと湿ったような、艶っぽくも冷酷な響きのある女の声。
そう。
この声の主は、もしかしなくてももしかして――
「こーちゃん、大丈夫ぅ!? しっかりしてよぉ! こーちゃんが死んじゃったら、あたしも死んじゃうんだからね!」
がくがくがくがくがく……。
いきなり猛烈に身体を揺さぶれている俺。
「……何となく生きてるわ。だから、揺らすのをヤメんか……」
「あーっ! こーちゃん、無事だったぁ! よかったぁ!」
キャナ。
俺の顔の真上に、にこっと嬉しそうに微笑む彼女の姿があった。
だぶだぶのTシャツとパンツという、それはそれはとても色っぽい姿で――
「……って、キャナ、お前!? なななな、なんつーカッコーで外、出歩いてんだ!? それに、何でここが……?」
きょとんとしたカオをしているキャナ。
「あたし、歩いてないよぉ? 飛んできたんだもん。……ほら!」
見覚えのあるテーブルがふわふわと低空で宙に浮いている。
キャナはそれにぺったりと女の子座りをしていやがった。
「魔法を使う者が放つ気配っていうか魔力の波長? 寝てたら急に感じちゃったのよねぇ。なんかいいモノないかなぁと思ったら、コレがあったから魔法かけて乗ってきちゃったの。きゃはは」
おい。
呑気に「きゃはは」じゃねェよ。
そのテーブル……うちのじゃね?
ってか、彼女がそういう小細工魔法を使えることも知っていたから大して驚きはしなかったが、いくら魔女とはいえ外出していい服装とそうでない服装ってモンはあるだろう。
「なるほど、歩いてきたんじゃないのはよっくわかった。それにしてもそのカッコ……痛っ!」
「あーん! こーちゃん、だいじょうぶぅ? ……ほら、あたしにつかまって!」
つかまるも何も、ほとんど抱き抱えられるようにしてテーブルの上に乗っけられた俺。
途端にテーブルはゆったりと高度を上げ、落ちたらタダでは済まない位置まで上昇した。
そこから何気なく下を見やった俺は、衝撃の光景に背筋が凍りつくのを禁じ得なかった。
例の男がコンクリート製の橋脚に――磔にされていたからだ。
胸の中心を光が鋭く固体化したようなもので刺し貫かれ、その光が勢いで男の身体ごと持っていって橋脚に突き刺さったらしい。俺が微かに耳にした「ザン!」という鈍い音は……キャナの放った光が、男の身体を貫く音だったのだ。
男は口から血を吐きながら、ぴくぴくと身体を痙攣させている。
何度も片手を差し上げようとするのだが、力が入らないらしい。
そりゃあ、そうだ。
胴体串刺しにされてりゃ、な。
「キャ、キャナ! あ、あいつ、なんで、あんな風に……?」
俺の質問に、彼女は
「え? だってあいつ、あたしを殺しにきたんだもの。つーか、血迷ってこーちゃんのコトも殺そうとしたのよ? だからぁ、さっさと殺さなくちゃ」
……事も無げに言ってのけた。
やっぱりこいつ、本性は冷酷非道な魔女以外の何者でもない。
しかもキャナは、人差し指をあごにあてて可愛らしい仕草でちょっと考えている風だったが
「……やっぱ、聞き出しておいた方がいっか」
パチン、と指を鳴らした。
その直後。
「――っぎゃああああああああぁぁっ!!」
男が絶叫した。
いつの間にか、左の肩から先、左腕が丸ごと松明と化したように轟々と燃え盛っている!
もはや呆然とするよりない俺。
その俺をそっと優しく抱き締めながらも、一方でキャナは悪魔のように言う。
「さぁて、これ以上苦しみたくなかったら、正直におっしゃい。――アンタをこの世界へ送り込んだのは、メイアのヤツかしら? それとも、ほかの魔界府の連中かしら?」
普通だったらこんな拷問に耐えられるような人間なんて、いるワケがない。
だが、眼下の男は魔界人だからだというのか、苦しみながらもゆっくり顔を上げると、引きつったその表情に微かに笑みを浮かべ
「わ、私を殺したところで……次の刺客が……お前を――っがあああああああああああぁっ!」
今度は右脚が燃え出した。
「……質問に答えないからよ。言っとくケド、アンタを助けるつもりはこれっぽっちもないわ。素直に吐けば、せいぜい楽に殺してあげるって。無駄な我慢はしない方がいいわ。そもそもアンタ」
キャナの眼差しがぐっと鋭くなる。
「――あたしの大事なオトコ、殺そうとしてくれたものね?」
パチン。
冷たく鳴り響く指先。
「うっぐおおおおおおおおおぉっ! ぃぎゃああああああああ――」
いつ、それが飛ばされたのかはわからない。
男の下腹部や太ももにぐさぐさと、例の光の刃が……。
片手片足を根こそぎ燃やされ、あちこちを串刺しにされながらも男の息が絶える様子はない。
魔界って――なんなんだ!?
違う。
魔女って、なんなんだ!?
訳がわからなかった。
俺に対して母親のような姉のような恋人のような愛情を振りまくそのすぐ裏側で、敵対する者を容赦なく地獄の苦痛に叩き込み、しかし顔色一つ変えない。
ようやく、キャナが繰り返し問うてきた言葉の意味を知った。
あなたは、そんなあたしに大事な自分の魂を分け与えたのよ? イミ、わかってる?――
わかってなかったかも……知れない。
いや、わかってなかったよな、俺。
あとから思えば、俺の態度は簡単すぎた。アバウトっていうのも、時には罪になる。
――だけど。
まかり間違えば、俺達の知らない魔界のどこかで、彼女はいつ何時ああいう目に遭わされていたかも知れないのだ。百年以上っていう、気の遠くなるような歳月、キャナはそういう危険から身を守りながら必死に生き抜いてきた。
やるか、やられるか。
弱肉強食。
だけじゃない。
キャナの両親、あるいはほかにも大事な人達が、魔界衆とやらに捕まってああいう残酷な殺され方をした。復讐は悪だって主張するヤツは世界中にたくさんいるけど、実際に自分の大切な人を殺したヤツが目の前にいたら、平静でいられるだろうか?
俺だって、おじさんとおばさんの娘――佐奈さんっていった――を轢き殺したヤツが目の前にいたら、死ぬまでぶん殴ってやりたい。人間の世界には法ってものが存在しているから、俺やおじさんが裁くんじゃなくって法が犯人を裁く。
でも、魔界にそんな法も秩序も存在しない。
キャナは自分の手で自分を守り、自分の手で仇を討つよりなかった。
だから、今の俺には、彼女を制止する権利は――ない。多分。
ないんだけど――
でも、仮に、彼女がその復讐に燃えるどす黒い心を、何回かのうちの一回だけでも、あるいはほんの一時だけでも、静めることができるならば――その瞬間、キャナは俺に見せるようなあどけなくて可愛らしい彼女でいることができる。
キャナは言った。
あなたはあたし、あたしはあなた――。
俺達は魂を分け合った。
だったら、俺はもう一人の彼女になって、優しい彼女でいられるためにできることをすればいい。
復讐に心を燃やしても、その行き着く先は虚しくて悲しいだけ。
キャナがそんな悲しい気持ちで心を満たしてしまわないように。
「……キャナ、あのさ」
「ん? なぁに、こーちゃん? もーちょおっと、待ってね? あいつに誰が黒幕か、吐かせ――んんっ!」
俺は身体を起こし、キャナの唇に自分のそれをすっと押し当ててやった。
びっくりして目を丸くしたキャナ。
が、すぐに彼女は、俺の背に回している腕にきゅっと力をこめ始めた。
空中に浮いたテーブルの上で熱いキスを交わしているという、何とも奇っ怪な光景。
山田達が気絶していたのは幸いだったかもしれない。こんなシーンを目撃されたら、ヤツらはどんな顔をするだろう? いや――どういうカオをしていいかわからないのは俺の方だ。
やがて、俺達はどちらからともなく唇を離した。
顔と顔が触れ合う近さのまま、キャナは子供のような微笑みを見せ
「……どぉしたのぉ、急に? いきなりこーちゃんが積極的になるからあたし、びっくりしちゃったよぉ!」
「あのさキャナ、聞いてくれるか?」
「なぁに?」
「……あの野郎を楽にしてやってくれ」
俺の頼みに、小首を傾げたキャナ。
口元にどこか挑戦的な笑みを浮かべつつ、彼女は問い返してきた。
「イヤだって言ったら?」
まるで俺を試しているかのようだ。
俺は重ねて、短く言った。
「頼む」
キャナの顔には明らかに不服そうな色が浮かんでいる。
「……あいつ、魔法も使えないこーちゃんを魔法で殺そうとしたのよ? だから、お仕置きが必要じゃない。どのみち死んでもらうんだけどさ」
「だから、さ。無駄な苦しみを与えないでやれないか? ――相手を無駄に傷つけようとすると、その分だけ自分の心も無駄に暗くなると思うんだ、俺は」
上手い言い方が見つからないけど、きっとそういうコトじゃないだろうか。
敗者に対する勝者の礼儀、みたいなヤツ。
そういう気持ちがあればこそ、どんな血みどろの戦いにもほんのささやかだけど「救い」が残る。
逆に、ぎったぎたのねちねちに虐めたりしたら、どんな救いもない。泥沼に沈んでいくような、イヤな気持ちだけが後に残るだろう。
最後にぽつんと針の先みたいな程度でもいいから、キャナの心の中にその「救い」が残って欲しかった。
救いを失わないヤツは、本当の意味で強者だと思う。
だけど、それは俺の中で渦巻いている漠然とした思いだし、その通りキャナに伝えられるだけ俺は人間として成長できていない。
だから、俺が口に出して彼女に伝えたら、こんな風になった。
「俺、まだまだガキだしエラそうなコトはいえねェケド、ちょこっとでもキャナを受け止めてやれるように、なんとかすっからさ。だから、その……あんまり、殺すとか復讐とか、暗いコト考えないで済むんだったら、その方がいっかな、って」
それで良かったのかも知れない。
シンプルじゃないと、思いって伝わりにくいから。
キャナは少しの間、じっと俺の顔を見つめていたが
「……よくわかんないケド、わかったよん。こーちゃん優しいから、要は殺すとか殺されるとかいうのがイヤなんでしょ? 人間の世界にそういう命のやり取りってないものね」
にこっと笑ってくれた。
弟を可愛がる姉のような表情。
確かに、残忍な魔女の一面をもっているけれども――本当のキャナって、聡明で優しくてのほほんとした人柄(魔女柄?)なんじゃないかっていう気がする。
あまりにも過酷な魔界の生存闘争が、そういう彼女でいることを許さなかっただけ。
そうでなかったら今、こんなに素敵なおねーさまでいられるハズがない。
「でも、これだけは覚えておいて頂戴」
途端にキャナの眼差しが深くなった。
「何度も言うケド、こーちゃんに手ェ出すような奴らはあたし、こーちゃんが何と言おうと許さないからね? 百万回焼き尽くして百万本の光刃を突き刺してやるんだから。それは止めても無駄よ?」
「あァ、わかってる。俺に止める権利はねェ」
キャナは頷くと、橋脚に磔にされたままの男へ視線をやった。
その刹那。
ドンッ
鈍く重い唸りと共に、真っ白い閃光が辺りに満ちた。
瞬きをする間にそれは収まったが、男の姿も同時に掻き消えている。
「……一瞬で塵にしてやった。あいつ、自分が死んだことにまだ気付いてないかもね」
――それでいい。
本当の勝者っていうのは、勝ちを引き摺らないヤツのことだから。
そのあと、俺は地面に下ろしてもらい、ぶっ倒れている山田やピースの連中の傍に駆け寄った。
幸い、みんなかすり傷一つなく無事だった。
魔界衆の男がこっちに転移してきた現出位置が乱闘現場に重なってしまい、放散する魔力というかエネルギーにぶち当たって吹っ飛ばされたものらしい。これはあとでキャナが解説してくれたハナシ。
一人一人揺さぶって起こしてやったのだが、ピースのヤツらは俺と山田にやられたものと勘違いしたらしく、一目散に逃げていってしまった。
山田はキャメロンの散歩を続行。
俺はヤツに礼を言い、キャナが乗っかってきたテーブルに便乗してボロアパートに帰ることにした。
気が張っている時は特に感じなかったが、緊張から解放されて初めて気が付いたことがある。
……テーブルなんて、飛行する乗り物にすべきではない!
落っこちれば死ぬというレベルの高度を飛んでいるのがそもそもおかしいんだけども。
キャナに後ろから抱きついた状態で完全に凍り付いていると、
「ねぇねぇ、こーちゃん。あたし、お腹すいたよぉ」
「あ? アンパンおいといてやったろーが。食ってないのか?」
「追っ手が現れたのに気付いたから急いで飛んできたしぃ……。それにあたし、あの赤くてとろんとしてあまーいのが入ったヤツが好きー! 黒いの好きじゃないもん」
アンパンが得意じゃなくて、ジャムパンが好きだということらしい。
パンはともかく、帰ったらちゃんとメシの支度をするから……と言い掛けて、俺はハッとなった。
「……あ゛!」
「ぁえ? どぉしたの? こーちゃん」
「買い物行くの、忘れてた……」
――絶好のお買い得チャンスを逸した俺達はその日、仲良くふりかけ&ご飯をいただいた。