その7 最初の刺客2
キャナと晩メシを食いつつ魔界からの追っ手云々について話をしてから二日後。
その日は休日で、俺はちょっと遠くのスーパーまで買い物に出かけた。
月に一度の特売をやるという、聞き捨てならない情報を得たからだ。
教えてくれたのは近所に住んでいる大井カネさんという婆ちゃん。いかにも裕福そうな名前だが、まったく関連性はない。タマというネコを飼っているが、この情報もとりわけ重要ではない。
このカネ婆、最近腰を病んでいる。
で、毎朝ゴミを出すのに難渋しているようなので手伝ってやるようになったのだが、それを有り難がって晩メシのおかずを分けてくれたり、周辺のスーパーのお買い得情報をこっそり教えてくれるのだ。別に秘匿する必要性はこれっぽっちもなさそうだが、どうやら自分の耳が遠いから周囲の人間も同じだとカン違いして耳打ちしてくるらしい。
「風間君、あのね、明日の土曜日なんだけどね、ごにょごにょ……」
「……!? マジっすか、それ? チョー安いじゃないっすか!」
老婆と男子高校生の会話としてはきわめて珍妙なものがあるが、それはまあいい。
牛乳パックが一本九十八円、納豆が五十円、キャベツ一玉百三十八円、その他諸々……どこから仕入れてきたのか知らないが、カネ婆の情報は実に詳細を極めていた。
価格破壊という小売最大の強敵に真っ向から勝負を挑んでいるそのスーパー! 天晴れ! 潔し! この風間孝四郎、是非参ってやろうじゃないか!
――というマグニチュードな感動はさておき、午前中からのこのこと出かけて行った俺。
例によってキャナは熟睡中。
電車で二駅離れた街にあるから、帰ってくれば楽勝で昼過ぎになる。という時間計算をした俺は、彼女のためにアンパン一個をテーブルの上においといてやった。牛乳はまだ冷蔵庫に残っていたハズ。
当然、徒歩。
電車なんか利用しようものなら、わざわざそのスーパーへ出向く意義は消失する。若いという特性を十分に活かせば、多少の歩行距離など苦にならぬものだ。
あたかも俺の買い物を祝福するかのように空は青く澄みわたり、日差しはことのほか温かい。
意気揚々と歩いて住宅街を抜け商店街をスルーし、近道をしようと川べりの遊歩道に下りた時だった。
川をまたいでいる大きな橋の下、日陰になったところにたむろっている数人の高校生がいる。
以前ぶちのめした記憶のある顔が混じっていたから、どこの連中かはすぐにわかった。
……私立束掛七星高校、通称「束高」もしくは「セッター」。どのみちJTがらみだ。
「……お、オイ! あそこにいるの、イーペーの風間じゃねェ!?」
俺に気付いた一人が声を上げた。
イーペーの風間、か。俺はいつから雀士になったんだ?
「マジだ! 江香さん、どうします?」
「やっべ! 俺らだけじゃ、ぜってェ勝てねェって! ――逃げっぞ!」
江香という三年のヤツに促され、タバコーの連中はそそくさと退散していきやがった。
正直、ホッとしていた俺。
向かってくれば相手にならないことはなかったが、牛乳一本九十八円はタイムセールだから、十一時までに行かないと手に入らなくなってしまう。どうやら、その懸念は去ったようだ。
と、思ったのも束の間。
一目散に逃げ去ったばかりの江香以下タバコー軍団が舞い戻ってきたのだ。
――数が増えている。
ざっと見で十人。倍以上になってやがる。
よくよく見てみれば、タバコー以外の連中が混じっている。
束掛平和高校の奴ら。さして必要もない情報ではあるが、通称ピースである。意味的には戦争がない状態じゃなくて、自動販売機で買えるアレだ。
「おい風間ァ! こないだはようやってくれたのォ!」
さっきまでおどおどしていた江香、増援を得たものだから居丈高になって喚いている。
短髪で剃りがキツく、生高の田坂なんかよりは十分ワルに見えることは認めよう。
だが、いかんせんヤツも腰抜けでしかない。
その証拠に、俺の顔を見かけるなりダッシュでとんずらしたクセに、シマの生徒を人数に引き込むなり態度Lときたモンだ。
ヤツはずいっと前に進み出て来て
「いくら手前ェが強くたって、この人数相手にケンカはできんだろォが! あァ!?」
ちっ。
俺は内心で舌打ちしていた。
……牛乳が買えなかったらどうしてくれるんだ。
やむを得ない。行く手を遮る連中の中央を突破して、スーパーへ急がなければ。
そう決めた俺は一歩踏み出した。
駆け抜けざま左右に一撃づつ見舞ってやれば、奴らは簡単にひるんで道を開けるハズ。
ところが。
「……風間よォ、休みの日になァにやってんだ?」
土手の上から聞き知った声が!
ハッとして見上げれば、ちっこいポメラニアンを連れて散歩中のいかついにーちゃんがいる。
山田康夫。
チープな響きにしか聞こえない名前の持ち主だが、ケンカはハンパなく強い。俺が勝てなかった何人かのうちの一人に入る。橘商業高校、通称「タチション」の生徒で、同じ二年生。うちの男子便所みたいにアンバランスにガタイがでかく、しかもなんちゃらメイルのようにカタい。
以前どこかでかち合ってケンカになったのだが、一撃離脱式な俺の攻撃では決定的なダメージをくれてやることはできなかった。その時は決着がつかずドローとなり、しかし去り際にヤツは
「お前とやり合っても埒があかん。俺達は今後イーペーに手ェ出さんから、お前らはうちの連中に関わらんようにしてくれや」
と、なにやら不戦条約的な台詞を吐いて姿を消した。
ってか、イーペーの連中は俺以外誰も鉄拳を振るうヤツはいないんだけど……。
その後何度か、街で他校生に絡まれているタチションの奴らを助けてやったことがあり、いつの間にか山田とは友達のようになっていた。不良というよりはタチションの「守護者」みたいな存在だから、好んで他校生をぶちのめすような真似はしない。少なくとも生高の田坂とか、今目の前で騒いでいる江香なんかと比較してはいけないおりこうちゃんなのだ。……ついでに動物が大好きだし。
「おい! アレ、タチションの山田じゃねェ? 風間の加勢にきやがったんじゃねェのか?」
タバコーの一人が叫んでいる。
おいおい、お前の目は風穴か(正しくは節穴だ)……。さもなきゃKYか。
どこをどう見れば、山田が俺の助太刀に駆けつけたって構図になるんだ。ただの通行人だろうが。
それはともかく、これはいよいよまずい。
なんでって、このシチュエーションなら間違いなく、山田もペットのポメラニアンも巻き込まれる。ヤツを一人戦場に置き去りにして俺がスーパーへ急ぐワケにはいかないじゃないか。
「山田ァコラァ! てめェも潰されにきやがったかァ!」
「いや。俺は偶然通りかかっただけだが……」
悠長な返事をしつつも、ポメラニアンのリードを近くの鉄柵に結びつけた山田は土手の下へ下りてきた。ゆったりと俺の傍へやってくると、
「風間には、借りがある。それに、一人を十人で囲むってのはどう見ても卑怯だろう。だから、俺が援護する。……キャメロンが待ってるから、早くしろ」
キャメロン?
……ああ、土手の上でご主人を恋しがってキャンキャン咆えているあいつか。犬っころごときにずいぶんとけったいな名前をつけたものだ。
だけどそれはまあ、いい。個人の自由だ。
キャメロンにされた犬の気持ちは知らんが。
「いいのか? お前ントコのガッコー、喧嘩にうるせェんじゃなかったっけ?」
「教師達よりあいつらを黙らせる方がよっぽど早い。この前もうちの一年生がボコられてる」
「……違いねェ」
かくして、連合軍同士のケンカは始まった。
セッター&ピース連合軍VSタチション&イーペー連合軍。
……すでに地球外生命体同士の銀河戦争って観があるな。
俺の戦術は常に一つ。
相手の旗頭へ一直線、速攻で沈める。
そうすれば下っ端の不良どもはビビり、雪崩を打って逃げ出していくものだ。このやり方は、昔どこかであった海戦の戦術から学んだ。
地を蹴って江香目掛けて突進していく俺。
その他の雑魚には目もくれない。
「てっ、てめっ! かっ、風間――」
猛然と突っ込んでくる俺に気付いた江香は慌てているが――遅すぎる。
ぎりぎり間合いに踏み込むタイミングで、俺は初めて拳を固めた。
次の一歩、ほとんど駆け抜けていく一瞬でヤツの顔面を意識する。そうすれば、拳はあたかも遺志が宿ったかのようにして、勝手に相手の顔面を目掛けて飛んでいく。
ここでちょこまかと要らない小細工を弄してはいけない。
ケンカは常に一撃で決するつもりでなければ、こっちの身だって保たないのだ。だから、狙うのは顔面しかない。それも、渾身の一発のみ。土方さんとかいうどこかの集団の副長も言ったじゃないか。常に面の斬撃か突きを狙え、と。あと、薩摩の何とか流って剣術もな。
不意を衝かれた江香ごときに、俺の神速鉄拳を避ける術はない。
何しろ、放っている俺ですら――どの角度から撃ち込んでいるかなんてわかっちゃいないのだ。
「べっ――」
拳に変な感触があたると同時に、江香が奇声を発した。
構わず一気に駆け抜けた俺の背後で「どさっ」と地面を打つ音。
立ち止まって振り返り見れば、江香が地べたに転がっている。
あまりの衝撃で目眩でも起こしたのか、仰向けに寝たまま起き上がろうとしない。
「うわっ! え、江香さんっ!?」
自分らのリーダーが秒殺されたのを知って、案の定下っ端どもは動揺している。
「……ケンカ中によそ見してんじゃねェ。危ないぞ」
そこへ山田の剛拳がお見舞いされたからたまらない。
「ぼっ!」
「ぶっ!」
「がっ!」
言い忘れたが、山田の拳はでかくて硬い。これで一撃されれば、大抵の不良はピヨる。
しかもリーチが長いから、よほど注意してかわさなければ素直に一発もらってそれまでだ。
開始早々、江香はじめ四人を撃沈。
残り、六匹。ピースの連中ばかりだ。
山田はビビって立ちすくんでいるヤツらの方へつかつかと歩み寄っていくなり一人の胸ぐらをつかまえ
「風間ァ! 三田をやれェ、三田を! ほかは雑魚だけだ! 俺が片付ける!」
「あいよ」
なんとまあ、頼りになる味方だこと。
俺はジーパンを中途半端にだらしなく穿いた、威嚇的な長髪の男に一瞥をくれた。
ピースの中心格・三田。確か俺達と同じ二年生。
これも以前、撃退済み。いつだったかはもう思い出せないけど。
率直に言ってこれも江香と五十歩百歩なフニャチン野郎。江香が速攻でのめされたのを見て怯えたらしく、早くも背中を見せて逃げ出そうとしている。
「……おい、三田らし団子! 逃げんのか? だらしがねェ」
みたらし団子と三田をかけただけで、まったく意味はない。
ヤツはちらりと俺の方を振り返ったが
「お、オレは知らねェ! 江香さんに呼ばれたから、き、来ただけだって!」
――惚れ惚れとする逃げ足の速さで現場を離脱。
あーあ。あとで江香にシメられても知らんぞ。よりによって、先輩を見捨てて逃げるとは。
ボコるべき相手にとんずらされた俺は仕方なく山田に加勢しようとした。
その時だった。
「――うわぁ!」
「どわっ!」
俺の背後で超でかいフラッシュ、そして野郎どもの悲鳴が。
ハッとして振り返った俺の目に飛び込んできたのは――数メートルも先に吹っ飛ばされて転がっている山田、それにピース連中の姿だった。
ほんの数秒前まで彼等がいたと思われる、舗装されていない草むらの地面がごっそりと半球状に削り取られ、黒土が見えている。周辺の草は帯電したようにビリビリと発光を繰り返す。
キャンキャンキャン――
ただならぬ気配を察したのか、土手上のキャメロンがけたたましく咆えまくっている。
そして、陥没した部分の真ん中のあたり……白い衣装を身につけた何者かがうずくまっていた。
「……!?」
やがてゆらりとゾンビのように立ち上がったそいつは、年の頃は中年の男だった。口の周りのヒゲはぼうぼう、頬はげっそりとこけてしまっていて、死体のように顔色が悪い。
衣装の仕立てはどこぞの教会で神父の着ているそれに似てはいるが、似て非なるもの。上から下までワンピースで裾が引き摺るほどに長く、その上にマントのような肩掛けのようなものを羽織っている。RPGで例えるなら、プリーストとメイジの格好を足してどうにかしたようなデザインだ。ただ、あちこちが擦り切れてボロボロ。ほとんど、行き倒れの冒険者コスプレ。
男は呼吸が苦しいのか、肩をひどく上下させている。
やがて、身体全体でゆっくりと俺の方を向き
「……キャナを、キャナを、知っているのか? お前、キャナの気配がする……」
腹の底から搾り出すような恐ろしい声。
ってか、完全に目がイッてる。
瞳に光がなく、まるで催眠術にかけられたかのように視線が定まっていない。おまけに、クスリの常習者みたいに身体をがくがく震わせてるし。
咄嗟に俺は悟った。
こいつ――キャナを追ってきた刺客だ。
と、すれば、迂闊な返事をすれば命取りになりかねない。
魔界衆か魔界人かは知らないが、どのみち魔法を使える連中であることに変わりはないのだ。どうやらアブナイ人と化しているから、いつそれをぶっ放されないとも限らない。
「……」
はてさて、どう答えたものか。
俺は男の様子をうかがいながらも忙しく脳みそを回転させている。
が、その思案は無駄だった。
「……お前、キャナの気配がする。キャナ、処刑しなければならない……」
「……え?」
いきなり男が両腕を俺の方へと突き出した。
同時に、その手の平に白い光のタマが発生し、みるみる膨張していく。
あまりの眩さで男の姿が見えなくなるまで十秒もかからなかったように思われる。
男は両腕に念をこめつつ、舌を噛みそうな超早口で何事かの詠唱を始めていた。
「……あまねく大気の精、我が掌中に集いて一閃の刃となり、我が敵に向かってその威を示さん。我、汝に奉るは我が魂、我が生命、我が魔力……我が前に姿を現し給え、我が敵を滅せよ……」
ぶつぶつ言っているのがふと、途切れたかと思った途端
「――ハァッ!」
突然、一声を発した。
その掛け声に導かれるように光弾が男の掌中を離れ――いきなり俺を目掛けて一直線に迫ってきた!
次話掲載は来週になります。