その25 魔界突入1
とるものも取りあえず、俺は一度ボロアパートに戻った。
公園で待っているかと思ったが、来るというので、シュウが一緒についてきている。
「ほうほう! ここが孝四郎君の自宅かね……」
何がいいのか、しきりと感心したように頷き、見回している。
シミだらけの天井に、古びた壁。
そんなに見つめられたらホントに穴が開いちまうかもしんない。
「別に、フツーのボロ部屋だよ。変わったところなんて、ないと思うけど?」
加奈子ちゃんにもらったマフラーを外しながら、俺は言ってやった。
このマフラーだけは大事にしないといけない。
魔界で何があるかわかったモンじゃないし、失くしたりしたら大変だから置いていこう。
「孝四郎君」
畳の上にどっかと腰を下ろしながら、シュウが俺を呼んだ。
「あい?」
「……お茶、一杯もらえんだろうか?」
ぷつん。
「んな悠長なコト、やっとる場合かーっ! キャナが殺されちまったら、どーすんだよ!? そうでなくても、恥ずかしめられて晒し者にされてるって、言ったじゃねェか、アンタ! とっとと行くぞ! これから、今すぐ!」
「まあまあ、そうアツくなるなよ。キャナを封じている魔封陣はとてつもなく大きい。だから、その範囲には誰も近寄れないってこった。近寄ろうものなら、魔封陣にやられちまうからね。……それに、処刑までにはまだ時間がある。魔封陣を効かせているとはいっても、よほどの腕利きをそろえなきゃ魔女なんか殺せるものじゃあないんだ。だから魔界衆の奴ら、今頃大慌てで人選やってるだろうさ。――それよか」
オッサンにしかできない、人の良さそうな笑みを浮かべ
「今は、俺達こそ落ち着こうぜ。場合によっちゃ、キャナを助けるだけじゃ済まないからな」
「……何だよ、それ? どーいうイミだ?」
「言葉を尽くして説明しなくとも、すぐにわかるよ。それより、お茶を……」
なんつーオッサンだ。
いざとなると、ペースを丸ごともっていかれちまう。
……ま、いっか。
今はこのシュウを頼りにするほかないんだ。
思いなおした俺はやかんでお湯を沸かし、お茶を煎れてやった。
オプションにしけった醤油せんぺい付き。
「……あぁ。んまいなぁ。煎茶なんて、久しぶりに飲んだよ」
「それ、ほうじ茶なんだけど……」
煎茶とほうじ茶を間違えるヤツがあるか。
ん?
久しぶりに飲んだ、だと?
「オッサン、魔界に煎茶なんてあるのか? 今、久しぶりって……」
ツッこんでみると、シュウはもう一口美味そうにすすってから
「……そのうち、教えてやる。一つ言っておくけどな、魔界の生活様式だって、こっちの人間世界と結構似てるんだぞ。食い物だって家だって、習慣だって。それから」
言いかけて、ニヤリと笑った。
「……子孫の残し方もな」
んなもの、とっくの昔に知っとるわ。
子孫を残す方法=魂を分けてやる方法、だものな。
俺もお茶を飲みつつ、そのことを少し言うと
「あー……。そういう風に考えちまうのは仕方がないかも知れん。ただ、必ずしも同じではない」
シュウはもごもごと、そんなことを言った。
しけった煎餅をかじっているのだ。
「あ? それ、どーいう意味だよ?」
「男と女が身体を重ねれば自動的に魂が分割されるってモンじゃないんだよ。双方がその気にならなきゃ、エッチ……って、今の若い奴らは言うのか? ただの生殖行為でしかない。それが今回、孝四郎君とキャナは見事に魂を分かち合った。と、いうことはつまり」
んぐっ。
咀嚼していた煎餅を飲み下した。
「二人は、ちゃんと魂を共有するつもりだった。これが非常に重要なところで、さ」
二枚目に手を伸ばしてやがる。
よくこんなまずい煎餅を平気で食えるものだ。
「いや、失礼。ハラが減ってたんでね。……で、なんだ。そう、結論から言うが、魂を分け合うっていうのは、方法こそシンプルだが、実際はそうそう簡単なコトじゃない。どこの世界に、自分の命を削って他者に与えようなんて考えられるヤツがいると思う? 誰だって、最後は自分の命が惜しいものさ。それを、孝四郎君は敢えてやったワケだ。このことがのちのち、非常に大きな意味をもつ」
かじった二枚目がよほどしけっていたようで、固いはずの煎餅が濡れせんのようにしのっている。
そりゃまあ、二十日も前にカネ婆がくれたものだからな。
賞味期限なんぞとうの昔に切れているハズ。
シュウ、えらく腹を空かせているらしい。
彼はすごい形相で煎餅を噛みちぎりつつ
「……ずばり言う。私が知る限り、ここ数百年の魔界の歴史において、それをやった者はいない。いないだけに、その行為にはすごく重たい価値があるんだよ。キャナを助けるという目的においても、かつそれ以上に、魔界に変革をもたらすという一事においても」
「はあ。そうですか……」
不得要領に相槌を打った俺。
そんな風に最大級の賛辞を用いられたところで、俺にはその含みがよくわからない。
魔界の変革?
んなアホな。
俺とキャナがエッチしたくらいで、そったら仰々しいコトになってたまるか。
ただ、ここ数百年で魂を分け合った者がいないっていうのにはちょっと驚いた。
生き死にが日常茶飯事な魔界なら、それくらいのことはフツーに行われるものだと(勝手に)思っていたのだが、逆らしい。
いつ死んでもおかしくないだけに、自分の命を惜しむという理屈なのだろうか。
なんだか、キャナの口からは聞いたことのないハナシが幾つも飛び出してきた。
このシュウとかいうヒゲ面のオッサン、一体何者だ?
ブタのエサにもならないしけった煎餅を美味そうに食っている時点ですでにタダ者でないとは思っていたのだが。
なんだか、哀れになってきた。
ここは一つ、メシ代わりになんか作ってやった方がいいのだろうか。
「シュウ。いま、何か作るよ。だからその煎餅、もう必死に食わなくていいから」
「お? そっか、済まないなぁ。……いや、ここ十日以上ろくに食ってなかったものだから、えらく腹が減って仕方がなかったんだ。せめてお茶でも、と思ったんだが、孝四郎君が煎餅なんか出してくれたものだからつい、手が伸びちまった。それにしても、煎餅なんて懐かしいなぁ……」
ますます怪しい。
煎餅が懐かしいなんて、まるで日本で暮らしていたみたいな言い方じゃないか。
煎茶だってそうだ。
魔界に生まれ育ったヤツの口から普通、煎茶とかいう単語が出てくるだろうか。
そう思うと、何となくシュウの顔が日本人のそれに見えてきた。
レンズのでかいメガネとヒゲのせいで、顔そのものの原型はよくわからないんだけど。
「ちょっと待ってて。残り物しかないから何ができるかわからないケド、腹の足しにはなると思うから」
――十分後。
「うまい! これはうまい! いやぁ、こんなに美味いものを食ったのは何年ぶりだろう? 孝四郎君に出会えて、私はとても幸せだよ! 心の底から感謝する。ありがとう!」
「あー、まー……。そこまで盛大に感動しなくても……」
複雑な気持ちだよ。
今日は買い物をしてこなかったから、冷蔵庫にはろくなものがなかった。
辛うじて、長ネギが一本。戸棚の中にはけずり節。と、くれば、つくれるのはアレしかない。
そんなワケで俺は「ネギめし」を作って出したワケなんだけど。
シュウときたら、世界中の幸福を独占したみたいな顔をして喜んでいる。確かにまあ、ご飯ものだからすきっ腹に食えばそれなりに満たされる食い物ではある。
俺はわしわしとネギめしをかき込んでいるヤツを眺めていたが、ふと
「……オッサン。キャナが捕まっている魔界府って、魔界衆がわんさかいるんだよな? するってぇと、簡単に助け出してあっさり帰ってこれるってハナシじゃないんだろ?」
「あァ、救出は決して困難じゃないが、一筋縄ではいかん。それよりも問題は、キャナを助けたそのあとだ。――近所のお宅に回覧板渡して帰ってくるという具合にはいかんな」
なんだその例えは。
ってかシュウ、オッサン呼ばわりしたのにツッこんでこなかった。
ネギめしに感動しちまって、オッサン扱いのことなんかどうでもよくなっているようだ。
それはそれとして(やったことはないが)他校に殴りこみに行くような気合いと時間が必要になるってこった。もしかすると服とかボロボロになるかもしれないし、場合によってはケガをしてしまう可能性もある。
確かキャナが言っていたな。魔界はそんなに寒暖の差がないって。
万が一に備え俺は、ダメになってもいいシャツとジーパンに着替え、あと使っていないシーツを背中に隠し持った。これにはちょっとした目的があるんだけど、いざとなれば裂いてケガの手当てなんかにも使えるし。
ケータイとサイフは……置いていこう。
魔界じゃ電波も届かないだろうし、金だって使い道がない。銭形さんみたいに飛び道具にして投げても、魔法使い相手じゃ役に立たないよな。
魔界へ殴りこみに行く準備は万端。
……いや、待った。
炊飯ジャーの中には、まだコメが残っている。
俺もまた、もそもそとネギめしを食い始めた。
腹が減ってはなんとやら、だ。魔界に行って魔界衆とボコり合いが始まってしまえば、のんきにメシなんか食ってられない。食えるうちに食っておくのがケンカの……って、あれ? いつの間にか俺、また地が出てきちまった?
「シュウ、メイちゃんは大丈夫なのか? まさか、生死の境をさまよったりしてんじゃ――」
「メイちゃん? 誰だい、それは?」
「メイアのコトだよ」
「ああ、メイアなら心配ない。魂が安定しているから、回癒魔術でなんとかなるだろう。ただ、そういうコトだからこちらの戦力にはならない。事実上、魔界衆に立ち向かうのは私と孝四郎君、二人だけだ。よろしく頼むぜ?」
あーうー、俺達だけか……。
そこはかとない心配が。
まあ、とはいっても魔界衆の親玉を潰さなきゃならないとかいうミッションじゃないし。
目的はたった一つ。
俺が、キャナを封じている魔封陣の内側に飛び込みさえすれば――カタはつく。
彼女を解き放ち、完成したシュウの自然魔術を引き継ぐことができれば、あとはなんとかなる。
……らしい。
「さぁて、っと」
腹ごしらえを終えたシュウは、つまようじでしーはーやっていた。
やがてそれを放り出すと、ヒゲ面に不敵な笑みを浮かべた。
「孝四郎君の準備も整ったようだし、それじゃ一丁いくとするかい。……魔界の腐った根性、叩き直してやりに」
「オッサン……つまようじ、ゴミ箱に捨てろよな」
お目通しいただき、またお気に入り登録してくださった方、ありがとうございます。
オッサン、いかがでしたでしょうか(笑)。
次話11/1に掲載いたします。