その13 二人の魔女
俺達がボロアパートへ帰ってくると、すっかり陽は落ちていた。
もちろん例によってキャナが魔法を使って怪しげな乗り物を仕立てたのだが、
「……おい。誰がこんなモノを拾ってきていいと言った?」
「え? だってぇ、乗りやすそうだったしぃ……。それに、魔力のノリが良かったのよ、これ!」
「明日、ちゃんと返しておけよ! こんなモンなくなったって知れたら大騒ぎだぞ!」
メイアもいるから仕方がなく乗りはしたが、まかり間違っても空を飛ばしていいシロモノではあるまい。
学校を創立したなんたら権造さんの胸像。
よくわからないが、魔力が安定しやすいようだ。権造さんの何かが影響しているのか?
あれ?
台座から簡単に外れるのね。
メイアの怪我は大したことなかった。
あちこち小さなキズやアザができていたが、命に関わるようなことはなさそうだ。
それよりも彼女にとって大きなダメージとなったのは――犠魂陣の発動ベクトルをリバースされて自らの魔力を食われていたこと。正確には、そのタイミングで具現化した魔神に、だけど。
とはいえ、キャナの時みたいに魂丸ごと消失しているワケではない。
しばらく休めば回復するでしょう、というのがキャナの診断(?)だった。
とりあえず、脚の傷を手当てしてやるか。
俺はそう思い、押し入れから薬箱を探し出した。
で、振り返ってみれば――
「……キャナ? 何、してんの?」
「あぇ? だってこーちゃん、このコの手当てしてあげるんでしょ? だからぁ、こうした方がやりやすいかなぁ、って思って……」
言ったよ。
言ったが、俺は「全裸にしろ」と命じた覚えはないぞ……。
身につけていた制服を脱がされ、一糸まとわぬ姿で横たわっているメイア。
キャナを助けたトキは「一刻の猶予もない」ってカンジだったから介抱するのにテンパってたけど、今は気持ちに余裕があるから俺の煩悩も通常通りに機能中。
メイアのハダカ、キャナとはまた違ったエロさに満ち溢れている……!
その気になるまいと自分で自分の精神を呪縛しようと試みたが、フツーに無駄だった。
思わず視線を向けてしまったよ。
「ねぇこーちゃん。メイアったら、こーんなに胸がおっきいんだよぉ。何食べたらここまで大きくなるのかしらねぇ。ちょっと嫉妬しちゃうなぁ。……こーちゃんは、胸が大きい方がいいの? あたしも魔法でボインになれるかなぁ」
やめい。
指でつんつんやってんじゃねェ。
そいつは怪我人だ。
意識のない怪我人をハダカにひん剥いて乳繰るヤツがあるか。
まあ、確かにちょっとでかすぎなくらい豊かで張りがあって形状抜群、思わず揉んでしまいたくなるような見事なバストであることは認めるが……。揉まないけどさ。
こりゃあ、軽くF以上確定だな。
G級でも通用するかも知れない。
――ああっと、でかいチチに見とれている場合じゃなかった。
「……ほれ、アザんなってるトコにこれ貼っておいてやれよ。思いっきり締め上げたから、身体中痛々しいコトになってるじゃねェか。冷やしてやらないと、痕が残るぞ」
「ぶーっ! なにそれー! まるであたしがメイアをイジメたおしたみたいじゃなーい!」
イジメたおしたんだろーが。
いたぶられていた時のメイア、マジ悲鳴上げてたぞ。
とまあ、あれはあれで仕方がなかったんだけどな。
メイアの姿をしたメイアじゃなかったんだし。半分魔神に乗っ取られていたようなものだ。
キャナが守ってくれなかったら今ごろ俺、死亡フラグだった。
「誰もキャナが悪いなんて言ってないだろ。……んじゃ、手当てしてやっててくれ。俺、晩飯の支度をしなくちゃ。腹減ったし」
「わーい! 今日の晩ご飯はなーに?」
「ドタバタがあって買い物に行ってねェからなぁ……。昨日の煮物の残りと、野菜の切れっ端の炒めものってトコかな? ……あ! ネギがあったからそれでネギめしにしよう。しばらく食ってねェし」
そんな感じでキャナにメイアの介抱を託し、俺は晩メシの支度を開始。
冷蔵庫の中に残っていた野菜をざくざくやってからフライパンで炒めていると
「……あ、あれ? ここは、どこ? 私、どうして……?」
メイアの意識が戻ったらしい。
彼女は傍に座っているキャナの姿を発見すると
「キャナ……? どうして、ここに……?」
「どうしても何も、ぶっ倒れているアンタを担いで連れてきたのよ。アンタ、もしかしてずっと記憶がないの?」
「いや、記憶はあるのよ。でも、なんというか……私の意識は確かにあったんだけど、自分で自由に動くことができなかったの。もう一人の自分? みたいな意識が勝手に私の身体を動かしているようで――どうすることもできなかった」
「そんなこったろうと思った。魔界で別れて以来久しぶりに会ったけど、今日のメイアはまるでメイアじゃなかったもの」
キャナに沈黙がある。
彼女が再び口を開くまで、やや間があった。
明らかにためらいの空気。
本当のことを話したものかどうか、迷ったに違いなかった。
「……メイア、あんたは魔神に魂を飲み込まれる寸前だったのよ」
「え……? 魔神?」
「そう、魔神」
キャナは俺に説明してくれたように、犠魂陣が魔神を呼び覚ます引き金になるということを丁寧に語って聞かせたあと、メイアにこんな質問をした。
「一つだけ教えて欲しいのよ。――あんた、どうして犠魂陣に手を出したの?」
「それは……」
答えに詰まっているメイア。
回答を催促することをせず、キャナはひたすら彼女が何か言い出すのを待っている。
狭いボロアパートの一室に流れる、変な重苦しさ。
フライパンの中で炒められている野菜の、ジュージューという音だけがはっきりと聞こえてくる。
俺は黙って、思い出したようにフライパンを揺する作業に専念している。
「……どんな術者にも劣らない、強い魔力を手に入れたかったの、私」
しばらくして、メイアがおもむろに言葉を発した。
わかりすぎるほどわかりやすいくらい、キャナの想定通り。
子供がおもちゃを欲しがって人目をはばかることなく泣きわめくように、メイアはあと先のどういうことも考えず犠魂陣という悪魔の手段を選んでしまった。
禁忌に手を出したというのは、そういうコトだ。
「禁忌だっていうのはもちろん知っていたし、他者の魂を奪うことに抵抗がなかったワケじゃないの。だけど、使わずにいられなかった。魔界府に行くって自分から希望したのは、そこにいる優れた術者達を犠牲にすればそれだけ強い魔力が得られると思ったから。どうしてそこまでして強い魔力が欲しくなったのか、それは自分でもよくわからないんだけど、今になって思うのは――」
いかにも悲しそうな声で、メイアはぽつりと言った。
「結局、キャナのことが羨ましかったのよね、私……」
心が間違った方向に曲がってしまうっていうのは、得てしてそういうコトなのだろう。
ものすごく重大なんじゃなくて、ごくごく簡単な理由。ちょっとした感情レベル、みたいな。
だから、誰でもそうなる可能性をもっている。
だったら心を真っ直ぐに保ち続けるためにはどうしたらいいのか。
「もう、いいわ。あんたが魔神を呼び覚ましてしまったコトを、あたしは今さらどうこう言うつもりはない。ただ、メイアがメイアじゃなくなってしまった理由を知りたかっただけ。――怖いものね、嫉妬って。ただそんな心の働きがあっただけで、あたしもあんたも死にかけたんだし、ついでに伝説の化け物まで呼んでしまったんだから。でも今、あたしはあんたを恨んでないわ」
「どうして?」
「こーちゃんっていう、人間と出会うことができたから。こーちゃんのおかげであたしはあんたに対抗する術を身につけられた。魔界にいた時よりもあたし、成長できている。もうちょっと頑張れば、きっと魔神とだってやり合えるわ」
「……」
まったくもって簡潔に、キャナが語ってくれた。
そう。
独りぼっちにならないこと。
誰かをうらやんだりするのではなく「自分は自分」だって、強い気持ちをもつこと。
例えばそれは、森と同じだ。
木が一本だけで立っていると、強い風が吹いたりすれば倒れてしまう。
かといって、一本一本の幹がしっかりしていないと、周囲の木が曲がったり倒れたりしたら、一緒になって曲がったり倒れてしまう。
今の俺、別に立派でもないし優れてもいない。
だけどこうやって生きていられるのは、おじさんやおばさん、エクスカリバーやエロスケベ(こいつは多少疑問が残るけど)、肉屋のおばちゃんとかカネ婆、そしてキャナ、みんなに支えられているからだ。独りだったら俺、どうなっていたかわからない。
そういう意味の何事かを、キャナはメイアに伝えたかったのだろう。
二人のやり取りを、背中で聞いている俺。
魔女同士の突っ込んだ話は一区切りしたらしい。
キャナとメイア、二人の関係に関わる中身だから、敢えて立ち入らないようにしたのだ。
彼女達が元の鞘に納まるために、俺ができることはたった一つ。
俺は三人分の食器をトレイに乗せてくるりと振り返り
「うぉい! まずは一緒にメシでも食おうぜ。顔突き合わせてメシ食えば、心の距離も近づくってモンだぜ?」
「あ……!」
メイアは自分が素っ裸だったことに気が付いたらしい。
がばっと跳ね起きるなり、慌てて手で胸と下を隠した。
その恥じらいようが可愛くもあり、それ以上にエロすぎだ……。
が、傍にいるキャナは事も無げに
「こーちゃんはねぇ、あたしにタマシイ半分くれたのよぉ。だからぁ、あたしはこーちゃんのものでぇ、こーちゃんはあたしのものなの!」
「え……? ってことは、キャナ、あの人と……」
「そーそー、あたしとこーちゃん、一つになったんだもん。だからメイア、ハダカ見られたって、どうってコトないない! 安心しなよ」
むふふ、と笑みをもらした。
いや……俺としては大いにどうってコトあるんですけどね……。
ちょっとでも(股間に)その気配を見せようものならキャナにチョン切られかねないから、必死に堪えておるのだが――。
「そう……。そうだったんだよね……」
恥ずかしそうに俯いていたメイアだったが、やがて表情を緩め
「やっぱり、ちょっと羨ましいかも……」
そっか。
そのでかい胸の内側には――ぽっかりと大きな穴が空いてたんだな。
嫉妬は孤独を生み、孤独は心を侵食する。
だけど、悲観するこたないんだ。
どんなに深くて大きくたって、埋められない心の穴はないから。