その12 格の違い4
……魔神だとォ!?
遠い昔、忽然と現れて魔界を滅亡させかかったという、あの伝説の魔物のこと!?
「そう。あたしのハナシ、ちゃんと覚えていてくれたのね。――あたしが知る限り、過去の古い時代、犠魂陣が編み出されたのと時をほぼ同じくして、魔神が出現している。ヤツと戦うために古代魔術が編み出されたっていうハナシもしてあげたと思うけど、古代魔術の発動に必要な『自己犠牲』っていう魂の働きを、魔神は嫌ったハズなの。当然よね、魔神なんてのは、他者の魂を食い物にする極端な自己愛のカタマリみたいなものだもの。……メイアのヤツ、厄介なコトを仕出かしてくれたものだわ」
いつになく真剣な顔で語るキャナ。
そんな彼女の横顔を見ている俺は、相当ヤバい事態になりつつあるのだということを、あらためて知った。
「じゃあさ、メイアはわざと魔神を甦らせようとして犠魂陣を使ったっていうのか?」
「いんや、そうじゃないような気がする」
キャナはかぶりを振り
「あのバカ女は、単に強大な魔力を手に入れたかっただけでしょ。ってか、まさか魔神を呼び起こすきっかけになるなんて、夢にも思わなかったんじゃないかしら? 犠魂陣が想像以上の効果を発揮するってわかったから、自分に具わっている以上の魔力が得られるのが嬉しくて、ポンポン使ってしまった。……ただし、副作用として犠魂陣は術者の魂を歪めてしまう。それであいつ、精神が狂ってたんだと思うの」
話している間にも、空中の黒い塊はどんどん大きくなっていく。
すでに、熱気球のバルーンくらいはあるかも知れない。
このままだとどこまででかくなるのかわかったモンじゃない。
「キャナ、アレ、どうにもならないのか?」
聡明なキャナなら何か打つ手を知っているかもしれないと思って訊いてみたのだが、彼女は黒い物体を見上げたまま事も無げに
「ムリ。あんなに禍々しい力の集合体なんて、百年以上生きてて今まで見たこともない。さすが、大勢の魔界人の恨みとか憎しみを寄せ集めただけのことはあるわね。ビビるとかヤバいとか通り越して、見事としか言いようがないわ……」
仕方なさそうに笑っている。
おいおいおい……。
さすがのおねーさまといえども、打つ手なしかよ。
ホントにまあ、今日は朝からとんでもない日だよ。ラスボス日和だ。
魔界府を潰滅させキャナを追い詰めた元凶のメイアが突然姿を現し、俺達は一度やられそうになった。
で、奇跡の逆転劇を演じたと思ったら、今度はさらにヤバさ百二十パーセントの化け物ときた。
……待てよ。
俺はふと、肝心なところに気がついてしまった。
魔族でも魔界人でも相手にならないような化け物が人間の世界に解き放たれたら、マジでシャレにならないんじゃないか!? それって無難に世界滅亡だろ!? 環境破壊おとといきやがれじゃねぇ?
――みたいなことを、泡食って訴えた俺。
するとキャナは
「本当かどうかはわからないけど、ヤツは他者の魔力を食って進化するらしいのよね。そうすると、人間の世界では生き延びることができないから、魔界へ転移しようとするんじゃないかしら? 今のあたしじゃ太刀打ちなんかできそうもないから、大人しくそうしてくれれば助かるんだけど……」
「大人しく転移してくれなかったら?」
「……その時は、二人で一緒に死にましょ?」
勘弁してくれ。
美女と抱き合い心中も悪かないが、この歳でそれやるには早すぎる。せめてあと十年は生きたい。
為す術もない俺は、成り行きを呆然と見守っているしかなかった。
と、メイアの身体から放出されていた黒い煙がふっつりと途絶えた。
黒いカタマリはそれから少しの間、勝手にもごもごとうごめていた。
まるで内側に潜んでいる何者かが表面を押しているようで、気持ち悪いったらない。このまま空気の抜けた風船よろしく宇宙まで飛んでってくれんかなーと、都合のいい事を考えていた俺。
――が、次の瞬間。
ヤツの周囲で空気がピシッ、と大きく震えるなり、突然猛烈な勢いでエネルギーを放出し始めたのだ。
その凄まじさたるや、風速ン十メートルの突風並み!
「ぶわっ!」
「きゃん!」
急いで床に伏せて堪えようとしたが、おっつくものじゃない。
近くにつかまれるような出っ張りも何もないのだ。
「……おわっ!」
たちまち、悪意のような風の流れに身体をさらわれてしまった。
ほとんど紙きれのように吹っ飛ばされた俺は、目の前に迫り来る鉄柵に気がついた。
そこを越えてしまえば――屋上から落っこちるしかない。
「くっ……そぉっ!」
無我夢中で腕を伸ばし、必死の思いで鉄柵をつかんだ。
幸い、手が届いてくれた。
屋上から転落死は免れたものの、なおも嵐のような突風は止まない。
人間鯉のぼり状態な俺。
鯉のぼりの気持ちがわかったような気もするが……今はそれどころじゃない。
大気の刃に顔や身体をぶたれながらも、懸命に堪えた。
手を離せば命がないのだ。
「くっ……この……!」
ふと、渦巻く黒い風の向こう側で、不気味に伸縮を繰り返している魔神――なりそこないだが――の様子が目に飛び込んできた。
もはや、異形の悪魔だ。
意思を持っているかのように球体がぐねぐねとうごめき、全体にバチバチと放電のようなスパークが散っている。
俺は咄嗟にアニメのワンシーンを思い出していた。
時空を飛び越えるべく、エネルギーを蓄積しているタイムマシーン。
どこか、それに似ていた。
そんな状態が続き、すうっと収束したと思われた途端。
ボムッ――
ひときわ大きな爆風が巻き起こった。
屋上は黒い煙とも霧ともつかない気体に覆われてしまっている。
「どわあっ!」
一段と強烈なプレッシャーに包み込まれた。
こうなると、腕の力だけでは支えきれない。
ついに俺は鉄柵を放してしまった。
身体全体にふっと浮くような感覚があったのも束の間、すぐに俺は下向きの重力に引っ張られることになる。
「……う、うわあっ!」
ちらりと、前庭のアスファルトが眼下に見えた。
それが3Dのように見る見る迫り来る。
俺、墜落死!?
――と、思った時だった。
「……こーちゃん、キャーッチ!」
急に、下から何かが俺の身体をふわりと受け止めた。
キャナ。
彼女が墜落しかけた俺の下に回りこみ、逆お姫様抱っこをしてくれていたのだ。
「キャ、キャナ!?」
「あっぶなかったぁ! あと一瞬遅れてたら、間に合わなかったよぉ! いくら魔女だっていっても、単独で空を飛ぶのは楽じゃないのよね。浮遊するための魔力を固定する何かがないと、ね」
笑みを見せてはいるが、よほど焦ったらしい。
動揺がかなり顔に出ている。
言われてみれば、テーブルとか古タイヤとかゴミバケツに乗っかっていない。
彼女が自力で宙に浮いているのは、これが初めてだった。
「す、すまねェな。俺、この前から助けてもらってばっかで……」
「そんなコトないない! あたし、いっつもこーちゃんにごはん作ってもらってるもーん!」
見栄を張ってみんなには黙っていたが、軽く高所恐怖症の俺。
なるべく下の方を見ないようにしながら、キャナにつかまっていた。
というか、ほとんどコアラのようにがっちり抱きついている。
みっともないったらないのだが……それでも高い所はキライだ!
「魔神、消えたのか……?」
「まだね。でも、消えようとしているみたい。ちょっとラッキーかな」
屋上に目をやれば、確かに黒い大きな影はまだそこにいた。
SL的に全体から「シューッ」と煙を撒き散らしつつ、軽く上下に揺れている。
が、ほどなくトドメの爆発(ではないだろうが、そういう風にしか見えないのだ)。
またも周囲に烈風の嵐を巻き起こしながら、瞬く間に小さく縮んで消えてしまった。
その光景を、浮遊したまま呆然と眺めている俺、そしてキャナ。
ひとまず人類世界の脅威は去ってくれたのだ、と思いかけたその時だった。
「……キャナ! あれ、あれ!」
俺は見逃さなかった。
メイアの華奢な身体が爆風で跳ね飛ばされ、宙を舞っている!
しかし彼女は、どういうアクションもとろうとしない。力なく煽られた勢いのまま空中を流れていくだけ。
意識を失っているらしい。
このままいけば数秒経たずして彼女は頭から地面に落下して――死ぬ。
「キャナ!」
「はいさ! つっても、ちょーっち、キツいケド……」
彼女が早口で何事か詠唱した途端。
俺の目の前の景色が、スライドを入れ替えたようにしていきなり変化していた。
俺を抱えたままで転移魔術を使った!?
が、いちいちそれに戸惑っている余裕なんかない。
「こーちゃん! あとお願い!」
「お? ……おォ!」
意外にもメイアは、ゆっくりとした速度で俺達の上に落ちてきた。
キャナは転移と時流緩解、二つの魔法を同時に発動させたのだ。さすがはおねーさま。
だから、紙風船をキャッチするユルさで、メイアの身体を受け止めることができた。
俺達は、三階と二階の間あたりの高度で空中に浮いている。
キャナが俺を抱っこし、その俺がメイアを抱きとめているという、かなりムリのある体勢。
さっきからどうもキャナがテンパり気味だなとは思っていたのだが、メイアの救出に成功するなり案の定、
「あ、あのね、こーちゃん」
「ん?」
「そろそろ……あたし、限界……」
「え……?」
ずりっ、ずりっと段階的に落下していってる!
「欲を、いえば……あたしの、代わりに、着地して……くれると……嬉しい、かも……」
「わ、わーった! だから、落ちるな! 堪えろ!」
「あ、あたし、女だもん……。こーちゃんみたいに、チカラ、ない……のよ……」
俺はメイアの身体を担ぎつつ、キャナと水平に抱き合うような姿勢をとろうとした。
そうすれば、何とか足から着地できると考えたのだ。
その間高度はぐんぐん下がり、あとほんの数メートルで地面に降り立てるというところまでやってきた。
「キャナ、耐えろ! もうちょいだ!」
「う、うん。……あのね、こーちゃん」
「なんだ!?」
「――子供、産む時みたいな、励まし方、するのね?」
……フィニッシュってトコで、何を言いやがる!
キャナの吐いた一言に集中力を根こそぎ持っていかれた俺は全身から力が抜け、思わず彼女につかまっていた片手を外してしまった。
もう片方の腕には、メイアを担いでいる。
魔力の影響による浮力を得ていない俺に、彼女の物理的な重さ×重力を支える術などあるワケがない。
結果は――ニュートンさんの発見した法則通り。
「……でえっ!」
「あぇ? こーちゃん、だいじょうぶ?」
一人、ゆっくりと降りてきて着地したキャナ。
その傍ら、胎児のように身体を丸めてぐったりしているメイア、そして彼女の下には――
「……大事なトコでヘンな発言をするな。打ち所が悪けりゃ死ぬトコだったぞ」
大の字に倒れこんでいる俺がいる。
もう、体内にはどういうエネルギーも残っちゃいない。
アスファルトの上に頭をつけて暮色に染まった空をぼんやり見上げていると、キャナがひょいと俺の顔を覗き込んできた。
「あたし、なんかヘンなコト言ったっけ? 子供は二人欲しいって言ったケド」
「……ほざけ」
それからしばらく、俺達は校庭の脇にある芝生の上で転がっていた。
すぐに帰ろうにも、キャナもまた魔力と体力を消耗していてすぐに魔法を使える状態じゃなかったからだ。
メイアは気を失ったまま、目を覚まさない。
そんな彼女を、優しく膝枕してやっているキャナ。
屋上ではぶっ殺さんばかりのボルテージで激怒していたからどうなるのかと思ったが、墜落するところを助けてやってからこっち、意外にも手荒な真似をすることはなかった。
俺にはその理由が何となくわかっていたが、あえて訊いてみたい衝動がある。
「……これで、よかったのか? 俺達結局、メイアを助けちまったけど」
すっかり乱れてしまっているメイアのロングヘアをそっとすいてやりながら、キャナは
「……魔神はね、恐らくメイアの肉体を乗っ取るつもりだったのよ。だけど、あたしがメイアの肉体をさんざん虐めて彼女が耐えられなくなったものだから、魔神は諦めて彼女の魂から抜け出した。そーいうワケだから、助けたくて助けたというよりも、成り行きで助かってしまったという方が正しいかもね」
視線がメイアの相貌に注がれている。
真っ赤な夕陽を浴びたキャナのすらりとした横顔。
今はもう、おぞましい魔女の影はどこにもない。
むしろ――女神か天女のような神々しさ、そして美しさがある。
「……結果オーライっちゃそうなんだけど、メイアには感謝して欲しいわね。魔神に取り込まれる前に助けてあげたんだからさ」
そう言ってキャナは疲れ切った顔で可笑しそうに笑って見せた。
……ホントかね?
俺、ちょっとだけ疑っている。
実をいえば、メイアの魂から魔神が逃げ出したのは、キャナが狙ってやったことなんじゃないかっていう気がしていた。
確かにメイアはキャナを裏切り、酷い目に遭わせた張本人。
本来なら復讐されてもおかしくはない。キャナ自身、それを心に思った瞬間もあるだろう。
だけど彼女には、メイアみたいなお嬢ちゃんが到底及びもしないすごいものがあった。
一言でいえば、境地。
恨みも憎しみも友情も愛情もみんなまとめて飲み込んで超越した、そいつのでかさってコト。
今の彼女の姿を見ていたら、そんな気がする。
本当に殺してやろうとしていたのなら――傷ついて倒れているメイアを優しく撫でてやったりなんてしないんじゃないだろうか。
それに、キャナは犠魂陣と魔神の本質を見抜いていた。
メイアが犠魂陣の魔性に取り付かれている――魔神に――ってことがわかっていればこそ、なおさら彼女を殺せるハズがない。
屋上で魔神が正体を見せ始めた時、キャナはこう口にした。
副作用として犠魂陣は術者の魂を歪めてしまう。それであいつ、精神が狂ってたんだと思うの――。
間違いないよな。
いつかやってくるメイアとの対決のために彼女は真剣に工夫を重ね、そして成功した。
そのことは結果として、メイアを助けることにもつながった。
いってみれば、それはキャナとメイアの「格の違い」だ。
強いヤツは自分なりに一生懸命努力する。
強くなれないヤツは、自分以外の何かに力を求める。
あらためて思うけど、キャナって――すげェんだよな。
いっつも下着姿で食っちゃ寝してる姿しか見てないが、やるときゃやるモンだ。
メイア、本当は彼女に嫉妬したりしてたんじゃないだろうか。
何の根拠もないが、ふとそんな気がした。
「犠魂陣ってさ、誰でも使った奴は魔神を呼び起こしてしまうのか?」
「どれだけの魂を犠牲にしたかにもよると思うケド、大筋ではそうね。他者の魂を取り込むということは、その人自体を取り込むことにも近いのよ。魔力は使ってしまえばなくなるけど、魂に含まれている念はその術者の中に残留する。犠魂陣が禁忌と言われている一番大きな理由はそれよ。魔力生成の犠牲にされた者の無念や憎しみをずっと背負って生きていけるほど強いヤツなんかいやしない。……だから、溜まりに溜まった念の強さに耐え切れなくなった術者の魂や精神が逆に飲みこまれて、そこから魔神が生まれる」
なるほど。
それは人間にも同じことがいえそうだ。
誰かを踏んづけて自分がのし上がろうと企むヤツは、最後にみんな自滅していく。
そういう意味のことを伝えると、キャナはちょっと笑って
「ま、良くも悪くも、魂ってのはお互いに影響されあって存在するっていうことかしらね。前に言ったでしょ? あたしはこーちゃんで、こーちゃんはあたし。つまりはそーいうコト。――そういやあたし、何だかこーちゃんに似てきたような気がする」
「どのへんがだ?」
何気なく尋ねてみたのだが、彼女は即答しなかった。
言葉を選ぶようにしてしばらく考えていたが
「……あの時、メイアに腹が立って勢いで『殺す』とか言ったケド、あれが本音だったかどうか、自分でもよくわからないのよ。いきなり魔神の仮想体が現れたからうやむやになっちゃったけどさ。仮に魔神がメイアから出てこなかったとして、もしかしたら、それでもあたし」
そうしてキャナが口にした言葉は、俺の想像の正しさをまったくもって簡潔に象徴していたのだった。
「――ホントは、殺せなかったかも知れない」
次話掲載は10/12の予定です。
よい三連休を。