「あんたは弱い」と幼馴染三人に勇者パーティーの雑用係を任された俺、成人の儀式で《英雄》になったので一人で旅に出ます
「セツナも嬉しいよね? 私達、やっと冒険に行けるのよ」
ミーティアが笑いながら、お茶の準備をしている俺に言った。視線は下を向いたままだった。俺を見てもいない。
成人の儀式まで、あと一週間。
神官様の屋敷では、旅立ちを控えた候補生達がテーブルで地図を囲んでいた。
勝ち気なメル、無口なエーリ、優しいミーティア。そして、勇者候補のクロード。
俺は四人分のお茶を置いた。自分の席はない。
「ああ。楽しみだな」
嘘ではなかった。
三人が、どれだけこの日を待っていたか知っている。
メルが地図の街道を指す。
「最初は南へ行きたいわ。港町なら、依頼も沢山あるでしょう?」
「海ね! 私、ずっと見てみたかったの!」
ミーティアが声を弾ませ、エーリも頷いた。
配膳を終えた俺は、部屋の隅に立って彼女達の会話を聞いていた。
ミーティアが俺に話しかけたのは、ただの気まぐれだ。
俺達はもう……対等じゃない。
俺も、そこへ行きたかった――。
潮の匂いは本当にするのか。魚は川のものと味が違うのか。
四人で確かめようと、何度も話していたから。
クロードがカップを指した。
「セツナ。悪いけど、ハーブティーに変えてくれないか? それに、簡単な菓子もほしいな」
「……ああ、待っててくれ」
俺は部屋を出た。誰も俺を見ていない。
背後で、三人の笑い声が聞こえた。
昔から知っている声だった。
俺が隣にいなくても、同じように笑うんだ。
俺はそれを知っている。
少しずつ変わり始めて、三年。特にこの一年は、ずっとそうだったからだ。
***
俺の初恋の女の子、メル。
メルと初めて会った頃、孤児の俺には帰る家がなかった。
冒険者ギルドで荷物を運び、採集の手伝いをして、裏の物置で眠る。銅貨をもらえれば、その日の飯は食えた。
旅の途中で親とはぐれたメルを見つけたのも、荷運びの帰りだった。
道端で泣いていた少女は、声をかけると俺を睨んだ。
「あんた誰よ! 知らない人には、ついていかないわよ」
勝ち気なメルの身体は少しだけ震えていた。きっと不安だったんだろう。
「このあたりは魔物が出るから危ない。ほら、立って。一緒に街まで戻ろう」
「……ふ、ふんっ、案内してくれるならいいわよ!」
メルは立ち上がり、俺の手を取った。
魔物の足跡があったから、途中で道を変えなければならなかった。
夜は岩陰で過ごした。
その間、メルはずっと俺の手を握っていた。きっと怖かったんだ。そのことを指摘しても仕方ない。
「べ、別に怖いわけじゃないわよ! ちょっと寒いだけよ。……あ、あんた名前は?」
「俺はセツナ」
「ふーん、まあ顔は及第点ね。ていうか、あんた、私と同い年くらいなのに、なんでそんなに色々知ってるのよ。ずるいわよ」
「……まあ、色々あったからな」
俺の食料を分けて、雨が入り込まない場所に座らせる。
「あんたは、寒くないの?」
外套をかけられたメルが聞いた。
「慣れてる」
本当は寒かった。
そんなことを考えていたら、温かさを感じた。メルが俺に抱きついていた。
「べ、別にあんたのためじゃないからね。勘違いしないで」
翌朝、魔物を追い払った際に腕を引っかかれた。
いつもなら簡単に処理できる魔物だった。人を守りながら戦うのが、こんなにも難しいとは思わなかった。
そして――。
捜索に来た父親を見つけた時、メルは走らず、俺の腕を引いて一緒に歩いた。
「お父様、この子の怪我を治して! 私を守ってくれたの!」
その人が、神官様だった。
代々、勇者や賢者になる素質を持った子供達を見つけ、育てる家の当主。
王国の勇者や賢者を育ててきた、偉い人だと後で知った。
治療を終えた俺に、神官様は帰る場所を尋ねた。
「ギルドの物置です。勝手に泊めてもらっているだけですけど」
「そうか。……うちで働かないか?」
仕事だけではなく、読み書きや剣、魔法も教えてくれるという。
「娘を守ってくれた礼だ。働いた分の給金も出す。お前自身のために使いなさい」
「やった! セツナが来てくれるのね! ……べ、別に喜んでないわよ。ほ、ほら、一緒に行くわよ」
メルが俺の手を取った。
その仕草がとても愛らしくて……俺は、よくわからない気持ちになった。
それがきっと、初恋だったんだ。
***
屋敷には、メルのほかにエーリとミーティアがいた。
メルとは剣を交えた。
「セツナッ、行くわよ!」
エーリが新しい魔法を覚えれば、一緒に試した。
「……セツナ、これ試す。……ん、大丈夫、怖くない」
ミーティアとは本を読み合い、お互いの感想を言い合った。
「あら、セツナ様。ふふっ、これは大人の恋愛小説です。セツナ様には少し早いですよ」
俺が字を読み間違えると、三人が教えてくれた。
靴が小さくなった時、俺より先に気づいたのはミーティアだった。
世話をしていただけではない。
俺も、沢山もらっていた。
三人には、特別なジョブの兆しがあった。
メルは剣聖。エーリは賢者。ミーティアは聖女。
だが、俺には――何度調べても、何の兆しもなかった。
だから、人より出来ることを増やそうと思った。
限りある時間を余すことなく、自分を高めるために使った。
朝は誰より早く起きて剣を振った。
昼は仕事を手伝い、空いた時間にギルドへ行った。剣士、魔法使いを問わず、冒険者に頼み込み、稽古をつけてもらった。
夜は魔法書を借りて読みふけった。
初めは、俺の魔力では使えない魔法ばかりだった。それでも、一つくらい出来るものがあるかもしれないと思って読んだ。
何度も何度も倒れた。
それでも俺は努力を止めなかった。少しずつ、自分が強くなっていく感覚があった。
『努力と自殺を一緒にするな』
神官様には、本気で叱られた。
だから、休み方も覚えた。怪我をした身体で同じことを繰り返すのではなく、その時間は本を読み、足りなかったものを考えた。
『……セツナ。強くなりたいなら、俺が良い場所を教えてやる。お前なら、その資格があるだろうよ。まあ、強くなってもひけらかすなよ』
ギルドで知り合った剣士。
後になって東の国の勇者だと知ったけど、その時はまだ知らなかった。
教えてもらったのは、外の時間がほとんど進まない修練場だった。
そこには、とんでもない化物がいた。
初めは一撃も届かなかった。剣が折れ、魔法を潰された。
それでも、何度も通った。初級魔法を組み合わせて、初めて一撃を通せた時の事は、今でも覚えている。
そこまでしたのは――三人と同じ場所を歩けるくらいには、強くなりたかったから。
『私達が仲間にするんだから、ジョブなんて関係ないわよ!』
最初の実地訓練の朝、三人は俺に外套をくれた。
丈夫な布に、四つの小さな星が縫われていた。
内側には、不揃いな文字で俺の名前もある。
『今度は、セツナが寒くないようにしないとね。な、なによ。笑ってんじゃないわよ』
メルが照れくさそうに言った。
『成人の儀式が終わったら、四人で冒険するわよ! あんたと私達、四人揃えば最強なんだから!』
俺は頷いた。
海を見たかった。知らない街で、四人で同じテーブルを囲みたかった。
初めて受ける依頼書に、四人の名前を書いてみたかった。
その日のために、少しずつ金も貯めていた。
***
クロードが屋敷に来たのは、三年ほど前だ。
勇者になる適性があるという少年。
剣も魔法も優秀だった。俺が時間をかけて出来るようになったことを、一度でやってしまう天才だ。
正直、驚いた。
でも、嫌いにはならなかった。三人と一緒に旅をするなら、頼もしい仲間になると思ったから。
ところが、クロードはいつも、俺の役目を先に決めた。
「セツナは裏方に向いているな。適材適所だよ。下がってろ」
エーリも頷いた。
「ん、そう思う。……セツナ、下がってて」
三人と稽古をする機会は、次第に減っていった。
俺の訓練場所は、ギルドや修練場が中心になった。
新しく出来るようになった事を話そうとしても、三人はクロードの話に夢中だった。
神官様が俺の上達を話してくれても、メルは「お父様はセツナに甘いから」と笑った。
特別なジョブの適性は、今もない。
でも、何もしていないわけではなかった。
三人の足を引っ張らないように、俺なりに積み重ねてきた。
一緒に行きたいと思っていた。
意識が現実へと戻る。
お茶の片づけに戻った部屋には、もう誰もいなかった。
壁にかけられた外套を見る。
何度も繕った布に、四つの星が残っている。
「……もう戻れないのだろうか」
儀式の日に、ちゃんと話そう。
俺の最初の依頼書は、まだ白紙のままだった。
***
神官様がジョブを授ける、成人の儀式。
その三日前、俺達は最後の実地訓練へ出た。
俺は四人の後ろをついていくだけだった。
三年前から徐々に変わっていった俺達の関係。
いつの間にか、俺は仲間の輪から外れていた。
三人はクロードを囲んでいた。
彼に向ける視線が熱を帯びているのも、知っている。
訓練の帰り道、森の奥から悲鳴が聞こえた。
低位冒険者達が、ゴブリンの群れに追われていた。
クロードが剣を抜き、三人が続く。正面の魔物は、すぐに倒された。
クロードは元から強い。この三年で、さらに強くなった。
でも、草むらの向こうから、まだ声が聞こえる。
ゴブリンは群れをなす。それにしても、この数は異常だった。
助けられた冒険者の一人が、森を指した。
「あ、あっちに二人、残ってる。足を怪我してるんだ! た、助けて……」
俺が戻ろうとすると、クロードが腕を掴んだ。
「そっちはもう手遅れだ。別の群れが回り込んでる」
「いや、まだ間に合う。だから――」
「全員を危険に晒す気か? まず、助けた人達を連れて戻るぞ」
メルが俺を見る。
「セツナ。今はクロードの指示に従ってっ! あんたは弱いのよ!」
メルの瞳からは、苛立ちしか感じられなかった。
だが、今はそんな感傷に浸っている場合じゃない。
俺は全部無視して走り出した。
後ろから罵声が聞こえてきたとしても――。
本気で森の中を疾走する。
大勢のゴブリンに囲まれている冒険者達。
その向こうにいるのは、ゴブリンキングだった。
下級魔法を構築する。
氷の力が魔物の足元を覆い、あたり一面を銀世界へと変えた。
そして、ゴブリンキングの身体が粉々になる。
冒険者達が唖然とした顔をしていた。
……でも、これで安心してはいられない。
「立てるか?」
「足が……それに、こいつの方が……」
冒険者の腹には、汚いナイフが刺さっていた。
俺はナイフを引き抜き、すぐに下級回復魔法をかけた。
傷口が塞がる。
傷を負った冒険者は、自分の腹を確かめながら俺を見た。
「も、もしや、君はセツナ? あのギルドで有名な……」
俺は、自分が有名だなんて知らない。
もう一人の足にも回復魔法をかけ、街道の方を指した。
「とにかく、ここから逃げて。俺はゴブリンを一掃する」
二人は頷き、この場を離れた。ゴブリンキングなんて比較ならない強い気配を感じた。厄災の匂い。
そして、俺は対峙した。
ゴブリンの帝王と――。
***
全てを終えてメル達のところへ戻った俺は、クロードから罵声を浴びせられた。
「ただの荷物持ちが勝手な行動をするな! 俺はこのパーティーのリーダーだ。俺の指示を聞かないバカは――」
激昂するクロードを、メルが止めた。
まるで、クロードを抱きしめるように。
俺はその姿を見ても、もう驚かなかった。
「クロード、落ち着いて。……セツナ、あんたね、あんたのせいで大変だったのよ。残りのゴブリンも出てきて」
昔から強い口調だったメル。
それでも愛情を感じられた。だが、今のメルの口調は……ただの叱責にしか聞こえなかった。
メルが俺の腕を見た。
帝王との戦いで傷を負った。
こんな体たらくじゃ、あの剣士にまた笑われてしまう。
メルの顔が曇り、俺に近づこうとした時、クロードが自分の手首を押さえた。
「俺も少し無理をしたからな……」
メルの足が止まる。
「クロードだって怪我をしているのよ! 早く帰るわよ。ミーティア、クロードの治療をしてちょうだい。その後にセツナの――」
俺は首を振った。
これ以上、迷惑をかけたくなかった。
残った魔力を集め、自分の腕に回復魔法をかける。
帝王との戦いで、魔力はほとんど使い切っていた。目立つ傷を塞ぐので精いっぱいだった。
服の下の傷までは、治せない。
「俺は無傷だ。気にしないでくれ」
メルは少しだけ不思議そうな顔をしてから、ふんっ、と言ってクロードに近づいた。
ミーティアが、彼の手首へ両手をかざす。
「これから皆を守る人なんだから、大事にしないといけません」
三人でクロードを囲む。
俺はただ立っていた。
なんてことはない。
いつもどおりの日常だった。
***
帰宅してから、奥様に血の匂いで怪我を気づかれた。
すぐに手当てをしてもらい、今日は休むように言われた。
神官様も戻り次第、事情を聞きたいという。
寝台で横になっていると、メルが来た。
包帯から血が滲んでいるのを見て、小さく息を呑む。
そっと巻き直してくれた。
「……なによ、バカ。あんただって怪我してたじゃない」
昔と同じ声だった。
「メル。今日の事だけど――」
「分かってる。助けたかったんでしょう?」
俺は頷いた。
やっぱりメルは分かってくれる。
でも、彼女は俺の顔を見ないまま続けた。
「だから、旅に出たら心配なの」
「……ん? どういうことだ?」
「儀式の後は、クロードが私達を率いるの。セツナが毎回別の判断をしたら、困るでしょう?」
少し遅れて、エーリとミーティアも入ってきた。
メルが二人を見てから、俺へ向き直る。
「セツナの仕事も考えたのよ。ほら、あんた弱いじゃない。でも、雑用は得意だから」
エーリが紙を広げる。
旅の準備。道具の手入れ。依頼先の下調べ。
留守中は屋敷に残り、必要な時に荷物を運んでくれる専属の従者。
仕事の内容なら、全部分かる。
でも、依頼書に書かれる名前は、三人とクロードのものだった。
「セツナが待っていてくれたら、安心して帰ってこられますわ」
ミーティアが微笑む。
「ん。重要な雑用係」
エーリも頷いた。
俺が言いたかった事と、違う。
三人の役に立つ方法だけなら、今までだって考えてきた。
一緒に行きたいという気持ちは、どこへ置けばいいんだろう。
メルが、ためらいながら口を開いた。
「それと……外套を、クロードに譲ってくれない?」
「外套?」
「今日、直してもらおうと預けたでしょう? あれを、儀式でクロードに着てもらえたらって」
四つの星。
三人が贈ってくれた、俺の外套。
傷んだ箇所を繕うために、メルが預かっていったものだ。
クロードは、その星を新しい一行の印にしたいと言ったらしい。
「私達を率いる人だから、ちょうどいいと思うの」
メルの言葉に、エーリが付け加えた。
「内側の名前の刺繍、ほどけば使える」
「セツナには、今度もっと良いのをあげますわ」
ミーティアも続ける。
俺の名前を、ほどく。
四つの星から、俺だけを外す。
三人にとっては、それだけで新しい約束になるんだ。
「……これは、嫌だな」
三人が黙った。
俺が拒むとは、考えていなかったようだった。
メルが困ったように笑う。
「どうして? 私達がセツナを大切に思っていることは、変わらないのに」
「俺は、四人で行くつもりだった」
メルを見る。
「帰ったら、神官様達にその話をするつもりだった」
「……約束は覚えてるわ。でも、あの時はまだ子供だったでしょう? あんたは弱いのよ」
ああ。
忘れていたわけでは、なかったんだ。
「私達には、果たすべき役割があるの。セツナなら分かってくれると思ったのに……。あんただけよ、大人になっていないのは。はぁ……」
三人が、誰と旅をするかは自由だ。
子供の頃の約束を、ずっと守れと命令することも出来ない。
でも、決める前に聞いてほしかった。
俺が何を楽しみにしていたか。
何のために努力を重ねたのか。
そんな事を話す必要もないと思われていたのが、悲しかった。
「……悪い。少し、一人にしてくれ」
三人は不思議そうな顔をしていた。
自分達の提案に、何の不満があるのか。そう言いたそうだった。
俺はこれ以上、三人の顔を見たくなかった。
***
神官様は、俺の話を最後まで聞いた。
クロードの報告と食い違う点を確かめるため、ギルドへ確認を依頼した。
娘達には、外套を勝手に誰かへ渡すことを禁じ、そのまま返すように命じた。
そのうえで、俺に尋ねた。
「……私はお前の努力を知っている。もちろん、娘達にも説明してきた。だが、あの子達は信じようとしなかった。お前は今後、どうしたい?」
すぐには答えられなかった。
メル達に、どうしてほしいかなら分かる。
昔のように話してほしい。一緒に行こうと言ってほしい。
でも、今の俺がどうしたいかは、考えていなかった。
「仕事なら、ここにもある。ギルドへ出る道もある。娘達の望みではなく、お前の望みを聞いている」
神官様が、少しだけ寂しそうに笑った。
「……本当は、娘の誰かと結婚してくれればとも願っていた。だが、それは私の望みだ。お前が叶える義務はない」
俺は、包帯を巻かれた自分の身体を見た。
何年も、努力を重ねてきた身体だった。
「……三人の従者にはなりません」
神官様は何も言わず、続きを待っていた。
「あいつらが帰ってくるのを待つんじゃなくて……俺も、冒険に行きたいです」
「分かった」
反対されると思っていた。
世話になった家を出るなんて、恩知らずだと言われるかもしれないと思った。
神官様は、俺の手をそっと握った。
「では、その進路を選びなさい。大丈夫だ。お前が積み重ねてきたものは、ここを出ても無くならない。広い世界を見に行くんだ」
俺は深く頭を下げた。
***
そして、成人の儀式の日。
神殿には、候補生達の家族や、冒険者ギルドの関係者が集まっていた。
儀式はジョブを授かるだけではない。育成を終えた者が、自分の進路を決める日でもある。
あの日以降、三人とクロードは俺と距離を取っていた。
クロードが祭壇に触れる。
神託石に浮かんだ文字は、《勇者》。
続いてメルに《剣聖》。
エーリに《賢者》。
ミーティアに《聖女》。
歓声が上がった。
三人が顔を見合わせ、笑う。
俺も嬉しかった。
あの頃、木剣を握るだけで手を痛めていたメルが、剣聖になった。
その喜びまで、無くなるわけではなかった。
メルは俺の初恋の人だった。三人と過ごした時間まで、無かったことには出来ない。
でも、それを理由に、これからも三人の望みどおりに生きるつもりはなかった。
同行の誓約に移ると、クロードが俺を呼んだ。
「セツナも来い。お前が後ろを支えてくれれば、俺達は安心して戦える。ふん、いつまでも拗ねてるんじゃない」
俺は一歩前へ出た。
神官様が、俺を見る。
「進路を述べなさい」
「俺は、この一行の従者にはなりません」
メルが顔を上げた。
「セツナ……まだ怒ってるの? 外套なら、クロードには渡さないわ。だから――」
「外套だけの話じゃない」
三人を見た。
途中で遮られる前に、言いたい事があった。
「荷物を持つのも、飯を作るのも、嫌じゃなかった。そういう事だって、旅には必要だから」
俺が出来ることをする。
三人には出来ることをしてもらう。
そんなふうに、一緒に歩くつもりだった。
「でも、一緒に行こうって言った時の四人には、俺も入っていると思ってた」
「それは……」
エーリが唇を噛む。
「でも、特別な適性がない。……危険な場所もある」
「危険な場所はあるだろうな。だから俺は、俺に出来る冒険から始める」
胸が苦しかった。
三人と行きたかった。
その気持ちは、まだ消えていない。
でも、今ここで頷いたら、俺はまた自分の分の地図を用意しないまま、三人の話を聞く事になる。
「君達が誰と行くかは、君達が決めればいい。俺も、自分で決めたい」
神官様が頷いた。
「本人の承諾がない以上、同行の誓約は結ばれない」
クロードが笑った。
「そうですか。では、俺達四人の出立について――」
「その前に、実地訓練の報告を確認する」
神官様が一枚の書面を開いた。
ギルドの調査結果だった。
救助された冒険者達の証言。森に残された戦闘の跡。帰還した時刻。
俺は逃げたのではない。
取り残された二人を助け、帰ってきた。
そして、ゴブリンの殲滅まで報告されていた。
周囲がざわつく。
「ゴ、ゴブリンの群れを一人で殲滅?」
「しかも、キングだけじゃなく帝王も……」
「帝王って、厄災の一種だと聞いているわ」
神官様が、静かにするように手で制した。
それから、もう一枚の報告書を取り出す。
「こちらがお前の報告だ。クロード」
そこには、俺が魔物を恐れて戦線を離脱したと書かれていた。
取り残された二人も、クロードの指揮によって救出されたことになっている。
「俺は、二人を助けると言ったはずだ」
俺が言うと、クロードの口元が引きつった。
「ゆ、勇者候補者一行としての功績にまとめただけだ。細かい判断まで書く必要は――」
「救助に戻った者を逃亡者とし、その救助を自分の指揮によるものと報告した。それが細かい違いか?」
神官様の問いに、クロードは答えなかった。
神官様は、既にギルドと協議を終えていた。
虚偽報告についての審査が済むまで、公認遠征隊としての出立と援助は保留される。
勇者の力を失うわけではない。
でも、勇者だから何を言っても認められるわけではなかった。
三人が俺を見た。
「セツナ、私達……あんたが、そんなに強いって知らなくて」
メルの言葉に、神官様が静かに答える。
「知らなかった事と、聞こうとしなかった事は違う。セツナは何を話そうとしていた?」
誰も何も答えなかった。
***
俺のジョブ判定は、その後だった。
何度調べても、特殊適性はなかった。
普通の戦士でも、斥候でもいい。覚えてきたことを使い、少しずつ依頼を受ければいい。
祭壇へ手を置いた。
温かいものが、指先から身体へ流れ込む。
神託石に、文字が現れた。
《後天到達職――英雄》
「……英雄? 伝説に出てくる、あの……?」
自分の声が聞こえた。
神殿が静まり返る。
後ろで、誰かが立ち上がった。
「あの人だ。俺達を助けてくれた……」
振り返ると、救助した冒険者の一人が俺を見ていた。
別の場所からも、驚いた声が聞こえる。
「百年に一人しか現れないと言われるジョブが……」
神官様が神託を確かめ、深く息を吐いた。
「適性を持って生まれる勇者とは違う。生きてきた道と、磨いた技によって到達する職だ」
俺は自分の手を見た。
今までの人生を積み重ねた結果。
何もないと言われて、それでも剣を振り、本を読んできた。
神託石に、さらに文字が浮かぶ。
《固有技能――限界突破》
「習得した技の限界を越え、それらを結びつける力。知らないことまで出来るようになるわけではない」
神官様が俺を見る。
「お前が積み重ねたものだ、セツナ」
***
儀式を終えて控えの部屋へ戻ると、三人が来た。
メルが、例の外套を抱えていた。
父親の命令どおり、刺繍には手を加えられていない。
「英雄なら……もう、一緒に行けるでしょう?」
俺は、少しだけ笑った。
嬉しくて笑ったのではない。悲しいのに、笑みが零れたんだ。
「俺は昨日と別の人間になったわけじゃない」
メルの顔が止まる。
「昨日の俺は、仲間には入れなかったんだよな」
彼女は外套を握りしめた。
「……ごめんなさい。私、セツナはずっとそばにいると思ってた」
エーリが何か言いかける。
「一緒にいたい――」
その先が続かなかった。
昨日、その言葉を聞きたかった。
英雄になる前の俺に、言ってほしかった。
ミーティアが聞く。
「いつ、帰ってくるの?」
その声は、昔のままだった。
俺がギルドへ出かける時。
何度も、同じことを聞かれた。
「分からない。今回は、俺が行きたいところまで行くから」
ミーティアの顔が歪む。
「そうですか……」
俺だって、三人が好きだった。
メルの笑顔を見ると、一日中嬉しかった。
今日、英雄になれたからといって、その気持ちを簡単に別のものには出来ない。
それでも、戻らないと決めた。
メルが外套を差し出した。
俺は、受け取らなかった。
「……それは捨ててくれ」
メルの手が止まる。
俺は部屋を出た。
後ろで、泣き声が聞こえた。
***
出発前、神官様の部屋を訪ねた。
給金の残りと、旅に必要な道具を渡された。
奥様が用意してくれた食べ物もある。
荷物を確認しているうちに、何かが込み上げた。
「……四人で行きたかったんです」
神官様が手を止める。
「海を見て、飯を食って。初めての依頼書に、四人の名前を書いて……帰ったら、その話をするつもりだったんです」
英雄になれた。
積み重ねてきた努力も、ようやく認められた。
なのに、欲しかったものは戻ってこなかった。
「そうか。楽しみにしていたんだな」
その一言で、涙が落ちた。
俺は顔を隠した。
神官様は、泣くなとも、もっと良い仲間が出来るとも言わなかった。
落ち着くまで待って、それから俺の肩に手を置いた。
「また、ここに帰ってくればいい」
俺は頷いた。
ここまで嫌いになって出ていくわけではない。
三人の帰りを待つ役目ではなく、自分の冒険を始めるために出ていくんだ。
「……行ってきます」
「ああ。お前の土産話を、楽しみにしている」
***
旅先の冒険者ギルドで、俺は依頼板を眺めていた。
海沿いの村へ向かう商隊の護衛。
報酬は高くない。でも、行きたい方角だった。
地図を確認していると、隣から声をかけられた。
「その依頼、私も受けるつもり。組まない?」
剣を背負った女性冒険者だった。
見覚えはない。まだ登録証も見せていない。俺のジョブも知らないはずだ。
「……俺でいいのか?」
「地図と荷物を見てから選んでたでしょう? 何も考えずに飛び出す人より、一緒に行きたいわ」
俺は少し考えて、頷いた。
彼女が受付へ向かいかけ、振り返る。
「出発まで時間があるけど、寄りたい場所はある?」
俺は、地図の海岸を指した。
「海が見たい」
「初めて?」
「ああ」
「じゃあ、少し早く出よう。待ち合わせは港だから、商隊が来るまで見ていられるわ」
俺は依頼書を受け取った。
余白に自分の名前を書く。
「俺はセツナ。よろしく頼む」
彼女も名前を書き添えて、笑いかけてくれた。
俺も、久しぶりに笑った。
四人で書くはずだった、初めての依頼書。
そこに、三人の名前はなかった。
それでも俺は、それを持って受付へ向かった。




