8話『ささやかれる疑念、動き始めた手のひら』
茶会の翌日。
屋敷に戻った私は、母との朝食を済ませてから使用人たちの動向をさりげなく観察していた。
クララ、メイド長、厨房の担当者たち。前世の記憶と照らし合わせて、少しでも“不自然な変化”があれば即座に対処できるように。
そして、そのときが来た。
「……あの侍女は」
庭先で花を摘むふりをしながら、私は目を細めた。
回帰前、当時リリー付きの侍女だった“ベル”が、私の部屋の近くをうろついているのを目撃したのだ。前世では、ベルは私の私室に忍び込み、文書を改ざんし、私の“不正”を捏造した首謀者のひとりだった。
でも、この時期にはまだ雇っていなかった。
未来が変わった?
いや、これから起こることを回避することは出来ない?
前世の“裏切りの始まり”は、たしかに今、再び起きようとしていた。
***
その日の午後。
ベルが紅茶を運んできた。
「お嬢様、こちらはリリー様からの差し入れです」
――来た。
紅茶の色は濃く、香りも強い。だが、わずかに茶葉とは異なる香りが混ざっていた。
“体調を崩させるための微量の混合薬”。
この程度で命に関わることはない。だがこれは、“病弱な姉”という印象を周囲に植え付け、リリーの献身がより引き立つように演出されるためのもの。
「ベル、飲んでみてくれる?」
私がそう言うと、ベルは目を見開いた。
「わ、私が、ですか?」
「ええ。問題ないわよね?」
ベルは戸惑いながらも、紅茶を一口含んだ。
次の瞬間、表情がわずかに曇る。
「……少し、苦いような」
「そう。なら下げておいてちょうだい」
私は微笑みながら、毒杯をそっと遠ざけた。
***
その夜。
ネックレスが静かに光り、またリュミエールの声が響く。
『そなたの警戒はまことに秀逸だ』
「リリーはまだまだ諦めない。……それが何よりの証明だわ。あの子は変わらず、“私の人生”を奪おうとしてるの」
『思惑が叶わなければ、標的は……変わる』
「そうね、母ね」
母が崩れ落ちたのは、社交界デビューから間もなくのことだった。
表向きは過労とされていたが、実際には、リリーが贈った“強壮茶”に混入された薬剤のせいだった。
私はそれを知らず、看病しながらも疑いを持たなかった。結果、母は床に伏し、病弱だった(リリーの毒で)私をさしおき、家の指揮権はリリーへと移った。
「今回は、私が先に仕掛ける」
私はネックレスを握りしめる。
“守り”だけでは、リリーに勝てない。
こちらから“攻める”覚悟が必要だった。
***
翌朝。
私は台所の監督役に直接会い、母の食事と飲み物を私の管理下に置くよう指示を出した。
「すべての材料を私が選び、調理も一部立ち会います」
その命令に、使用人たちは戸惑いを見せたが、私は無理やり押し切った。
その動きは、すぐにリリーの耳にも届いたはずだ。
――けれど、それでいい。
私は“遠慮する姉”を捨て、“実権を握ろうとする悪女”として振る舞う。
信頼も好感もいらない。守るべきものは、ただひとつ。
――母の命。
***
数日後。
母の枕元に置かれた香袋の中に、“毒草”が仕込まれていたのを発見した。
私は頻繁に母の部屋をチェックしている。
それは一見すると贈答用の香り袋。だが中に混ぜられていたのは、長期的に体調を崩す毒性を持つ草。全員に問いただし、使用人のひとりが無断で母の部屋に持ち込んでいたことを吐かせた。
「誰の指示?」
問い詰められた女中は、震えながら口をつぐんだ。
「……言えません」
だが、その顔に浮かぶ“恐怖”が、私にははっきりと読めた。
リリーの名前を出すことが、彼女にとってどれだけ“禁忌”なのかを。
「いい?今後は私の管理のもと動いてちょうだい」
今まで控えめで温厚だった私が豹変したことに屋敷内は騒然となった。
***
夜。
私は母の部屋にそっと入り、その手を握った。
「お母様……今度は、絶対にあなたを失わない」
寝息を立てる母の横で、私はネックレスを握る。
光は、穏やかに瞬いていた。




