29話『宴の余韻』
舞踏会の熱気がまだ残る夜。
私は、ルシアンの私室にいた。
壁に灯されたランプの淡い光が、彼の表情を照らす。
「……どうして、あんな真似を?」
私の問いかけに、ルシアンは視線を逸らす。
そしてしばらくの沈黙ののち、小さく呟いた。
「……君が、他の男と踊っているのが……無性に、許せなかったんだ」
「……」
「レオナードと君があんなふうに踊って……皆が目を奪われて。
君が彼に笑いかけるのを見たとき……
――正直、腹の底が煮えくり返るかと思った」
それを言った後で、彼は少しバツが悪そうに髪をかきあげる。
「……くだらないって、自分でも思ってるよ。
でも、僕には……どうしても無理だったんだ。
君が誰かに奪われるみたいで」
私は、何も言わず彼を見つめる。
拗ねたようなその目が、ふいに私を捕らえた。
「それに……」
彼は、椅子の背にもたれながら小さくため息をついた。
「君と、全然会えなかった。
今後、顔を見られるのはほんの一瞬だけ。話せるのは、誰かの目を盗んで少しだけになるなんて我慢出来そうにない。
どうしてこんなにも会えないのかと、何度も苛立った」
「……それは私も同じです」
ぽつりと返した私の声に、ルシアンはようやく私へと視線を戻す。
「――本当?」
「……ええ」
ふたりの視線が重なった。
静寂の中に、ようやく言葉がなくても通じ合える確信が芽生える。
ルシアンはゆっくりと、私の手に指を重ねる。
「今夜、ようやく君を連れてこられた」
その目に映るのは、王でも、貴族でもない――ただの、一人の青年のまなざしだった。
「まあ……」
私は、ふと口元に笑みを浮かべる。
「さっきまでの優雅な立ち振る舞いは、どちらへ行かれたのでしょう?」
ソファに身を沈め、すっかり拗ねきった青年に向けて、
わざと貴族風の調子で皮肉めいて言ってみせた。
するとルシアンは、頬杖をついたまま、視線だけこちらに向ける。
「……君といる時まで、“王子”でいなきゃいけないのか?」
低く、どこか拗ねた声。
「君の前でくらい、僕は僕でいたい」
その真っ直ぐな言葉に、私は一瞬だけ言葉を失った。
けれど、すぐに微笑みを返す。
「困った方ですね、あなたは」
「自覚してるよ」
そう言いながらも、ルシアンはどこか誇らしげだった。
私の前だけで、子どもみたいに素直になるこの人が――少しだけ、愛しくなる。
「……こっちへ来て、アメリア」
ルシアンがソファから手を伸ばす。
拗ねた声色のまま、私を呼ぶその顔は、
つい先ほどまで国の未来を背負っていた王子とは思えないほど、子どもっぽくて──ずるい。
「甘えすぎではなくて?」
私はわざと足を止めて、扇子で口元を隠しながら言う。
けれど、目はしっかり彼のほうを見ていた。
「……僕の事は甘やかしてもいいんだよ」
「あら、誰がそんなことを許しました?」
「僕が勝手に決めた。だめ?」
その言葉と同時に、すっと手が私の腰を引き寄せる。
体勢を崩し、気づけば彼の膝の上に座らされていた。
「――やっと捕まえた」
そう言って、ルシアンは微笑んだ。
その膝の上に、私は座らされている。まるで籠の中の鳥のように、逃げ場はどこにもない。
「……っ、もう。そういうところが王子らしくないのですよ」
「だから言ったじゃないか。君の前では、もう“ただの男”でいたいって」
ルシアンの額が、そっと私の額に触れる。
「君がほしい」
心臓が、ずるく跳ねた。
静まり返った執務室に、時計の針の音だけが静かに響いていた。
ルシアンの膝の上に座る私の腰を、彼の両腕がしっかりと支えている。距離など最初からなかったように、彼の熱が全身に伝わってくる。
「……これは反則ですわ、殿下」
そう呟くと、ルシアンは薄く笑って、私の髪を撫でる。
「もう何度も言ってるだろう、“殿下”などと呼ばないでくれ」
彼の指先が私のうなじをかすめる。ぞくりと背筋が反応するのを、自分でも隠せない。
「それに、こんな姿を誰かに見られたら……さすがの私も、誤魔化せませんわ」
「見られてもいい。……というか、見せつけたいくらいだよ。君が僕のものだって、世界中に」
そう言いながら、ルシアンの指先が私の背中をなぞる。厚手のドレス越しでも、その仕草はどこか意識を狂わせるほどに優しい。
「ずるい方……」
囁くようにそう告げると、ルシアンの腕がするりと私の腰に回った。
「……では、もっとずるくなろう」
言葉とともに、私の髪に口づけが落とされる。
首筋、肩先、耳元……やわらかな吐息と唇が、肌のすぐ近くをなぞるたび、私は呼吸を整えるのに必死だった。
「やっぱり……ドレス、邪魔だね」
「ちょ、ちょっと、お待ちくださいっ……!」
「脱がせるわけじゃないよ。ただ、少しくらい――君の素肌に触れたくなるのは、男の本能なんだ」
そう言いながら、彼はグローブの隙間から指先を滑り込ませる。
「……だめ、ですわ。ここは……」
「だから、声を出さなければバレないよ」
その言葉があまりにも無邪気で、けれど熱を孕んでいて――私は思わず彼の胸元を軽く叩いた。
けれど叩いた指を、ルシアンはすぐに自分の唇へと導いた。
「こうしてる時間が、一番幸せだ。……君も、そうだろ?」
私は答えず、ただ彼の胸に額を預けた。
もう、抗うつもりなんてなかった。
ただ、この腕の中に、しばらくの間――沈みたかった。
※グローブ…肘丈〜二の腕まであるロンググローブ。ドレスとセットになっていて、肌の露出を控えめにするためでもある




