2話『仕掛けられた毒』
扉の向こうから聞こえる侍女たちの声、食堂に漂う香辛料の匂い――すべてが前世と同じ。けれど私だけが、同じであってはならない。
「……クララ」
身支度を手伝う侍女に声をかける。
「はい、お嬢様」
「今日の昼食、いつもより私の皿にだけ違うソースがかかっている、ということはないわよね?」
一瞬、クララの手が止まった。
「……え?」
「冗談よ。気にしないで」
私はにこりと微笑んだ。この時が前世で“最初に違和感を覚えた出来事”だった。
毒ではない。けれど胃痛を引き起こす軽い異物。病み上がりだった私には微量でもてきめんだった。それを「体調不良の兆し」として見せることが、リリーの策略の第一段階だった。見舞いと称して母の信頼を得て、家中の心を掴む布石。
私は知っている。今日が、その“兆し”が始まる日だ。
この日から”病弱になり、精神的に不安定な長女”が作り上げられていった。
***
昼食の席にて。
母、リリー、私の三人。日常の一幕のような食卓。
スープ、パン、鶏肉の香草焼き。そして、問題の“ベリーソース”。
「お姉さま、そのソース……新しく作ったものなんです。わたし、厨房の方にお願いして……」
「まぁ、そうだったの。ありがとう、リリー」
母が微笑み目を細める。リリーは恥じらいながら頷く。
その愛らしい仕草が、かつてはどれほど人々の心を掴んだことだろう。
私は皿を見下ろす。香りは強く、ベリーの甘酸っぱさに薬草のような香りが微かに混じる。
──微量。だが確実に“何か”が混ざっている。
私は一口、口に含む。
そして、すぐに布のナプキンで口を拭いた。
「少し酸味が強いわね。体調が万全じゃないから、今日は控えるわ」
「……っ、すみません、お姉さま。わたし、気が利かなくて……」
リリーが目を潤ませる。
これも“計算の一部”。
彼女は私に罪悪感を植え付け、母には「なんて健気な子なの」と印象づける。言葉ひとつ、涙ひとつ。すべてが芝居。
私はあの時、そんなリリーに気を遣い全てを口にした。それが始まりだった。
けれど、私はもう飲み込まない。
「気にしないで、リリー。あなたの心遣いは伝わったわ」
私は笑って、ナプキンを静かにたたんだ。
今日、リリーの最初の一手は、未遂に終わった。
これでひとつ、前世の“運命の分岐”が変わった。
***
その夜、私はネックレスを握りながら日記をつけていた。
【一度目の修正:昼食のソースを口にしなかった】
小さく、だが確実に歴史が動いた。
リュミエールの声が、静かにささやく。
『小さな選択が、未来を大きく変える。……そなたは、それを選んだ』
「うん……でも、これで終わりじゃないよね」
『ああ。これからが、本当の試練』
「覚悟はできてる」
私はそう返して、日記のページを閉じた。
この世界に“変化”をもたらすのは、ただひとつ――私自身の意志だけだ。
***
翌日、リリーにまた動きがあった。
「お姉さま、少しお話しても?」
庭園にて、ふたりきりのティータイムを演出してきた彼女。
「最近、クララが変なんです。……お姉さまに、何か変なことを吹き込んでいませんか?私のことを悪く言っているようで。でも、私にはお姉さまのことも……」
リリーの告げ口。
これは、私を孤立させるための布石。使用人を“疑わせる”ことで、私の信頼を削ぎ落とす作戦。
かつてこの言葉を鵜呑みにし、私はクララを筆頭に使用人に冷たくするようになった。リリーを信じ、彼女を守るために。
でも、もうその手には乗らない。
「そう……たしかに最近、少し様子が違うわ。あなたの言葉、参考にするわ。ありがとう、リリー」
私は、また笑って受け流す。
彼女が何を仕掛けても、私はもう騙されない。
過去の私は、ただ信じていた。妹の善意を、周囲の笑顔を、家族の絆を。
でも今は違う。




