26話『星花祭』
帝都の外れにある小さな町では――年に一度の「星花祭」が行われていた。
馬車が辿り着いたのは、ちょうどその祭りの初日。
町のあちこちに**白い花灯**が吊るされ、人々は空を見上げていた。
祭りの名の由来は、“空から降る星の花が、来年の実りを約束する”という、帝国古来の伝承から来ていた。
ルシアンが、ふと馬車のカーテンを持ち上げる。
「ちょうどいい時期だったね」
視線を夜空へと向ける。
そこには、月と星とが澄んだ空に浮かび、まるで天から降り注ぐように、光の粉のような雪片が舞っていた。
「これ……光ってる……」
「《星花の種》と呼ばれてる。氷花の一種だ。高空で凍った花粉が、気流に乗って降りてくるらしい」
私は、思わず馬車から身を乗り出した。
広場では、子どもたちが笑いながら白い花灯を抱え、屋台の奥では楽師が笛を吹いていた。
それは、王国では見たことのない、けれど不思議な光景だった。
「素敵ですね、この音楽」
「帝国の古謡だ。今ではほとんど歌われていないが、昔は宮廷でも奏でられていたらしい」
「……どこかで……?」
思わずこぼれた言葉に、ルシアンが振り向く。
「……なんでもありません」
私は首を振り、そっと夜空へと手を伸ばした。
落ちてきた“星花の種”が、私の掌にふわりと触れ、そしてすぐに溶けた。
その瞬間、目に見えぬ何かが、胸の奥で淡くほどけていった。
星花祭の夜、広場は人で賑わっていた。
色とりどりの提灯が揺れ、音楽が流れ、子どもたちの笑い声が夜空へ舞う。
「……もう少し歩いていくか?」
「はい」
思わず彼を見上げると、彼は少しだけ、ほんの少しだけ――いたずらっぽく、口元をゆるめた。
二人は並んで、石畳の細道を歩く。
夜店では、果物を蜂蜜漬けにした甘い串や、星形の飴細工が売られていた。
露店の主人が笑いながら、私に飴を差し出す。
「嬢ちゃん、お似合いだよ。彼氏と一緒かい?」
その一言に、私は赤くなり、ルシアンは一瞬だけ固まった。
「ち、違……っ」
「ここでは否定はしなくていいんじゃないか?」
ルシアンがぽつりと呟き、そっぽを向く。
私は笑い出しそうになるのをこらえ、星形の飴を受け取った。
そのあと、私達は橋の上へと出た。
川沿いでは灯籠流しが始まっていた。
小さな花灯が、水面に浮かんで流れていく。
そのひとつひとつに、人々の願いが託されていた。
「……願い事、しました?」
私が問うと、ルシアンは首を振った。
「そういうの、子どものころは信じてたけど、今は……願うより動く方が早いからな」
私は少し寂しそうに、でも優しく言った。
「じゃあ、私が代わりに願いますね」
「何を願うんだ?」
「それは秘密です」
ルシアンが横目で私を見る。
その瞳には、星灯りが淡く映っていた。
「……君は時々ずるい」
「え?」
「……何でもない。飴、少し分けてくれ」
そう言って、彼は私の手から飴をひとくちかじる。
唐突すぎる行動に、私はぽかんと口を開け、すぐに赤くなった。
「っ、なにしてるんですか!」
「味見。いいだろ、祭りなんだし」
そう言って笑った彼の横顔を、私は不思議な気持ちで見つめた。
たぶん――こういう時間を、幸せと言うのだろう。
星の降る夜に、何も起こらない。
それが、ただ、嬉しかった。
灯籠流しを見届けたあと、また屋台の通りへと戻ってきた。
風は少し冷たくなり、夜祭のざわめきはゆるやかな静けさへと移り変わっていた。
その時、私はふと、足を止めた。
「……あれ」
木箱の上に並べられた、いくつかの古びたアクセサリー。
その中のひとつが、まるで私の胸元にあるものと――《リュミエール》のネックレスと――
まったく同じ意匠を持っていた。
「これ……」
私が、手を伸ばしてそっとそのネックレスに触れる。
淡く揺れる銀の鎖。中心には、淡い青の雫型の宝石。
中に星のような微粒子が封じられた、見慣れすぎたデザイン。
ルシアンもそれに目を留めた。
「……君のつけているネックレスに似てるな。いや、これは……」
そのとき、露天の店主――白髪混じりの老人が、笑いながら口を開いた。
「お嬢さん、お目が高い!珍しいもんを見つけたねえ。いまじゃめったに出ない代物さ」
「これは……何ですか?」
私が問いかけると、店主は懐かしむように目を細めた。
「“星の涙”――帝国じゃそう呼ばれてた。古い時代の貴族、特に皇族筋の娘たちが儀礼のときに身につけた飾りのレプリカだよ。今の若いもんは知らんだろうが、栄えてた頃の帝都じゃ、憧れの象徴だったもんさ」
アメリアは息をのんだ。
「……皇族の……」
「そう。帝の血を引く姫が首にかけていたって話でね。祭礼とか、戴冠式のときに使われてたらしい」
ルシアンが、ちらりと私の横顔を見る。
私はそれに気づかず、ただ静かに自分の胸元にあるネックレスに手をやった。
「このレプリカは、大量に出回ってたんですか?」
そう呟いた私に、老人はふと真面目な顔になる。
「嬢さん、もう持ってたのか!そう、昔はどこにでも売ってたよ」
「そうですか……」
「変なことを聞くようだが――それ、本物かい? 帝家の直系がつけてた“加護の印”って噂もあるんだ。持ってる者は、運命に選ばれるんだとよ」
ルシアンが、さりげなく私の背に回ってその言葉を遮る。
「ありがとう、いい話を聞けた。これは……いい土産になる」
「へへ、そいつは良かった」
私達は屋台を離れた。
まさか、リュミエールにそんな逸話があったなんて。
でもどうしてこれをお母様は持っていたのかしら?
帰って回復した折に聞いてみよう。
「君の、それ」
「はい」
「さっきのものと同じに見えるけど、どこで買ったの?」
「母から頂きました。どこかで買って来たんでしょうね、先程の店主と同じことを言ってました」
私はそういうと思い出し笑いをした。
『これは、あなたが本当に道に迷ったときに、力になってくれるはずだから』
「そんな逸話のあるネックレスだとは」
そこまで自分で口にしてから、ハッと我に返る。
これは、レプリカではない。
本物だ。
私は確かにリュミエールの加護を受けた。
けれどこれはリリーが産まれる前、幼い頃に母がくれたものだ。
意識せず肌身離さずつけていた。
「アメリア?」
「あ、いえ。なんでもありません」
「向こうの方も見てみようか」
「はい」
お母様はこれを、どこで手に入れたのだろう?
私は養護施設で育った。
ローズウッド家に迎え入れられた時の記憶は曖昧だ。
ただ、本当の両親の記憶はほぼなく、気づいたときには施設にいたのだ。
母の愛に恵まれ、出生な事など一度も考えた事がなかった。
私の記憶は、孤児であった悲しみよりも、母の愛で幸せに満たされていた。
私は確かにリュミエールの加護を受けた。
けれどこれはリリーが産まれる前、幼い頃に母がくれたものだ。
意識せず肌身離さずつけていた。
「アメリア?」
「あ、いえ。なんでもありません」
「向こうの方も見てみようか」
「はい」
お母様はこれを、どこで手に入れたのだろう?
私は養護施設で育った。
ローズウッド家に迎え入れられた時の記憶は曖昧だ。
ただ、本当の両親の記憶はほぼなく、気づいたときには施設にいたのだ。
母の愛に恵まれ、出生な事など一度も考えた事がなかった。
私の記憶は、孤児であった悲しみよりも、母の愛で幸せに満たされていた。
ルシアンの傍らにいる私を、レオはじっと見つめたまま、ふと目を細める。
「……文官の娘、とは思えませんね」
言葉の奥に、柔らかな毒が混じっていた。
そして、にこりと微笑む。
「文官にしては――随分と美しい。……殿下、僕にも紹介してくれませんか?」
ルシアンの頬がわずかに強張る。
ルシアンは一瞬だけ間を置いて、低く短く答えた。
「……必要ない」
その声音に、レオはひとつ眉を上げた。
「……ああ、そういうことですか。なら、深くは詮索しません」
けれど、その目は笑っていなかった。
探るような視線が私の指元へ、胸元へと滑る。
「気を悪くされたら申し訳ない。美しいものには、つい声をかけたくなる性分でして」
そう言って、レオはやや芝居がかった仕草で髪に触れ、再び礼をした。
「ではまた」
そして、意味ありげに背を向けて、夜の帳の中に溶けていった。
まるで、必ずまた会うとでもいうように。
二人が再び歩き出したときには、星花祭の灯もほとんど消えかけていた。
夜風が少し冷たくなり、私はそっと胸元のネックレスに触れたまま、無言で歩いていた。
ルシアンもまた、黙っていた。
けれど、角を曲がったとき、ふとその沈黙を破るように、私が口を開いた。
「……あの方は?」
私の問いに、ルシアンはしばらく何も言わず、やがてぽつりと答えた。
「――生き残りの皇族。帝家第七王子の血筋、レオナード・エル・ヴァルハルト」
私は、足を止めた。
「皇族……?」
「政変で父を失い唯一生き延びた」
星花祭の灯はすでに遠ざかり、夜の気配が町を包んでゆく。
「……それほど、気になったか? 彼のことが」
「……え?」
とぼけて返すと、ルシアンは視線を外したまま答える。
「さっきの男――レオナードのことをだよ。容姿も振る舞いも、それなりに洗練されている。
君が関心を抱いても、不思議ではない」
私は一瞬目を瞬かせ、それから――あえて意地悪く微笑んだ。
「……そうですね。確かに、見目麗しくて穏やかで、話し方にも品があって……何より笑顔がとても優しかったです」
その一言に、ルシアンの足取りが、わずかに止まった。
けれどすぐに歩を戻し、抑えた声でこう言う。
「……君は時に、人を試すのが上手だな」
「試してなどいませんよ。ただ、事実を言っただけです」
「ならば、事実として、答えてほしい」
ルシアンが立ち止まり、ゆっくりと私を見た。
「君が今、隣にいるのは誰だ?」
その静かな言葉に、私の胸がどくりと鳴った。
思わず目を伏せる。
やがて、私は小さく息を吐いて、顔を上げた。
「……ルシアンです。私が隣にいたいと、思った人です」
ルシアンの瞳に、ふっと緩やかな光が差す。
けれど次の瞬間、彼はまた少し視線を逸らし、静かに笑った。
「……どうやら僕は、君が誰に微笑みかけるかというだけで、品位を忘れそうになるらしい」
「それは……私のせいですか?」
「そうだとも。……君のせいだ」
私はそっと微笑み、今度は自分から一歩、彼のそばに寄った。
「それなら、もう少し嫉妬してくれても、いいですよ」
「……これ以上させる気か?」
「まさか。これ以上したら、きっとあなたの“品位”が保てませんものね」
からかうように囁いたその声に、ルシアンは少しだけ眉を上げ、かすかに苦笑した。
***
星花祭の余韻が残る夜道を、馬車は静かに王国領へ向かって戻ってきていた。
月が高く、馬の足音が遠く響く。
私は、並んで座るルシアンの隣で、どこかそわそわしていた。
ふたりの距離は近いのに、どこかまだ“触れてはいけないもの”を挟んでいるような感覚があった。
けれど、馬車が停まり、御者が軽く合図を送ったとき。
「……そろそろ着いたようです」
その声に立ち上がろうとした、その瞬間。
ルシアンの手が、私の手首をそっと掴んだ。
「待って」
低く落ち着いた声だった。
私が顔を向けたその刹那――唇が、重なった。
深く、熱く、そして迷いのない口づけだった。
押しつけるでもなく、乱れるでもない。
けれど、触れたその瞬間、すべての抑制がほどけてしまったように思えた。
身体がふわりと浮いたように感じたとき――
ルシアンの腕が、私の背を強く引き寄せていた。
身体が、離れない。
いつもは冷静で、距離を測ってくる彼が。
今だけは、まるで言葉では足りない想いを、触れることで伝えようとしているようだった。
長くて、短い、静かな口づけが終わったとき。
私が何か言葉を発そうと息を吸ったのを見て、
ルシアンはまた、ほんの少しだけ唇を重ねた。
二度目は、名残を惜しむように、ゆっくりと。
やがて、彼が額を私の額に重ねるようにして、静かに囁いた。
「……本当は、降ろしたくない」
私の心臓が跳ねる。
「でも、降りないと」
ルシアンは小さく目を閉じ、深く息を吐いて、私の身体をそっと離した。
馬車の扉が開かれ、夜の風がふたりの間をすり抜ける。
「やっぱりまだ」
扉はまた、ルシアンの手によって閉じられた。




