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【完結】妹にすべてを奪われたので今世は悪女になって奪還することにしました  作者: もぁらす


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23話『ルシアンの後悔』


 指先が震えているのに気づき、私は両手を強く握りしめた。


「申し訳ありせん……っ。は、母が――」



 その時だった。


 ルシアンがそっと、私の肩に手を置いた。


「落ち着いて、アメリア」


 静かで、それでいて芯のある声。

 焦りにのみ込まれそうだった心が、その一言にふっと足を止められたようだった。


 私は、無意識に息を詰めていたことに気づく。

 ルシアンはそんな私の顔をじっと見て、低く、優しく言った。


「まずは深呼吸を。……ね?」


 言われるままに、大きく息を吸って、吐く。

 それをもう一度、そしてもう一度。


 肩に力が入りすぎていたことにも、やっと気づいた。

 視界が、少しだけ開けていく。



「まずは、中へ」



***



「月白草?」


 ルシアンの眉がわずかに動いた。

 だがその声音は、驚きよりも静けさをたたえていた。


 私は喉の奥が震えるのを堪えながら、もう一度頷く。


「はい、それが母の部屋に」


 指先が震えているのに気づき、私は両手を強く握りしめた。


「それは、まずい」


「ルシアン様、月白草とは一体」


「《月白草》は、北方のエルシア山脈――その中でも“霧の谷”と呼ばれる極寒の谷にしか自生しない特殊な草だ。

 一見、薬草に似ているが……成熟すると根の中心に毒素が溜まる。摂取した者は徐々に体力を蝕まれ、気づいた時には手遅れになる


「そんな……」


「アメリア、でも何故君が月白草ことを知っているんだ?」


「疑っていらっしゃるのですか?」


「そうじゃない、何故わかったのか聞いているんだ。何か隠しているだろう?」


 その声色はとても優しく、けして私を責めるものではなかった。




「リリーが」


「リリー嬢が?」


「以前、地下牢で私に言ったのです」



 ルシアンは驚く様子もなく、「やはり」と、呟いた。





「君も、戻って来ていたんだね」




***




 あれは時が戻る前のこと。


 王室は、即位を目前に控えた王太子である私の戴冠式たいかんしき準備で慌ただしく、連日政務に追われる私のまわりは、まるで戦場のようだった。


 そんな時だった。


 王宮、謁見の間。

 そこには、重苦しい空気が漂っていた。


「これは罠です。アメリアがそんなことをするはずがない!」


 私は、玉座の前に立ち、声を荒げていた。

 掲げられた密書――アメリアの筆跡とされる反逆の文――を見つめながら、私は必死に父である国王に抗っていた。


「これは偽造されたものだ。彼女の字を真似ることなど容易たやすい。僕は、彼女の本物の文字を知っている」


 しかし、王は静かに、冷ややかに言った。


「証拠は揃っているではないか。お前が“個人的な感情”で庇うならば、王太子としての資格を失うぞ、ルシアン」


 その場に居並ぶ老臣たち、宗教代表、軍の長――誰もが“王の正義”を支持していた。


「それでも、僕は信じます。アメリアは、そんな人間じゃない!資格なら失ってもかまいません」


 一歩も引かぬ強い目を向ける私に、父王は言葉を重ねた。


「ならば、お前の判断で国家が滅びた時、責任を取れるのか」


 その一言が、剣のように私の胸を刺した。


 私は、未来の王だった。

 だがこの時はまだ「王太子」でしかなかった。


 私は書斎で、命令書の写しに目を落としていた。


「——この命令に、署名を」


 机に拳を打ちつける音が、部屋に響く。


 今から真犯人を突き止めるにも、時間がなかった。


(……これは、罠だ)


 そう確信していた。

 だが、それを崩す術がなかった。


 目を閉じ、震える手で、ペンを取った。

 一文字一文字、自らの名を書き込んでいく。


 ——それは、彼女を処刑台へ送る署名だった。


「ルシアン王太子。あなたはこの命令書に署名することで、国家の安定を守れるのです」


 側近が静かに囁いた。


 

 ——空は、あまりに晴れていた。


 処刑台の上、彼女は一度もこちらを見なかった。

 それでも、彼女の姿は私の目に焼き付いていた。


 (アメリア……)


 震える唇から、声は出なかった。

 目の前で読み上げられる宣告文。

 それを読み上げているのは、他でもない私自身だった。


 


 「——国家転覆および王家への反逆の罪により、アメリア・ローズウッドの処刑を執行する」


 


 群衆のざわめきの中、彼女はほんの一瞬、空を見上げた。

 その瞳に、絶望も憎しみもなかった。

 ただ、静かで、透明な光だけが宿っていた。


 


 


 手は震えていた。

 喉が焼けるように痛んだ。


 (あの時、たとえ玉座を捨てても、君を守るべきだった)


 (あの時、たとえ民に背を向けても、君の手を取るべきだった)


 


 だが——

 もう何もかも、遅すぎた。


 


 斧が振り下ろされた刹那、私はその場に崩れ落ちた。


 


 「アメリア……!」


 


 誰にも聞こえない声で、名を呼んだ。

 それは、世界でたった一度だけ、私が王子ではなく、ただの男として叫んだ声だった。


 処刑場を去る観衆の背に紛れながら、私は血の気の引いた手で、彼女の名を胸に刻んだ。


 その夜、私は王宮の一室でただ独り、玉座に背を向けて座っていた。


 


 「君の手を……二度と離すべきではなかった」


 


 玉座は重い。

 王冠は冷たい。


 そしてそのどれよりも重く、冷たいのは、君を裏切ったこの心だ——。


 


 私は静かに、短剣を取り出した。

 王としてではない、男として——

 最愛の人を守れなかった、自分自身を裁くために。




***




 ルシアンの私室は深い静けさに包まれていた。


 暖炉の炎がゆらゆらと揺れ、部屋の一角をやわらかく照らしている。夜風を遮る分厚いカーテンの向こうでは、春の夜の空気がまだ肌寒く、窓ガラスにはわずかに水滴がにじんでいた。




「君も、戻って来ていたんだね」


 


 不意に、ルシアンがぽつりと呟いた。


 私は、手をぎゅっと握る。彼の言葉が、思いのほか優しくて、胸の奥がかすかに疼いた。


 


「お気づきだったのでは?」


 そう返すと、ルシアンはかすかに眉を動かす。


 


「何度も聞いても、君が言いたくなさそうだったから」


 


 柔らかな声音でそう言われ、私は思わず視線を逸らした。

 

 


「……申し訳ございません」


 胸の内から、自然とその言葉がこぼれた。


 


「どうして君が謝るんだ?」


 


 ルシアンがゆっくりと私のほうに向き直る。

 火の揺らめきが彼の横顔を照らし、その表情にかすかな翳りを映していた。


 


「それは……」


 答えようとした言葉が、喉で詰まる。


 


「謝るべきなのは、僕のほうなのに」


 


 ルシアンは、まっすぐに私を見つめた。その瞳には、過去に置き去りにした想いが沈んでいた。


 


「いいえ、ルシアン様が謝ることなど……」


 


 私が言いかけたとき、彼の声がそれを遮るように、低く落ちてきた。


 


「もう……謝らせてももらえないのだと思っていた」


 


 暖炉の火が小さくはぜる音だけが、静寂の中に響く。


 


「何を……」


 


 思わず問い返すと、ルシアンは目を伏せず、ただ真っすぐに私を見つめた。


 そして、深く息を吸い込み――その一言を、そっと口にした。


 


「――すまなかった」


 



『すまなかった』


 その言葉が、こんなにも胸に響くとは思わなかった。

 まるで、凍りついていた過去が、少しだけ融けていくようで――


 私はふいに目元を押さえた。泣いてなどはいない。

 涙なんて、何の意味もない。だって、戻ってきたのだから。


「……なんのことでしょう」


 声が震えそうになるのを必死で飲み込んで、微笑んでみせる。

 それが、どれほど拙い笑みだったか、自分でも分かっていた。


 ルシアンが何に対して言っていることはわかっていた。



 でももう、あの苦しみは、思い出すのも耐え難い。

 


「謝ってすむことではない、か」


「だから…」



 そこで、言葉が詰まった。

 本当は、救ってほしかった。


 でも、そんな可能性などどこにもないと諦めていた自分もいた。


 ルシアンは、静かに歩み寄ってきた。

 


「君があの場に立たされたとき、僕は、何ひとつ守れなかった」


 苦しげに呟いたその言葉は、私の胸をひどく締め付けた。


「それでも君にもう一度会えたことが、今の僕の唯一の救いだ」


 私の手に、ルシアンの額がそっと触れた。

 まるで祈るように。懺悔のように。




「お、おやめになってください」


 私は手を慌てて引っ込めた。

 ぬくもりが、指先から逃げていく。

 胸の奥が、なぜかひどく冷えた気がした。


「……すまない」


「いえ、謝っていただくことではなくて」


 ルシアンは、それ以上は何も言わず、静かに体を引いた。

 その瞳に浮かぶのは、悔いとも、哀しみともつかない複雑な色。


「触れられても、どうすればいいのか分からないんです」


 私は視線を逸らし、そう告げた。


「な、慣れておりませんので……」



 言葉が喉で詰まる。



「――そうか」


 ルシアンの顔が、困ったように歪む。




「婚姻前の女性に、失礼だったな」


「そ、そうです」


 私は無意識に語気を強めていた。

 けれど次の瞬間、自分でもそれが恥ずかしくて、慌ててうつむく。


「……でも」


 かすれた声が唇から漏れる。


「……嫌だったわけでは、ありません」


 それは、まるで聞こえないほどの声で。

 でもルシアンは、それを確かに受け取ったようだった。




 蠟燭ろうそくの淡い灯が、二人の間にわずかな揺らぎを作っていた。


 


「……君に協力は惜しまないよ、アメリア」


 静かな声だった。けれどその声音には、確かな決意がこもっている。


 私は驚いて顔を上げた。


 ルシアンは、淡く照らされた光の中でこちらを見ていた。光と影が彼の輪郭を静かになぞっている。


 


「ありがとうございます、ルシアン様……」


 そう言いかけたとき――彼はふっと、小さく表情を緩めた。


 


「ルシアンでいい」


 その一言は、ふいを突くほど優しく、私の胸に静かに届いた。


 しばし言葉を失った私に、淡々と話し出す。


 


「《月白草》の解毒には、まだ若い芽と“精霊水”が必要だ」


「……どちらも、そう簡単に手に入るものではありませんよね?」


 私は不安を拭えず指を組み、ぎゅっと握る。


 目を伏せながらも、彼の言葉を逃すまいと耳を澄ました。


 


「若芽は、成熟期のごくわずかな時期――満月の夜にしか現れない。逃せば、次は一年後だ。

 精霊水は王宮の秘薬庫にある。僕の名で申請すれば、すぐに取り出せる。問題は……月白草の若芽の方だ」


 窓の外では風が木々を揺らしていた。


 


「どうしましょう……」


 押し殺すように声がこぼれる。


 


「――僕が、取りに行こう」


 その言葉に、呼吸が止まった。


 


「え……」


 思わず彼を見た。


 ルシアンの瞳は揺らがなかった。迷いも、恐れもなかった。ただ、真っ直ぐに私を見つめていた。


 


「今から出れば、満月に間に合うはずだ。エルシア山脈は厳しいが、騎士としての務めを忘れたわけじゃない。

 君のためにできることが、まだあるのなら……僕は行く」


「だ、だめです! そんな危険な場所に、陛下が自ら行くなど――」


 震える声でそう返すと、ルシアンはわずかに首を横に振った。


 


「僕は君のために、命を張る理由をずっと探していたんだよ」


 その声は決して大きくなかった。けれど、どこまでも誠実で――温かかった。


 私の中の、何かが溶けていく。


 


「……行かせてくれるか?」


 問うように差し出されたその言葉に、私は答えることができなかった。


 ただ、胸が締めつけられるように苦しくて――でも、あたたかかった。


 

私は唇を噛んだ。


 あたたかい想いが胸に広がっていく一方で――心の奥で、もう一つの声が囁く。


 〈誰かに頼るだけでいいのか?〉


 〈それで、本当に母を救えるのか?〉


 指先が震えた。けれど、迷いはなかった。


 私はそっと顔を上げ、ルシアンの瞳をまっすぐに見つめる。


 


 「……なら、私も行きます」


 


 静けさを切り裂くように、その言葉は空気の中に浮かんだ。


 自分でも驚くほど、声は澄んでいて、揺れていなかった。



 「え……?」



 ルシアンの眉が、わずかに動く。


 驚きと、それをすぐに覆い隠すような柔らかな色が、彼の顔に浮かんだ。



 「これは、私の問題です」


 私はしっかりと告げた。


 「任せきりにできるものではありません。母の命は、私の手で救いたいんです」


 一瞬、風が窓を揺らした。遠くで木々がざわめく音がする。


 ルシアンはその場に立ったまま、私をじっと見つめていた。


 やがて、彼の唇が緩やかにほころぶ。



 「では、一緒に行こう、アメリア」



 私は、ほんの少しだけ目を見開く。


 その名を呼ばれるたび、心の奥があたたかくなる。



 「ありがとうございます……ルシアン様」



 彼の表情がふっと崩れる。



 「……“様”は、いらないといっただろう?」


 少し肩の力を抜いたような声で、彼が言う。


 「僕は君のために行くんだ。なら、ルシアンと呼んでほしい」


 


 一拍の沈黙ののち、私は少しだけ頬を染めながら、視線を伏せた。


 胸の内で言葉を繰り返し、そっと口にする。


 


 「……ルシアン」


 


 その瞬間――彼の顔が、ふわりとやわらかくほころんだ。


 それは、これまで私が見た中で、いちばん穏やかな笑顔だった。


 



「出発は――明朝だ。防寒具と装備は整えさせよう。エルシア山脈は想像以上に過酷な場所だから」


 橙色の揺れる炎が彼の横顔を照らし、その表情をどこか厳しく、同時に柔らかくも見せていた。


 その声音には冷静さがあった。けれど、その奥に――私を気遣う、微かな温もりが確かに感じられて、胸の内にぽっと火が灯る。



「もう夜も遅い。君のために、部屋を準備させよう」


「……はい。ありがとうございます」



 少しだけ息を整えて、私は頭を下げる。


 すると、ルシアンが小さく笑った。



「そうなんども礼はいらないよ。律儀だな、君は」


 

 その言葉には、からかいではない、優しさがあった。


 ふいに肩の力が抜ける。けれど、私はやっぱり真面目に答えてしまう。


 

「そんな……当然のことです。ご配慮いただいているのですから」



 するとルシアンは、ふっと息をついて、少しだけ体の向きを私の方へ傾けた。


 その動きがあまりにも自然で、思わず息を呑む。


 


「もう少し気を緩めてくれてもかまわないんだよ」


 


 低く、穏やかな声。


 特別な響きを持って胸に届く。



「で、でも……」



 言いかけた言葉を、彼が遮る。



「これからずっと、一緒にいるんだから」


 ――それが、この旅を指しているだけだと、頭ではわかっている。


 けれど、心は勝手に反応していた。


 “ずっと”という言葉が、胸の奥でそっと震えを起こす。


 


 私は目を伏せ、頬に火が灯るのを感じた。



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